第十二章 血まみれ朽ち果て摩り切れた、人の生きる涯ての道で

第一節 地獄の聖者たち

 門へと踏み出した瞬間、周囲の風景が歪んだ。

 脚を上げて、降ろす。

 ただそれだけの動作を完遂するまでに、果てしなく長い時間が経過したような錯覚に陥る。


 そして。

 地面に足の裏がついたときには、なにもかもが一変していた。


 さきほどまでいた場所を墳墓と例えるのなら、いま一面に広がるのは処刑場だった。


 木乃伊ミイラ

 骸骨。

 成れの果て。


 かつて生きていただろう何者か。

 人間であっただろう何者かが、丘の上で磔にされ、無惨な骸を晒している。


 丘は、それ自体が無量大数の屍が積み重なったものだった。

 赤と黒の融け落ちた腐肉の海から、鯨のものだと言われても信じるような巨大なあばら骨が突き出し、その中心に無数の十字架が立てられているのだ。


 磔にされた骸には、機械でできたような虫がたかっており、カリリ、キシキシと、骨やわずかに残った内臓を囓っている。


 骸は──否。

 骸、ではなかった。


「ぁ、あー、あー」

「ぅぁ……」

「ぃぃぃぃぃぃ……」


 南無三。

 ガチガチと鳴る剥き出しの歯。

 ぶつかり合う骨。

 筋肉のそげ落ちた筋のきしみ。


 地獄でうごめく亡者相応に、この骸たちもまた死にきれないでいるのだ。

 肉体はとうに朽ち果てているのに。

 骨身となったそれすらも、うごめくバグに食い散らかされ。

 いまだ天の獄にも、地の獄にも逝けず、成仏もできない死者の群れ。


 それが、この場所のすべてだった。


「巫女殿」


 意見を求めて視線を向ければ、彼女は苦悶の表情でかぶりを振る。


「わからない……オレも、こんな場所に踏み込むのは初めてだ。いつもは、すぐに神の御許にたどり着けるのに……なんだこれは、なんなのだ? 未知のことなのに、知りたいと思えないなんて……」


 巫女殿が言葉を失う中、死者のひとつが身をよじった。

 闇黒の眼窩の中に、わずかに残った光。

 それがぐるりと巡って、私を見る。


「──ぉぉ……っ。竜だ。赤き竜がいる」

「死者よ、私を知っているのか」

「功子の強い輝き……知っている……われわれは、赤き竜の出来損ないゆえに」


 なに?


「この閉じた環の中で、クラインの壺の中で……弩級構造体の中で、人工的に産まれた功子知覚者」

「それが貴様らだと?」

「廻坐乱主に抗う意志。それが赤き竜。われわれは、そうであろうとして、そうであれなかった……廻坐乱主は許さなかった、本物以外を求めなかった……ゆえに、おおぅ、おおぅ……!」


 急に、死者たちがうめき声を上げる。

 ざわざわと、虫たちが動き出し、一斉に死者を喰らう。


 私たちには見えてしまった。

 彼らの肉が、再生するさまを。

 骨から肉が芽生え、その肉に功子が宿るさまを。


 虫が肉を貪る。

 みちみちと、くちゃくちゃと。

 功子がほどけ、弩級構造体の壁へと呑み込まれていく。

 バグが、なにかを産み落とした。


「死──死なせてくれ」

「たすけ」

「終わらせて」

「──こんな」

「こんな──」


「こんな生き地獄……!」


 巫女殿が、その場に崩れ落ち、胃の中身を盛大にぶちまける。

 彼女が見たものを考えれば、仕方のないことだっただろう。

 死者たちを喰らって、虫が産み落としたものはなんだったか。

 いま、腐肉に四隅を浸し、赤く染まっていく紙切れのようなものは──


 ここは、ペリモムの生産工場だ。


 屍片デッドチップが、できる場所だ。

 無限に再生する功子知覚者の加工場だった。


「……婿殿。オレ、オレが連れてきた者たちがいる。これは、ここは」


 彼女をそっと抱きかかえる。

 到底許しがたい無惨が、目の前に広がっている。

 いかに巫女殿が世界を知ることを尊ぼうとも、これ以上それをさせてはならないと思った。

 そっと、彼女の両目を覆い、奥歯を噛む。


 弩級構造体にも、わずかに人間は産まれる。

 産まれた人間──功子知覚者は、巫女殿や珪素騎士に連れられて、ここまでやってくる。

 そして


 神に徒為す聖者たちは、はじめから間引かれ育てられ。

 そして、珪素騎士や巫女殿の養分にされていたのだ。


 度し難い、始末に負えない。

 許しがたい、許せない。

 このようなことをなした神とやらに、腹が立つ。


「……功子転換」


 小さくアクティブコードを口にして、私は鎧を身に纏う。

 右手をそっとかざせば。

 死者のひとりが、落涙した。


「あ──りが……とう──」


 その言葉を心魂に刻み。

 私は、功子の全投射を行った。


「介錯、つかまつる」


 死者たちを無限に苛む虫ごと、私は屍の丘を消滅させる。

 彼らは青い粒子となって、ほどけていった。


「……オレが信じてきたものは、なんだ……? カイザーは……パパは……住民たちを、救ってきたはずで……だから、オレは導いて……オレは……こんな世界を、知るために……?」


 おのれを見失ったように独白を続ける巫女殿を、鎧を解除して抱き上げながら、ふと気がつく。

 功子の全投射を行ったのに、残量に変化がない。

 これが、グガランナの力か。

 私は、一歩を踏み出しながら、彼女に言葉を投げた。


「巫女殿。廻坐乱主が世界を食い物としか捉えていないのは、もはや事実だ。だが、それになにを思うか、巫女殿がなにを考えるかは別だ。おのれに疑問があるのなら、廻坐に直接訊けばいい。信仰をぶつければいい。そのために、私たちはここまできたのだから」



 響き渡るしわがれこえ

 そして再び、世界が変貌する。

 眼前に広がる世界。


 そこは。

 そこは──


 満天の星が広がる、美しき領域だった。


「ようこそ基底領域〝禁裏〟──すなわち星の内海に。三千年待ったぞ……有木希戮中尉?」


 星と、星の輝きを照り返す湖に。


 おぞましき邪神の、声が響き渡った。

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