そして彼等は邂逅する①
◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆
無明が暮らす古城は、人間の国から追われた稀代の天才の隠遁の地だった。国のみならず世界中からの期待を一身に受け、そして失敗した天才はこの地に逃がれ、失意のままこの世を去った。
その前は、どこぞの風変わりな魔術士の隠れ家だったと言う。その魔術士は打ち捨てられ、朽ち果てた古城の必要な部分のみを己の好きなように改造し、その他の部分には頓着しなかったという。だから古城の最上階が無駄に凝った図書館に変貌しているにも関わらず、その他の部屋や広間、廊下なんかは壁や天井が崩れても、草木がそこから侵入しても、ほったらかしのままなのだ。
そして更にその前は、嘗てこの辺り一帯の土地を治めた領主が住まう城だったらしい。小高い丘の上に立てられた城は崖下に湖を臨み、その対岸には、嘗ては栄えていたであろう城下町跡が見える。今は森に呑まれて、その痕跡が木々の間から覗くばかりだ。森の中に踏み入って暫く歩いても街の痕跡は中々途切れないから、相当に大きな街だったのだろう。もしかしたら、今は名前すら忘れ去られた国の首都だったのかもしれない。
尤も、既に過ぎ去った日々の話だ。此処にはもう、ヒトビトから忘れ去られたモノしか残っていない。
「……国破れて山河あり、だっけか」
森の外では日が落ちて、地平線に沈み往こうとしている頃合いだろう。森の中は外よりも夜がやって来るのが早いから、既に森の中は薄暗い。木々の向こうから少しばかり夕陽の橙色の光が煌めいているのが見えるくらいで、それも現在背中を向けている無明には見えない。進めば進む程に暗さと緑の濃度が増していく森の中に進んでいくのは、魔法使いである無明にとっても少し気味が悪い。いつもはもっと明るい時間にやって来るのだけれど、今日は何しろ忙し過ぎた。考え事をしながら研究をダラダラと続け、何の成果も出せないままにこんな時間になっていた。
城下町跡に入り、少し歩く。やがて苔むした石畳の広場が見えてきて、その中心には枯れた噴水と、石畳を引き剥がして作られた二つの墓があった。広場や噴水に比べると、墓は二つともまだ新しい。その前に一輪ずつ備えられている白い花は、萎れてはいるがもっと新しい。
「……どうも。また来ました」
その前にでしゃがみ込み、無明は先ず、既に萎れてしまっている二つの花を回収した。花は無明の手に触れてから一拍置いて、急速に生気を取り戻していく。瞬く間に摘み立て同然の瑞々しさを得たそれを二つの墓の前に備え直してから、無明は墓に手を合わせ、瞑目する。
嘗ては、この瞑目の間に色々な事を想ったものだ。それは祈りだったかも知れないし、贖罪の念だったかも知れない。或いは、もしかしたら恨み言だったかも知れない。けれど今は、只の瞑目である。想いが消えたとは思いたくなかったが、時間の流れとそれに伴う慣れは、良くも悪くも強力だ。それを思い知った。
「……こんな時間に、すみませんね」
瞑目の区切りとして軽く一礼し、無明は目を開けた。
「どうしても、お二人に相談したい事がありまして」
当たり前だが、墓からは何の応答も無い。”相談”なんて言いはしたが、結局は無明の独り芝居だ。
分かっている。
分かっているのだ、そんな事は。
「勇者が、ついに魔王と決着をつけに行ったそうですよ。魔王城に突入の報せからは、今の所、何の音沙汰も無いのだとか」
嗚呼、それでも気になるのだ。
この報せを彼が聞いたら、一体どんな顔をするのだろうかと。
「万が一の事を考えて、近くの村のオークは村の守りを固めるそうです。俺も、来ないかと誘われました。ほら、いつも話しているあの三人ですよ。万が一の事があれば、彼等が差別から守ってくれるそうです」
暗い暗い森の中。人気の無い、打ち捨てられた廃墟の中。
ボソボソと覇気の無い男の声だけが鬱々と紡がれ、闇の中に融けていく。
皮肉な話だ。墓の主はさっさとあの世に旅立ったと言うのに、取り残された無明だけが、まるで幽霊みたいにこの場にに留まり続けている。吹っ切って何もかも放り出す事も、居直って彼等の夢を継ぐ事も出来ないまま、延々と同じ場所に留まり続けている。
いい加減、そんな自分に嫌気が差していたのだ。
「……行こうかな、と考えています」
返事は返ってこない。
分かっていても、その言葉を紡ぎ出すまでには若干の時間が必要だった。
「此処にも、二度と来ない」
言葉尻が、微かに震えたような気がする。けれどそれを嗤う相手はおらず、ましてや返事を返す者も居ない。
