第10話


 ――畜生! どうしてこうなった⁉

 油断した。まさか……いきなりサヤが、【背後】から斬りつけられるとは。

 まったく意味がわからねぇ。てか、有り得ねぇだろうがよ! ……目の前にいる【こいつ】は、誰だ?

「……見つけた。黒兎と死に損ないの鬼女の娘。どうして、白兎と人間の娘は一緒にいない? 手間をかけさせないでくれよ。俺、面倒臭いの嫌いなんだよねぇ……」

 うぜぇくらいにニヤニヤ笑ってやがるその面に、スクリューパンチでもかましてやりてぇところだが…….流石のあたしでも分かる。

 こいつ異形だ。明らかにおかしい。

 誰かが裏でお膳立てしてやがるみてぇだな。……魔女の野郎か?

 どっちにしたって、ルールがある以上……あたしにはどうする事も出来ねぇ。

 けど……

「ソウ…….貴方、どうして……?」

「……サヤ。お前はあたしの後ろに隠れてろ。こいつは、お前の弟じゃねぇ」

 ――サヤは、あたしが守ってみせる。

 こいつの記憶が既に失われていて、たとえ何も覚えてなくても……あたしはこいつに【借り】があんだよ。

 最悪な事に、ここは白兎達のいた場所から殆ど離れていない。きっと、すぐに辿り着いてしまうだろう。

 今あの身体で無茶でもすりゃ、罰どころか白兎の奴……消滅しちまうかもしれねぇ。――あたしが何とかしねぇと。

 【そいつ】は鼻歌を歌いながら、肩にかけている鞄の中から何かを取り出した。あれは……鬼面、か?

「……あーった。あった。やっぱりこれが一番しっくりくる」

 そいつは鬼面を被ると、脇差しをブンブンと上下に振った。目に見える凶々しいオーラが、ぶわっと辺り一面を包み込む。

 森の従者である鎌鼬は、その危険性を察知すると、荒ぶる風を巻き起こしながら颯爽とその場から逃げ出した。

 ……よし、それで良い。――頼んだぞ。

「さぁ、黒兎。……こっちにおいで。そして俺の願いを叶えるんだ」

「お前、般若の野郎だな? ……どうやってそいつの身体を乗っ取りやがった」

 男は手を広げながら、大声で高笑いをする。

「ひゃっはっはっは! ……そうそう、俺だよ。俺が、お前達の言う【般若の男】だよ。どうやってだって? 勿論、魔女のおかげさ。……そうだ! ちょっと世間話でもしようか?」

 男は余裕のありそうな態度を見せながら、岩に『よっ』と腰を下ろした。

「――まず、魔女は俺に力を得る薬をくれた。誰にも負けない恐ろしい力だ。本来なら、魔女の薬なんぞに手は出さない。リスクはでかいし、鬼面達の中でもずっとタブー化されてきたからな。まぁ……あの馬鹿なデカブツは、単に喉が渇いたってだけで、目の前にあった【ドリンク】を飲んじまったようだがな? まったくもって救いようがない。……阿保な奴だ。もっとも、阿保だから扱いやすいんだけどな? くくく……あははははははは!」

 男は腹を押さえ、岩の上でケラケラと笑い転げる。サヤは、静かに口を開いた。

「そうね……鬼面の中では決して、魔女の薬を飲んではいけないという掟があった。魔女の薬は【不浄の現れ、身を滅ぼす毒薬】と呼ばれ、嫌厭されてきたもの。見たところ貴方、とても賢いと思うのだけれど……何故、魔女の薬に手を出してしまったの?」

「……何故だって?」

 男は【自ら】を指差し、急に我を忘れたように声を上げた。

「【こいつ】だよ、【こいつ】! こいつが俺の事をいきなり棒か何かで、後ろから殴りやがったんだよ! ……俺をだぞ⁉ この俺を、この俺を……! この【俺様】を、だ! ……この俺を殴るなんて、絶対に許さない。お前達なら許せるか? ……許せないよなぁ? だから俺は、こいつと鷹の目を持つ娘を無惨なまでに破壊してやりたいと思ったんだよぉ。お前ら鬼面の衆らは、その巻き添え! 言わばとばっちりだ! 美しい鮮血、肉を斬りつける感触、絶望の悲鳴……あぁ、思い出しただけで興奮してくるよ」

