第二節 量子流体演算子、その名は『神』
カッと頭に上った血は、思考を焼き尽くす。
冷え切った怒りと、凍える憎悪が私を満たし。
おかげで無防備を晒すこともなく、ありがたくもない廻坐の言葉を、いっそ冷静に聞くことができた。
「星々の輝きを功子で圧縮し、この掌の中に納めたが、この星の内海。無際限に続く空間であり、掌ほどでもある矛盾塊よ。内部に満ちるは命の水ぞ? 量子流体演算子──自ら形を変えることとで、無限の演算を可能にするわしの現し身といったところか」
空間内の半数を満たす、輝く液体。
量子流体演算子の内部は、何処までも透き通っていた。
演算子の湖底には、なにかが安置されている。
それは私の赤備えの鎧によく似ている、白銀の躯体だった。
三つのパーツよりなるそれは、別々に安置されており、その周囲だけ演算子の密度が高く、濁って見える。
まるで、流体が躯体を噛み締めているように。
……どうしてだろうか?
私はその躯体に、思慕のようなものさえ覚えて。
「〝
そんな躯体の真上に。
湖に繋がる玉座に座る形で、彼奴は存在していた。
廻坐乱主。
帝都で出遭ったそのときと、寸分違わぬ姿で彼奴はいて。
また、レコードの奏でるでたらめな音楽に耳を傾けながら、つまらなそうに食事を取っている。
「レコードといえばレコードじゃがの。永劫耳を傾け待ち続けたこれを、そう語るのも味気ない」
呆れたような表情で、彼奴が笑う。
「これは世界の運命、アカシックレコードなのじゃがな」
アカシックレコード。
一度、ヴィーチェが口を滑らせた記憶がある。
「ふむ? 魔女めもすべてを教えるほどに愚物ではなかったか。
じゃが、と。
彼奴は口元をつり上げて笑う。
「たった一つだけ、レコードに干渉し、運命すらねじ曲げるちからが存在する」
それが。
「それこそが、功子! 渦動因果録干渉因子! 全知全能に至るための道しるべ。そのことは、これまでの旅路で嫌というほど痛感したのではないかの、おぬしこそが?」
「…………」
「ふぉっふぉっふぉっ。そう恐い顔をするでない。わしはこんなにも、おぬしを待ったのじゃぞ? 少しぐらい遊ばせて欲しいものじゃ。二千年の過去、三千年の未来。それを幾千幾度……これだけを費やして、おぬしを待ち望んだ。まずは、再会を祝そうではないか!」
言うなり、彼奴の前に円卓があらわれた。
円卓の上には、無数の料理が並んでいる。
豚の丸焼き、野菜の盛り合わせ、芳ばしい香りのスープ、見たこともないような、しかし甘やかな甘味の数々。
混合一体となった美味の芳香が、こちらへと吹き付け。
「どうじゃ、有木希戮中尉。弱き憲兵、女々しい希戮。わしの隣に立つつもりはないか? 超越者として君臨するつもりはないかの? もし、一つ頷いて見せるのなら、ここにある食べ物は──いいや、いついかなるときもおぬしを餓えさせぬとわしは誓おう」
「以前にも答えたぞ、物狂い」
これから殺す相手に饗されたものを食べるほど、私は愚かではないと。
「ふむ、料理では不服か。しかし、この旅路の中で、おぬしは美味い飯というのがどれほど貴重か、知ったのではないか?」
「…………」
「むぅ……これだけの時間をかけても……いいや、かけたからこそ不足であるか。よい、それでこそわしの横に並び立つ価値を持つおぬしじゃ。これでは足りぬ、ということじゃな?」
勝手に納得した神を騙る何者かは。
ゆえに真実を語ろうと、立ち上がる。
「おぬしが守るべき者は、もはやこの世の何処にもない」
……なに?
「五千年前、わしが見いだした功子知覚者は、宗教をでっち上げるので精一杯じゃった。せっかく生き返らせてやったのに、わしの意志に従わなんだ。じゃから消した、渦動因果録から」
「なにを」
何を言っている?
「わしは人間という種が、いかに愚かかを学んだ。そうして長いときのはてに、おぬしを見いだした。おぬしはわしの期待通り、三千年の時をかけて、自力で蘇った。おっと、肉体を作ってやったのはわしじゃぞ? 幼女にしたことにも、意味はある。成人するまで待つのは、なかなかもどかしく楽しかった」
物狂いが戯れる。
狂った言の葉が、レコードの奏でるでたらめの音楽とともに垂れ流される。
「おぬしが死んだあの日、わしは運命への干渉を決意した。まずはすぐさま世界を統一し、再び戦争をけしかけ、あらがうは構わずに滅ぼし統合した。そうしてすべての人類の未来を奪い、それを使ってアカシックレコードをねじ曲げた。できあがったのが、この弩級構造体よ。本来の運命には存在しない、ゆりかごじゃ。それで、有木希戮中尉、おぬしはどう思う?」
廻坐乱主は。
「この弩級構造体は、なんのために存在すると思う?」
両手を広げ。
「答えは単純じゃ。おぬしが守るべき者を、すべてをなくすため。功子を集めるため。なにより!」
嗤った。
「──おぬしを神にするためじゃよ、希戮?」
刹那、わたしをとてつもない衝撃が襲う。
振り返れば。
緑色の双眸のグインが、泣きながら私の左胸を、貫いていた。
「さあ、神に至るための最終試練の、幕を開けるかのう!」
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