第4話
「アイツなんかあったのか」
机の端に腰をおろしながら声をかけた。今日は休日だが特にやることないので結局仕事をしてしまう。提出期限の迫っている書類をテキパキと作成している後輩のスピードは依然落ちることなく、この調子なら今日中に終わるだろう。
「誰のことですか?」
「香墨だよ。さっきちょっと寄ったんだが、いやに素直というか」
「珍しいですね、香墨さんに用があるなんて」
数日前、香墨の家の周りで例の猿を見たという話を聞いて目撃された場所を回っていたのだ。現場百遍。村人が精魂込めて作った野菜をこうも荒らされては困るし、放っておけば群れで来るようになる。早々にとっ捕まえて懲らしめないと。
「どうでしょう。三日前に会った時は変わりなかったですよ? 明日遊びに行こうと思ってましたけど……あとで伺ってみますね」
「つかお前そんなにアイツんとこ行ってんのかよ」
「え? サクラさんとは毎日会ってるじゃないですか」
「俺と比べてどうすんだ……」
俺とは毎日会ってるから香墨とは少ないほうだ、みたいな感覚がいまいちわからん。最初は甘味で餌付けされてるだけかとも思ったが、話を聞いてるとどうも違うように見える。香墨はふわふわと何処かへ飛んで行きそうな不安定さがあるから、地に足の着いた狐月は放っておけないのかもしれない。
「……。おい」
「なんですか?」
「お前パトロール行って来い」
「え」
「書類全然進んでねぇだろ。気になるもん先に片してこい」
後輩は嬉しそうに小花を舞わせると、「いってきます」と元気に出掛けていった。香墨の名前が出た途端これだ。分かりやすいったらありゃしねぇ。
先日お邪魔した時に変わった様子は見られなかった。意外にも怪談話が苦手なようで、誰に対しても変わらない態度をとるあの人が一生懸命話題を変えようとしていた様子が妙に記憶に残っている。あの日は早めに帰ったけれどその後何かあったのだろうか。考えていても仕方がない。今は少しでも早く香墨さんの家に行きたい。
(怖がった香墨さん、ちょっと可愛かったな)
村と香墨の家を結ぶゆるい上り坂を歩いていると、大きな独り言で我に返る。
「あれー、これもやられて! どうしたもんかねぇ、困ったねぇ。はー、やれやれ」
この声は五鬼助のおばあちゃんだ。見るといつもは綺麗に整っている畑がひどく荒らされていた。彼女はいつも自家製のお漬物や煮物を皆に配っていて、村のお母さんのような存在といえる。畑は害獣被害によるものか。
「あら狐月ちゃん。ちょっと見ておくれよ。ひっどいだろ〜? ついにあたしンとこもやられちゃったよぅ。ちゃんと網とかライトとかやってたんだけどねぃ。例の猿だよ、猿」
「こんにちは。これはひどいですね」
「だろぅ? さっきも桜花さんに見てもらったんだけどねぇ。他所ンとこは罠しかけてもリンゴたけ上手に持ってくらしいよ」
「そうなんですか。賢い奴です。僕らも何とか捕まえようと思ってるんですがなかなか……」
実際、連日森を捜索してみたり罠を仕掛けたりとやってみたが確保するには一歩足らず未だ後手に回っている。回を重ねるごとにあちらも学習しているようで、長期戦は得策とは言えない。害獣対策も大切なのだが、それよりも今は――。
「狐月ちゃんのせいじゃないけどねぇ。何とかして早く捕まえておくれよ」
「猿だ! 猿が出たぞ‼」
「‼」
村の方から誰かの叫び声がした。わらわらと集まった村人の手には鍬や数珠や札やその他諸々怪しげな物を手にしている。このままでは猿の身も危険だ。タイミングが良いのか悪いのか。
「皆さん落ち着いてください!」
ちらりと坂の上を見てから、村人の元へと走り出した。
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