「……」
沈黙に沈黙が重なって、息が詰まりそうな程に分厚くなっていく。何時の間にか心臓の鼓動はバクバクと大きくなって、頬を一筋の汗が伝うのを感じた。
「……………」
静かだった。ただひたすらに、静かだった。
当たり前だ。何しろこの場には無明しか居ないのだから。墓に向かって話し掛けた所で、その主が成仏しているのでは会話に発展する訳が無い。風は無く、葉擦れの音や虫の鳴き声すらも聞こえない。耳が痛くなる程の沈黙の中で、けれど無明は口を開かないまま黙ってる。
次の瞬間かも知れない。或いは、その更に次の瞬間かもしれない。
そんな有り得ない可能性に縋り続けて、ただただ時間を浪費していくばかりだった。
「…………………………」
結局。
答えは返ってこなかった。
小さく溜息を吐いて、無明はゆっくりと立ち上がる。静かな熱狂とも言うべき時間が過ぎ去ってしまうと、後に残るのは空虚な空しさだけだった。
「……また来ます」
言ってしまってから、ハッとして口を抑える。たった今、もう此処には来ないと宣言したばかりだったのに。こんなだから自分は、何時まで経っても此処から離れられないで居るのかもしれない。
胸中に溜まった自虐の念を吐き出すように、溜息を一つ。
パキ、と誰かが迂闊に小枝を踏んづけて、折ってしまった音が響いたのはその時だった。反射的に振り返ると、小さな人影が一つ、茂みの向こうへ消えていくのが何とか見えた。
(子供……?)
茂みの奥に消える瞬間、長い銀色の何かが見えた気がする。あの感じだと尻尾か、翼か、それとも髪か。少なくともオークではないだろう。オークは基本髪は短くするのを好むし、またオークには翼や尻尾などの身体的特徴を持つ個体は居ない。
となれば翼や尻尾を持つ何らかの種族か、長い髪を持つ何らかの種族だろう。オークでないとしたら、やはり珍しい。こんなド辺境に、元から住んでいるオーク以外の種族がやって来るなんて。
「……」
珍しいとは言え、オーク以外の種族が此処に居てはいけない決まりは無い。無明がわざわざ様子を見に行く道理も無い。が、逆に様子を見に行かないというのも変な話だ。人影は小さく、子供である可能性が高い。そしてこの森は原初の形を色濃く残していて、地形が整備されている訳でも無いし、危険な獣だって徘徊しているのだ。
「……」
瞑目し、先ずはこの場一帯の時間の流れに触れる。時間に干渉する時は必要最低限に留め、世界に対する影響を極小に留めるよう心掛けなければならない。否、これは時間を対象にした時に限らず、魔法を扱う場合全てに適用されるルールと言っていいだろう。
三〇秒前の時間にアクセスし、更に今はこの場に無い生命反応を検索。ヒット。広場を縁取る茂みの中、墓に向き合っていた無明の丁度真後ろに、誰かが隠れていたらしい。”時間の記憶”として無明の目の中だけで像を結んでいるその姿は、見た限りでは人間の少女に見えた。華奢な体格に、幼いながらも整った顔立ち。貴族のご令嬢のように思える素朴ながらも上品なドレスを着ているが、土に汚れて明らかに森歩きには慣れていない。
こんな所に、人間族の子供が、たった一人で? ますます心配になってきた。
その存在に焦点を合わせ、五秒毎のその位置情報を新しく追加したものを視界の中に更新していく。五秒毎に増えていく彼女の幻影を追い掛けて、無明はその場から歩き出した。
(……なんでこんな所に、あんな子供が……? 物好きな貴族が子供を連れて狩りにでも来たとか? でも此処は、スポーツとしての狩り場には向いてないしな……)
疑問は色々ある。が、今は全部後回しだ。取り合えずは彼女を保護するなり、事情を聞くなりしなくては。
視界の中に残った彼女の幻影を追い掛けて、無明は大股で歩き始める。森の中を歩き慣れている大人の足と、歩き慣れていない子供の足。結果は、火を見るより明らかだった。
「ちょっと、そこの子」
茂みの中にしゃがみ込んで、それで隠れているつもりだったらしい少女に向けて声を掛ける。
「こんな所で、何してるんだ?」
闇の中でも爛々と輝いている、紅い目。小さく華奢で、質素だが貴族の娘が着るような上品なドレスに身を包んでいる子供には似つかわしくない、獣を思わせる鋭さがあった。
「お父さんとお母さんは? もうすぐ夜になる。今すぐに帰った方が良い」
「……」
片や、物陰を盾にして警戒するように睨み付ける少女。片や、フード付きのローブに身体をすっぽりと包んだ怪しい男。第三者が見れば、通報待った無しの光景かもしれない。
