エンドロールの向こう側
◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆
それは、例えるなら意識の無いまま真っ暗な水の中を漂うような感覚だ。
どこもかしこも真っ暗で、冷たい。けれど自分が、それを感じる事は無い。此処が何処かも分からぬまま、自分が誰かも分からぬまま、延々と、永遠に、暗闇の中を漂い続ける。そのまま行けば、自分は周りの闇と同化して、溶けるように消え失せるのだろう。
「――――――――――」
生死の狭間を彷徨うのは、これが初めての事ではなかった。それこそ自分がこの道に入って最初の頃は、毎日のように死にまくったものである。師匠はそんな自分を毎回毎回呼び戻してくれたが、同時に毎回毎回呆れたように溜息を吐いたものだ。
ヴェノム、やっぱりお前には才能が無いよ、と。
「――………………ぶはッッッッッッ!!!??」
跳ね起きる。
纏わり付いていた死の闇が引き剥がされ、急速に薄れていく。心臓はドクドクと自己主張するように暴れ回り、塞がっていない傷口からは血が噴き出るように零れ出す。曖昧だった感覚が急速に鋭敏になり、ヴェノムはあまりの痛みに絶叫した。否、絶叫したつもりだったが、実際には声は出なかった。体力が無かったのだ。
「こら、大人しくしておけ。本当はもう二、三度は死んでもおかしくないような重体だったのだぞ」
堪らずバタリと状態を投げ出したヴェノムの視界に、ぬっと馬鹿デカいおっさんの顔が現れる。厳ついが、よくよく見れば柔和な光を双眸に宿しているタイタン族の男は、リンドルと言ってヴェノムの仲間だった。竜を信仰するこの世界の神官服を来た男は、信仰の力を以てパーティの癒やしを癒やしと守護を司る。責任感の強い、朴訥とした男だった。
「もう少しの辛抱だ。もう少しで傷も全部塞がるからな。俺の祈りが終わるまで、せめてゆっくりしておけ」
「……」
目玉だけを動かして周囲の様子を探ろうとするが、けれど目玉だけでは大した情報を拾う事は出来なかった。なにしろ、リンドルの顔がデカ過ぎる。辺りがボンヤリと赤く、熱気が凄いような気がしたが、それだけしか分からない。
「……ババアは?」
「無事だ。お前を呼び戻して直ぐ、あっちに行ってしまった。きっと照れ臭いのだろうな」
「生きてんのか」
「お前のお陰でな」
「ならいい」
エレミアは高位の魔術士で、パーティの戦術的な援護を司る。蘇生術も扱えるから、倫理的な問題で死者蘇生は行えない神官の代わりに、死の淵に居る者を呼び戻す事も出来る。見た目に反して口と性格がキツく、ヴェノムとは反りが合わないが、それでも彼女には数え切れないくらい助けられた恩がある。本人には口が裂けても言えないが、大切な仲間だった。
「……」
一番気になる事は分かったので、リンドルの言う通りに大人しくする事にする。辺りの様子は相変わらず分からないし、他の二人の様子も分からないが、リンドルの証言と、それから様子を見れば、彼女等が無事なのは直ぐに分かった。ユーリ――このパーティの中核を司る勇者――の事は何も分からないが、正直、彼女が負ける姿などヴェノムには想像も付かなかった。
寧ろ気になるのは、自分達と相対していた魔王の事だ。情けない事に、ヴェノムは奴との戦いの途中で脱落してしまった。最も重要な戦いの、その結末は分からないのだ。本当はヴェノム自らの手で、奴の身体をバラバラに斬り刻んでやりたかったのに。
「……奴はどうなった?」
「うむ、魔王か」
溜息混じりに聞いてみると、リンドルは心得たように頷いた。コイツとも結構長い付き合いだ。ヴェノムが何を気にするかくらい、十分分かっているのだろう。
「結局、俺達はユーリのお荷物でしかなかったようだ。お前が倒れ、俺とエレミアがお前の傍から離れられなくなり、ユーリはほぼ一人で魔王の相手をする事になった。後はいつも通りだ。魔王のどんな攻撃も、あの娘には全く通用しなかった」
