第2話

 この村に来た頃の田んぼは稲が頭を垂れそれは綺麗な黄金色に染まっていたが、今ではすっかり寂しくなってしまった。そんな事を思いながら歩いていると、少し先の畑に小さな人影が見える。この寒いのに畑仕事とは頭が下がる。よく見ると、一人で運ぶには少々多い大根の前でご婦人がなんとか両手で持とうとしている所だった。

「手伝いましょうか?」

 ころりと落ちた大根を拾いながらそう言うと、背中の曲がった小さなご婦人が顔を上げた。クリーム色の狐耳の間に小さな角のようなものが付いている。

「見ない顔だね」

「香墨と言います。まだここに来て日が浅いのもので」

 基本カミ蟲との仕事は人と会うことはない。なので村人と知り合う機会もあまりなく気がづけば二ヶ月が過ぎてしまった。こういう村ではこまめに挨拶したり顔を出さないと受け入れて貰いにくいだろうか……。

「ああ、あんたが香墨さんかい。話は聞いてるよ」

 ……話?

「あたしゃその面を見てピンときたよ。香墨さんじゃないかってね。だってそんなインクで汚れた面付けてる人、この村にいないもの。あっはっは」

 明るい御婦人だ。僕の事を話題に出す人など、一人しか思い浮かばない。

「この大根はどちらへ?」

「悪いねぇ。じゃあウチまで運んでくれるかい? ちょっと行った所だから」

 まだ土がついたままの大根を6本ほど腕に乗せられ、朝の10時過ぎなのか昼なのか、はたまた夕方なのか分からないどんよりと明るい空の下歩いていく。御婦人はその曲がった背中から予想する年齢とは裏腹に案外歩くのが早かった。

「今年はよく出来てねぇ。欲張って抜いたら持ちきれなくて困ってたとこさね。ありがとねぃ」

「いえいえ。そう言えば最近畑を荒らされるって聞きましたけど、奥さんの所は大丈夫なんです?」

「やだよぅ、奥さんなんて。みんなあたしの事は五鬼助(ごきじょ)のおばあちゃんって呼んでるよ。あんたもそう呼びな。そうそう、猿。ウチは被害ないんだけどね? 知り合いや友達がこっぴどくやられてねぇ……。困ったもんだよ。収穫できるようになるまでどれだけの手間がかかってるか。あ、家はここだよ。ありがとう、助かったよ。ちょっと待ってな」

 相槌を打つだけでどんどん話が流れていく。五鬼助のおばあちゃんは庭にある水道で運んできた大根の一つをたわしで洗い、手ぬぐいでざっと拭いた。採れたての真白い肌が顕わになる。

「はい、お礼に一つ持っておいき」

「え……」

「ほら、遠慮しないで」

「……。ありがとうございます。じゃあ、遠慮なく」

 にっこりと笑ってその場を離れると、大根片手に馴染みの定食屋に足を向けた。


 ご飯時から外れた時間のせいか、定食屋は人もまばらで落ち着いている。看板娘が温かいお茶を持ってきてくれた。

「どうしたんですか? それ」

「お礼に貰っちゃって。ここで使ってくれると嬉しいんだけど」

「あ〜……ごめんなさい。うちも大根余ってて」

「だよねぇ。時期だもんねぇ」

「ご注文は?」

「天ぷらそば一つ」

「かしこまりましたぁ」

 料理が来るまでの間、しばし店内の会話に聞き耳を立てる。一人黙々と食べている人。仕事の話をしている人。そして――。

「昨日ずっと大根と睨めっこしてたの! もー疲れたのなんのって」

「あ〜、切り干し大根? 後々助かるのは分かってるんだけど、やっぱり冷たい水も使うし嫌だよねぇ」

「数の暴力」

「でもあとは干すだけなんでしょ?」

「そう!」

 何処かの主婦のランチトーク。切り干し大根ねぇ。切って加工するくらいなら出来るかもしれない。それで売ればいい。

「天ぷらそばおまたせしましたー」

 ほかほかと湯気を上げる天ぷらそばに、俺の思考はそこで止まった。

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