「……狂ってやがる。気色悪りぃ」


「――クロちゃん!」

 ちょうどタイミングの悪りぃ時に、白兎と一緒にいる筈の【女】の声が聞こえ、あたしは即座に声のする方へと振り返った。

「お前……!」

 女の背に背負われた白兎の顔色はとても悪い。

「シロくんが、ここに向かっている途中に倒れて……!」

「馬鹿野郎……! 無茶ばっかりしやがって……」

 女はそっと白兎を下ろすと、じっと男の姿を見つめた。

「ソウくん……?」

「やぁ、【ミズホ】。白兎を連れてきてくれてありがとう」

「……そいつは般若だ。騙されんな」

 突然男は両手をパンパンと叩き、まるで何かのパフォーマンスでも始めるかのように両手を広げ、大袈裟に振る舞ってみせた。

「じゃあ、話の続きだ。お前達に一つ、問題を出そう。魔女が次にくれた薬の話だ。……魔女は二つの瓶を用意した。どちらにするかは俺自身が決めろと。俺が選んだその中身は、果たしてどっちだ? 俺とこの男の中身が入れ替わる不思議な薬か、それとも……俺がこの男の中に入り、完全に支配できるという不思議な薬か」

 その問いに、あたしははっきりと答える。

「お前がただの単細胞なら……答えは恐らく後者だな」

「……ほう? それは何故?」

「だってよ、中身が入れ替わるっつーのなら……奴は今、お前の身体の中にいるわけだろ? って事は日本刀を持っているわけだし、お前が奴に殺られちまうかもしんねぇじゃん。リスク高すぎ。どこの馬鹿がそんな危険な橋を渡るかよ」

「く、はははっ! 本当にそれが正しいのかな? 向こうにはデカブツを待たせている。奴が目覚める前にデカブツが刀を奪っていたら? 勝ち目などある筈がないじゃないか。そもそも奴が刀で俺を斬ったとしよう? じゃあ何か? 奴はこれから、永遠に俺の姿で生きていくという事か? ……それは面白い。ふはっ!」

 この野郎、必死に笑いを堪えてやがる。……うぜぇ!

「それと、お前の言う『俺が奴の身体を乗っ取り、支配している』が……仮に真実だとしよう。その場合、向こうに残された俺の身体は今無防備な状態だ。そっちの方がリスクが高いとは思わないのか? ……単細胞はお前の方だよ、黒兎。もっと頭を柔らかくして、じっくり考えてみたらどうだ? お前はとても頭が悪い」

「……くそっ! 馬鹿にしやがって! じゃあやっぱり、前者だ! 前者!」

「……いや、黒兎。君は間違っていない。答えは後者だ」

 白兎は、疲れ切った弱々しい声でそう告げる。

「お、自信満々だねぇ? そのわけを聞かせてもらおうか?」

「……簡単だよ。お前が、ミズホの名を知っていたからだ。身体が入れ替わるというのが正解だと言うなら、お前がミズホの名を知っている筈がない。名前を知る暇もなく、その男に殴られ、無様に意識を飛ばしていたのだからね。だから……お前が飲んだのは相手の意識や身体の全てを支配する薬。更に言えば、奪われた鬼面に込められていたオーラで判別し、この場所を当て、奴の身体を乗っ取った。……あいつの記憶から知識を得たんだよね? だから、ミズホの名前を知っていてもおかしくない」

「チッ! ……いけすかねぇ餓鬼だぜ。黒兎と違って、随分と頭が切れるようだなぁ。――そうだよ。俺はこの男を乗っ取った。俺の本体は眠っているが、デカブツが見張っている。まぁ俺は、元の身体に戻るつもりなど毛頭ないんだけどな。こいつの全てはもう、俺の物だ」

 その時、突然の稲光に辺りが眩く照らし出された。

 夜の空がゴロゴロと低い唸り声を上げ、それはやがて、ポツポツと不吉な雨を降らす。……この島での雨は珍しい。今頃、宴の参加者達は慌てふためいている事だろう。

 それはまるで、裏方に回った【夜宴の島】自体が、天候までをも操り、このパフォーマンスを大いに楽しんでいるかのようにも思えた。

「で、どうする? この状態でお前達、【俺】に手出しは出来ないよなぁ? 仲間を傷付ける事なんぞ、出来やしねぇだろ? はははっ! 実に愉快な話だ! おっと! 別にこいつの身体がどうなってもいいのなら、好きに動くがいいさ? 俺は別に痛くも痒くも無い。こんな身体……いらなくなりゃ、すぐに捨てればいいだけの話だからなぁ?」

