仮面を被りて竜は吼える②

「――いたいた。ユーリ、先に進むんじゃねぇよ」


 軽薄なように聞こえる、錆び付いた男の声がした。直後、ユーリと呼ばれた白い少女の背後から、ぞろぞろと複数の影が無遠慮に入り込んで来る。


「お前が仕事熱心なのは知ってるけどよ。細かい仕事だってきっちり終わらせねぇとダメだぜ!」


 双剣を携えた、極限まで削いだ刃のような印象を纏う細身の男。種族は白の娘と同じ、人間だ。ムッとするような重い異臭が、広間の中に入り込んできた気がした。


「ヴェノム、敵の前よ。集中して」


「最後の敵だ。これでようやく終わる……――」


 続いて入ってきた、神聖文字の刺繍が入ったローブに身を包んだ、エルフ族の女。最後に扉の隙間を無造作に広げて入って来た、竜神を奉る神官の法衣を着て巨獣のいびきのような太い声で喋る、巨人タイタン族の男。


 一目で分かる。どれもこれも、歴戦の猛者だ。個々で見れば白の娘に遠く及ばないが、彼女の供に相応しく、且つ三人寄れば、白の娘とはまた違った厄介さを持つであろう戦士達。


「貴様……!」


 だが。


「その、手のもの、は……!?」


 自分が彼等から目を離せなくなったのは、もっと別の理由からだった。


「あぁ、これか? ははッ、返すぜ。


 ヴェノムと呼ばれた双剣士。軽薄で酷薄な笑みを浮かべる人間族の若い男。暗い中で分かり辛かったが、彼は真っ赤に染まっていた。髪にも、服にも、全身の至る所を血で染めていたのだ。


 ……その手に、提げ持っていたモノは。無造作に此方に向かって放り投げられて、ゴロゴロと転がってきたモノ、は……――!


「……何故だ!?」


 逃がした筈の、領民達の首だった。


「此奴等は貴様等に刃など向けなかった筈だ! 妾が、仮に見付かってもそうせよと、よくよくそう言い含めた!! 第一こやつらは、戦いなど出来なかった筈だ……!?」


「ああ。はすっげー楽だったな」


「ヴェノム、黙って」


「愉快だったぜぇ? みんな勝手に跪き始めてよ。”命だけは助けてくれ”。”どうか子供だけは見逃してくれ”――」


「ヴェノム――」


 情景が、目に浮かぶ。


 言いつけを守って、誇りと膝を折って命乞いをした領民達を、コイツらは殺した。 それならせめて子供だけはと懇願した領民達を、コイツらは殺した。


 彼等は戦えず、自分の下に残り続けた者達だったが、自身が何者なのかは知っていた。人間と殺し合う事は出来なくても、信念を曲げて命乞いする事は是としなかった者達だ。そんな彼等を守れそうにないからと逃がしたのは自分だ。彼等の誇りを傷付け、万が一見付かったら投降せよと言い含めたのは自分だ。


 自分が、自分こそが。


 彼等の心を、矜持を、殺してしまったのだ――


「――ザマぁ見ろこのバケモノが!!!!」


 昂る感情を押さえきれなくなったのか、人間族の男の声が、一気に跳ね上がった。


「思い知ったか、これが俺達の怒りだ!!!!」


 自分はその声に反応する事も出来ず、恨めしげにこちらを睨む領民の首をただただ見詰める。自分でも意識しないままにその前に跪き、拾って抱き締める。


 涙は出ない。


 ただ抱き締めた首が、重かった。


「テメェの死体は、王都の広場に吊してやるよ!! そっちのガキも一緒になぁ!!!!」


 金属が滑る、涼やかな音。二つ同時に聞こえて来たから、人間族の男が自らの双剣を抜刀した音だろう。他の三人が彼の名前を呼ぶのが聞こえたが、その意味など自分には分からない。分からなくて良いし、分かりたくもない。


「は」


 涙は出ない。


 罵声も、叫びも、唸りも、何も出ない。


 グツグツと煮えたぎるドス黒い感情に焚かれて、外に出る前に蒸発していくから。


「はは、は、ははははは……」


 視線を上げる。


 剣を振り翳して此方に走って来ようとした人間族の男が、その場から。彼が咄嗟にガードした所為で致命傷は負わせられなかったが、まぁいい。機会はこれからたっぷりあるだろう。


「今のは何!?」


「尻尾だ! 奴め、尻尾を槍のように……!」


「尻尾って……どんだけ距離が離れてると思ってるのよ……!」


 エルフとタイタンが短く言葉を交わしながら、各々の武器を抜いて構える。その向こうでは、吹き飛ばされた人間族の男が口汚く喚きながら起き上がり、自らも戦線に復帰しようとしていた。


 そして、彼等のリーダーである白の少女はと言えば。


よ」


「!」


 彼女は、エマに視線を遣っていた。その目には敵意や殺意といった激しい感情はなく、ただただ、自分本位の善意と憐れみに満ちていた。


 虫酸が走る。対峙しているこの四人の中では、やはりこの女が最も癇に障る。


「先程の貴様の申し出だがな」


「……! うん」


 まさか、自分に都合の良い展開を期待したのだろうか。白の少女は他の三人を片手で制し、彼女は此方の言葉の続きを待つ様子を見せた。


 だから、自分は後ろに隠れていたエマを抱き上げて見せる。エマはビックリしたようだったが、特に抵抗もせず、声も上げたりせず、大人しくしていた。腕にしっかり抱いた事で、少し安心したのかも知れない。今の彼女は、そんなに震えていなかった。


「――この子は渡さぬ。この子には妾の供を命じる。妾と共に戦い、妾と共に死ぬだろう」


 白の少女は、一瞬思考が止まったようにポカンとしていた。それだけなら痛快だったが、当然、彼女もそれだけでは終わらない。ガラスのように表情を硬くすると、彼女もまた自らの剣を抜刀した。


「……最低。その子の命はその子のモノでしょ。貴女がどうこうしていいものじゃない」


「貴様のものでもなかろうが。ましてや貴様は、。そういうヤツがほざくのさ。等とな」


 エマの手が、自分の服の胸元を握るのを感じた。


 本当は彼女には申し訳無く思っていたから、自分は若干、内心で怯えながら彼女の方に視線を向ける。


 彼女はただ、此方を見ていた。真っ直ぐに此方を見ていた。心の何処かでホッとすると同時に、胸の内にドス黒い感情以外のものが生まれるのを感じた。彼女のお陰で、自分は、自分が何者なのか最後まで忘れずに済みそうだ。


「――……我は、魔王。貴様等が忌み嫌う魔物共の王よ」


 身体の内側に巣くう魔力を、解放する。空気が震え、広間そのもの、城そのものが低い唸りを上げて鳴動し始める。相対する四人も、戦いの気配を感じ取ったのだろう。各々が素早く動いて、瞬く間に陣形を整えていくのが見えた。


「招かざる客共よ、よくぞここまで参った。大したもてなしも出来ぬが、何、せめてゆっくりしていけ」


 自分は魔王だ。領民を守れず、その死に様すら守ってやれなかったが、まだ一人だけ、領民が残っている。腕の中に、一人だけ残っている。


 先に逝ってしまった者達の無念の為に。そして最後に残った領民エマが、本当の意味で生き残る為に。


 後悔も懺悔も、後でいい。今は、自身の責務を果たさねばならない。



「――死をくれてやる。その微睡みに身を委ねるが良い」



 誰が最初に動いたのか、今となっては思い出せない。


 長い、長い死闘の始まりだった。




◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇




 

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