古城の隠者の変わらぬ午後②

「――……てな訳で、来週からは俺達、村の中で暫く訓練漬けなんだ」


 誇らしそうに胸を反らせ、三人の内のリーダー格であるトトが、そんな事を言った。身体が大きく、オークらしく物怖じしない性格である彼は、いの一番に無明に対して打ち解けてくれた。食欲旺盛で早飯なのは一般的なオークの特徴だが、彼もその例には漏れない。ついさっき渡したばかりだというのに、もうジョッキの中身を飲み干して、物足りなさそうにジョッキを振って残った氷をカラカラと回している。


「勇者様が魔王をやっつけたら、エルフ様達は魔物の根絶に本格的に乗り出すつもりらしいかんな。俺達もそれに間に合うように、いつもより厳しく鍛えてくれるんだってよ」


「ボクはヤだな……」


 楽しみだぜ、と快活に笑うトトの隣で、ボソリと呟いたのは気弱なギギだ。トトに比べると背も低く、幅も細い彼はオークの中では相当な変わり種で、戦いは勿論、狩りの獲物を殺す事すら躊躇うようなであるらしい。


「ボク、弱いし。絶対付いてけないよ……父さん達を、またガッカリさせちゃう……」


馬鹿ばっか、ギギ、お前、戦士は強いだけじゃ務まんねーよ。そりゃあ最低限身体は鍛えねーといけねーけど、俺のチームには敵を殺す役と皆の盾になる役はもう要らねぇ。だって俺がいるからな!」


「俺だって居るよ」


 得意げに胸を張るトトの言葉に、それまでずっと黙っていたココが言い添える。トトよりはギギに近い体格の持ち主である彼は、いつも冷静であまり口を開かない。トトが正面から血路を斬り拓く大剣なら、ココはその隙をカバーする双剣である……というのはギギの弁だ。無明は彼等の戦い方や狩りの仕方を見た事無いが、こうして彼等と喋っているだけでも、ギギの言葉は何となく理解出来る。


「戦いは俺達に任せとけよ、ギギ! だからお前は、俺達には出来ない薬学と料理をやりゃあいいんだ!!」


「でも、訓練じゃその二つは別に必要無いだろうし……」


「班訓練じゃ役割分担が決め手になるから。基礎鍛錬さえ乗り切れば、あとは大丈夫。心配しすぎ」


 無明が特に口を挟まなくても、三人の会話はトントン進んでいく。こういう時は無理に口を挟まず、彼等の話の行く末を見守っていればそれでいい。無明も彼等と交流が通して、最近漸く分かってきた事なのだが。


 気楽な少年時代は終わり、次は大人の一員に加わる為の準備が始まる。その中で変わるモノもあれば、変わらないモノもある。変えたくないと願うモノもある。その為に、彼等は奔走するのだろう。


 微笑ましくもあり、少しだけ羨ましくもあった。


「……て言うか! 今日はボクの事は良いんだよ! それより!」


 きっとギギは、他の二人が思った以上に自身の“特技”を当てにしてくれている事に驚き、照れてしまったのだろう。顔を真っ赤にして、彼にしては珍しい大声を上げた。


「今日は使さんに話をしようって来たんでしょ!」


「……ん?」


 ただ、どうやらそれだけでもないようだった。


 少し気になる言葉の内容に無明が首を傾げるのと、トトとココがハッとしたように無明の方に視線を向けるのは、ほぼ同時の事だった。


「いけね。忘れるところだった」


「俺は覚えてたけどね」


「嘘こけ」


 放っておくと、話が脇に逸れて行ってしまいそうな気がする。トトとココの会話が一瞬切れたタイミングを見計らって、無明はそっと会話に滑り込んだ。


「俺に話?」


「そう、そうなんだよ!」


 危うくココとの言い争いじゃれあいになりそうになっていたトトだったが、無明の言葉に釣られるように、話題を戻してくれた。


「さっき、勇者様のはなししただろ。一週間前、勇者様達は魔王の城に乗り込んだって」


「……ああ。らしいな」


「おう。で、既に一週間経つ訳だろ。だから昨日、エルフ様から全オークに通達があったんだ。ほら、ここって魔界と近いだろ? 万が一の事を考えて、村で守りを固めておいた方がいいって」


「……」


 勇者一行が魔王城に乗り込んだ事は無明も知っている。なにしろついさっき、新聞で読んだばかりだ。なんでも勇者一行には超長距離でも念話出来る優秀な魔術師が居て、そいつが勇者の活動内容を逐一報告しているらしい。その情報が王宮から各情報機関に受け渡されて、それが新聞なり何なりで民衆にも共有される。


 だが無明が個人的に取り寄せている新聞は、その中でも多少遅れているものである。鴉が人間の国で掠め取ってきた時には最新なのだろうが、無明の居る古城に届けられるまでの日数はどうしようもない。それにも関わらず、勇者と魔王の対決のその後は未だに報告されていないのだ。皆が不安になるのも無理はない。