 イカれた糞野郎の胸糞悪りぃでけぇ声が、鼓膜を振動させ、脳内まで響く。

 雨も少しずつ強くなってきてるし、状況は圧倒的に不利だ。

「俺は変わらず自由に動ける。鬼女と鷹の目を持つ娘……お前達二人を完膚なきまでに破壊すれば、もう俺の邪魔する奴はいない。このイベント、俺の一人勝ちだ! ……あ、そうだ。最後にあのデカブツも処分しておかないとな。もう必要ねぇや」

 そいつは岩から腰を上げて立ち上がると、一歩ずつあたし達に近寄る。

「この男の身体を使うのは、少々不愉快で納得がいかないが……まぁ、良い。こいつは永遠にこの俺に支配され、人を殺め……そして苦しみながら、その一生を闇の中で生き続けるんだ! ……どうだぁ? こんな最高なシチュエーション、そうはないだろう?」

 下卑た高笑いがこだまする中、女がスッと立ち上がった。

「……そんな事はさせない。ソウくんの身体でそんな事は絶対させないし、双子達も決して渡さない。サヤさんと私も、貴方なんかにやられたりはしないわ! ソウくんは……絶対に返してもらう!」

 女は即座に透明になれる薬の、残り全部を飲み干すと、急いであたし達の身体に触れた。あたし達の身体が、即座に消え始める。

「ほぉ……?」

「散らばって! 出来るだけ、早く! クロちゃん! ……シロくんをお願い!」

 女が気丈に、そして勇敢に指示をする。――こいつ、こんなに強かったか?

 とにかく女の言う通り、あたしは急いで白兎を担いだ。

「おい! しっかりしろ、白兎! 姉ちゃんがぜってーに助けてやるからな」

「……はは、大丈夫だよ。けどありがとう。――姉様」

「しっかりしろよ! 弱ってるお前なんて気色悪ぃよ!」

 あたしは兎面をほんの少しズラし、首につけていた宝玉の紐を歯で噛みちぎると、白兎の手に強く握らせた。

「これでも持ってろ。ちぃったぁ、妖力も回復するだろう」

 白兎は頷くだけで返事をしない。こいつ……やっぱり相当弱っている。どうしてそこまで……

 あたしは白兎を担いだまま、素早く樹の上部に移動する。頑丈な大木に白兎をもたれさせると、太い枝があたし達の重みををしっかりと支えてくれた。

 ここなら、全員の姿が確認出来る。って、あれ……? ちょっと待てよ?

 あたしは今、あの女に触れてもいないのに……ずっと【インビシブル状態】を保てている。

 確かあいつ……『薬を飲んだ者と身体が触れている間だけ、姿を隠す事が出来る』って、言ってなかったっけ? ……やべぇな、おい。きっとアイツは今頃、頭が一杯で……その事をすっかり忘れ、気付いてすらいないだろう。触れ続けなくても、一度触れただけで相手の姿を消す事が出来るまでに身体が変化し始めている事を……


 あいつは……【ミズホ】は……もう手遅れだ。


 あいつが隠し持っている【もう一つの薬】は、一体どんなモノなのだろうか? それがろくなもんじゃねぇって事くらい、あたしにだってわかる。……白兎の為にも、なるべく使わせたくないな。

 ふと、あたしは女に目を移した。女は……更に深手を負ったサヤに手を貸すと、サヤのペースに合わせながら、森の奥へと逃げる。

 男はまるで、それが視えているかのように……ゆっくりとその後を追った。

「――おいおい、視えてんのかよ?」

 あたしは木の枝を折り、手の上に置くとフッと息を吹きかける。木の枝は勢いよく飛び、男の後頭部に打ち当たった。

 男は立ち止まり振り返ると、キョロキョロと執拗に辺りを見回したが、やがて諦めたかのように、再び森の中へと姿を消した。女とサヤの後を追ったようだ。

 ……やはり視えてはいない。奴はあたし達の姿を認識出来ていない。

 なのに、どうしてあの二人の後を正確に追えるのだろう?

「!……そうか、わかったぜ。――おい、白兎! 聞こえるか⁉ あたしは少しここから離れる。お前はここにいろ⁉ いいな?」

「え、ちょっと……黒兎……?」

「……嫌な予感がすんだよ。あたしの予感的中率が高いって事、お前よく知ってんだろーが」

「……確かにね。君は頭が悪いけど、勘は鋭い。じゃあ……僕も一緒に行くよ」

「馬鹿野郎! お前みてぇな足手纏いがついて来やがったら、邪魔にしかなんねーだろ⁉ ……ここにいろ! いいな⁉ あと、頭が悪いは余計だっつーの!」

 あたしは白兎の返事も聞かず樹から飛び降りると、急いで奴らの後を追った。

 ――それはまるで、不気味な風と、哀しい雨に誘われるように。

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