「……そうかい」
ふっ、と無意識の内に乾いた笑いを零していた。
”通用しなかった”か。なんとまぁ。何と言うか、まぁ。
「流石は勇者サマって所かね。あんなバケモノですら、モノともしねぇか。一体どちらがバケモノなのやら」
「こら。滅多な事を言うな」
ごん、と額を軽く小突かれる。そもそもコイツ、祈ってる最中だと言うのにさっきからずっと雑談してるし、随分とフランクな神官も居たものだ。
「んで? 最後はどうなったんだ?」
「全く歯が立たず、魔王は自棄になったのだろうな。最後は自身の魔力を、自ら暴走させた。その結果は、まぁ自分で見た方が早いだろう」
ひょい、とリンドルの顔が脇に退いた。両目を閉じたむさ苦しいおっさんの顔が退いた先には、何もかも呑み込むような”黒”が視界いっぱいに広がっていた。ちらほらと視界の隅の方を舞っているのは、もしかして火の粉だろうか。
「早い話、”自爆”した訳だ。それはもう酷いもんでな。俺も全力で結界を張ったが、ハッキリ言って意味無かったな。ユーリが護ってくれなけりゃ、俺達は一人残らず魂まで消し飛ばされていただろうよ。ユーリと俺達以外は、魔王も魔王城も消し飛んじまう有様だ」
身体を起こす。
ヴェノムが戦闘から脱落する直前まで居た筈の、”玉座の間”とでも言うべき広間はそこには無かった。あるのはただ、焼け焦げてあちこちから煙を噴き上げている魔王城の残骸と、広範囲に渡って焦げたり融けたりしている大地だけだ。
よくよく観察すれば、ヴェノムにもリンドルにも火除けの守護が掛けられている。言うまでもなくリンドルによるものだ。何処に居るのかは知らないが、姿の見えないエレミアも同じ守護を掛けられているに違いない。でなければ、生きていられる訳が無い。理屈でどうこう言う前に、生き物としての本能で感じ取れる。
「……」
元々から陰気な場所だったが、今やすっかり死の大地だ。魔物とは他の生物を破壊し、殺さずにはいられない糞のような生物だが、その王ともなればその迷惑度合も桁違いらしい。死んでくれて本当に助かった。
「ま、なんだ」
立ち上がる。
視点が上がると目に見える範囲も変わるものだ。やや離れた場所にエレミアが立っているのを見付けた。彼女は最初、身体を此方に向けていたが、目が合うや否や、プイと視線を切って奥に歩いて行ってしまう。折角庇ってやったのに、可愛げの無いババアである。
「オレ達の旅もこれで終わりか。長かった気もするが、終わってみると案外呆気なかったなァ」
「なんだ。寂しいのか?」
「ケッ。言ってろよ」
エレミアが歩いていった、その更に奥。大地が融けて溶岩の湖畔のようになっている場所の前に、白い少女の後ろ姿が見える。昏く、熱く、それでいてどこか寒々しい荒涼とした世界においても、決して輝きを失わない神々しい背中。「神に愛されている」とは、まさにあんな感じを言うのだろう。
「……アイツ、これからどうすんだろうな」
「さぁな。だが、世界を救った英雄様だ。何処の国もほっとかんだろう。それだけは確かだ」
「フン」
それなりに長い付き合いだ。彼女が聖人のような性格である事も、勇者と呼ばれるに遜色無い器である事も、ヴェノムは知っている。嫌と言う程知っている。
だが、ヴェノムが彼女が何を考えているのかを見通す事は、遂に叶わなかった。彼女が内心で何を想っているか、ヴェノムは分かった事が無い。今だって分からない。
「――……どいつも、こいつも」
物理的な意味でも、それ以外の意味でも、遙か遠くにある背中だった。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
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