「でさ」


 トトの話はまだ続いている。力の込め具合からして、恐らく本題は此処からなのだろう。


「お前も、俺達の村に来ないか? 魔法使い」


「……は?」


 その内容もまた、無明からすれば中々に衝撃的だったが。


「は? じゃなくてさ。この辺りが危ないかも知れねえなら、お前も俺達の村に避難しといた方が安全だろ?」


「いやいや、何言ってんだお前。俺は人間で……」


「た、確かに魔法使いさんは人間ですけど!」


 あまりにも意外過ぎてしどろもどろになってしまった無明に対し、更に意外な方向から、意外な勢いを以てギギが言葉を被せてくる。


「怪我したボクを助けてくれましたし、色んな事を知ってますし、教えてくれますし! えーと、えーと、善い人ですし!」


「人間の中にはオークを差別するヤツもいるけど、しないヤツもいる。オークだって、本当は同じ」


 ギギの言葉を補強するように、ココがやんわりと言い添える。普段はもっと寡黙な印象なのだが、今日の彼はちょっと饒舌かもしれない。


「アンタは恩人だし、善い奴だ。もし魔王がこの辺りにやって来て、アンタが殺されでもしたら、俺達は悲しい。だったら、俺達の村で保護すればいいじゃんって話になった」


「何でお前が、自分の事を秘密にしてんのは分かんねーけどさ」


 再び、トトに発言の順番が回ってくる。


「お前、もっと自分の存在をアピールしたって良いと思うぜ。寧ろしろよ。俺みたいな人間もいるんだぞって。俺、ちょっとムカついてるもん。爺さん達、お前みたいな人間も居るんだって事を俺達に教えないで、ずっと人間の事を悪く言ってたんだぜ。だから――」


 それ以上、耐える事は出来そうになかった。


 口を開けばそれをキッカケに感情が溢れてしまいそうだったから、無明は無言のまま行動した。


 立ち上がり、トトの目の前にまで近付いて、その頭の上に掌を乗せる。そのまま、グリグリと撫で回した。そんな事今までした事無かったのに、そうしたいと自然に思ってしまった。大人が、子供から教わる事って本当にあるのだ。改めて、そう実感した。


「何だよ!? 子供扱いすんなよな!!」


「してない」


「嘘こけ! 俺お前のそーゆーとこ嫌いだ!! いっつも露骨に子供扱いしやがって! 俺は戦士だぞ!!」


「知ってる。いや――」


 心の中のものは、意外に伝わらないものだ。


 親の心子知らず、という言葉は、案外こういう意味も含んでいるのかもしれない。


「改めて思い知った、かな」


 この胸の内の感情を、どんなに言葉を尽くして語ろうとしても、きっと伝わらないだろう。けれど無明はそれをたった今、身を以て実感したばかりだから、話している内にきっと感極まってしまう。精一杯被っている格好付けの化けの皮が、剥がれてしまう。


 だから、これ以上は言わない。言えない。


 ムキになったトトに手を振り払われるままになりながら、無明は笑って、別の事を言った。


「少し、考えさせてくれないか。今此処で進めている研究もあるし。俺の所為でお前らが怒られるのは心苦しいから、お前達は一足先に村に帰りな?」


「お前そんな事言って、俺達の村の場所知らねーだろ! 荷物とかも持ってやるし、一緒に行こうぜ!」


「に、荷物持ちなら、ボクも手伝います!!」


「村の大人達に何か言われるのが心配なら、俺達が守るから。約束する」


 何でコイツら、こんなにイケメンなんだ。


 思わず頬を綻ばせてしまいながら、それでも無明は首を横に振った。


「お前らの事を信じてない訳じゃないさ。でも、それまでずっと続けていた習慣をいきなり変える時は、それなりに覚悟する時間が欲しいんだ」


「でも、村の場所――」


使だぜ。魔法使いは何でも知ってるもんさ」


「ぐぅ……」


 トトが言葉に詰まったように唸り、それから三人は顔を見合わせる。


 それだけで、意志の疎通は出来たのだろう。やがてトトが、まだ納得はしてなさそうな顔をしながらも、渋々といった体で口を開いた。


「時間が要るってんなら、これ以上は無理には言わねー。でも、覚悟決めたらちゃんと来いよ。もし魔王が来たら、覚悟が固まってなくても村まで逃げてくるんだぞ!」


「もちろん」


 無明が力強く頷いてみせたのを見て、取り敢えず三人はそれで良しとしたらしい。彼等が空になった木製のジョッキを無明に手渡して来て、その場はお開きという流れになった。若干ふて腐れたようにも見えたトトも、ちょっと潤んだ目で此方を見つめてきたギギも、いつもと変わらないように見えるココも、皆、本気で無明の事を案じて此処に寄ってくれたのだろう。改めてそう考えると、ちょっと、いや、大分くすぐったい。


「……さぁて」


 森の中に消えていく三人を、その姿が見えなくなるまで見送ってから、無明は深く、深く溜息を吐いたのだった。


「どうしたもんかね」



 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

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