尤も、此処には通報する第三者も居なければ、通報を受ける警察も居ない。変な心配をする必要は無かった。
「そんなに警戒しなくて良い。俺はただの地元民だから。えー、っと、道に迷ったのなら、森の出口くらいまでなら案内できると思うが……――」
初めてオークの子供三人衆と出会った時も、最初はこんな会話の流れだった気がする。元々、無明は話をするのがそんなに得意ではないのだ。オークの子供達やその他諸々に鍛えられていなかったら、多分これよりもっと酷かっただろう。話すと言うより、只の挙動不審だった可能性すらある。
……此方の他意の無さを伝えるのって、案外難しいものだ。
「あ」
長い銀色の髪を尻尾のように翻して、少女はその場から逃げ出した。
否、逃げ出そうとしたと言うのが正しいだろう。何しろ逃げ出したその直後、彼女は木の根か何かに蹴躓いてバランスを崩し、前のめりに転んでしまったからだ。
「うわ!?」
顔から派手に行った。アレは痛そうだ。
慌てて無明は駆け寄って、助け起こそうと手を伸ばす。
「大丈夫か!? どこか痛い所は……!?」
その手を凄まじい勢いで叩かれたのは、直後の事だった。
「――触らないで!」
少女だった。
無明が手を伸ばした事に気付いた瞬間、彼女は他の何よりも優先して、無明の手を弾いてきたらしい。やはり貴族のお嬢様は気位が高いのかと思ったが、此方を見る紅い目には、それだけでは説明が付かないような、切羽詰まった”恐怖”の色が浮かんでいた。
「私の血に触っちゃダメ! 私は……!」
運悪く木の根か小石かにぶつけてしまったのだろう。彼女の額はパックリ切れて、血が流れ出していた。暗い森の闇の中でも紅い煌めきを放つ、吸い込まれるような真紅。
「――」
囁き声が聞こえる。耳に心地良い、蕩けるような甘い声。何と言ってるかは分からないが、だからこそもっと聞きたい。
否。もっと言うなら。
触れたい――
「ダメーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーッ!!」
どん、と。
思い切り突き飛ばされた。それはもう全力で突き飛ばしてきたのだろう。無明は引っ繰り返って後頭部を強打し、勢い余ったらしい少女はそんな無明の上に馬乗りになる格好になっていた。
理由は分からないが、少女はとにかく必死だったらしかった。けれど彼女の思惑とは裏腹に、馬乗りになった彼女の額から一滴、真紅の粒が零れ落ちてくる。それは音も無く無明の胸の辺りに浸透し、無明の体内に侵入してくる。
「ああ……っ!」
自身の行動が裏目に出た事に気付いた少女の顔から、さぁっと血の気が引いていく。元から血の気の無い青白い顔をしていたから、最早病的な域である。
病的。病的か。
成程。
この血の持主なら、その肌の特徴的な白さも、子供ながら異様なまでに整った目鼻立ちも、全部、全部納得が行く。
「お前さん、吸血鬼か」
「ひ……ッ!?」
無明がその言葉を口にした瞬間、少女は火箸を押し付けられたように身を竦ませた。
「ごめんなさい、ごめんなさい! わざとじゃないの! わざとじゃ……!」
無明の上から身体から転がり落ちた彼女はボロボロと涙を溢し、取り乱しながら赦しを乞うてきた。尻餅を突くような格好のまま後退り、無明から極力距離を取ろうとする。立ち上がって近付くと、彼女はピタリと黙り込み、両腕で頭を庇った。まるで、これから無明が彼女に暴力を振るうものと、そう思っているかのようだった。
……まぁ、それは無理もない。通常、吸血鬼はそうされても仕方無い生物だ。
「ちょっと、落ち着きな」
「ごめんなさい、殺さないで、ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい、焼かないで、焼かないで、ごめんなさい、私にはどうしようもないの、ごめんなさい……」
これはダメだ。話が通じない。
仕方無かったので、強引に話を進める事にした。
「ちょっと失礼」
「……」
手を伸ばし、彼女の腕の防御をすり抜けて、額の傷口に触れる。癒しの術を灯した指で傷口をなぞって塞ぎ、そそくさと彼女から離れる。何をされたのか分からなかったであろう彼女は、一先ずはこれ幸いとばかりに身体を縮めて、自分の身を守る体勢を取った。
無明は何も言わなかったし、言った所で彼女には届かなかっただろう。夜の闇に呑まれ始めた森の中で、暫く無明は、少女が啜り泣く声を黙って聞いていた。
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