第七節 玄米のおむすび

 白銀の光が去ったあと、あれだけ燃えさかっていた溶鉱炉の火は消えた。

 あたりには暗闇と、わずかに残った熾火のはぜる音だけが聞こえている。


 震えながら、唇を撫でても、そこに感触は残っていない。

 私はただ、毀れたように絶叫を続け。

 やがて、空腹を思い出した。


 こんなにも哀しく、つらいことがあっても腹は減るのだと、自嘲する気にもなれない。

 視界の端に表示される功子の残量は二十少々。

 そこから増えもせず、減りもしないのは、新たに取り込んだ拡張躯体グガランナの力か。


 腹が鳴る。

 こんなときでも、無慈悲なほどに、ひもじさを感じる。


「…………」


 そういえば、荷物を確かめろとあの子が言っていた気がする。

 のそりと力無く立ち上がり、周囲を見渡せば、巫女殿が立っていた。


 普段の巫女殿。もう、目は緑色ではない。

 彼女は、ヴィーチェの荷物を持ち上げ、私へと差し出した。


 無言で受け取り、なかを漁ると、小さな包みが出てきた。

 ぼうっとしたまま、包みを開いて──凍り付くように、私は動きを止める。


「魔女が──、婿殿ために作ったんだ。びっくりさせたいから、こっそり秘密だって」


 布包みの中身は、握り飯だった。

 白米ではない。

 わざわざ玄米で作られた、不揃いな握り飯。


「ぁ──」


 声にもならない。

 叫びにもならない。


 なんども戦闘力を得るため、喉を潰してきた代償だろうか?

 それとも、喉がかれるほどに、泣き叫んだからだろうか?

 或いは──こんなにも胸が詰まって、息もできないからだろうか?


 ボロボロと。

 私の双眸から、なにかが溢れて落ちた。

 地面にふれると、音を立てて蒸発し消える。


 この世界にきて。

 違う。

 この未来に生き返って、随分と辛酸をなめてきたはずなのに。

 こんなにも苦しい涙が止まらないのは、初めてだった。


「婿殿……」


 不安げな巫女殿を気遣う余裕すら私にはなく。

 彼女の母親が、魔女だったことに驚くことすらできず──あれだけ似ていたのに、私は気がつきもしなかったのだ──ただ、ただ、握り飯を震える胸に抱きしめて。

 潰してしまわないように、必死で加減して。


「……いただき、ます」


 形見となった握り飯を、私は囓る。

 食べない、という選択肢はなかった。

 あの子が残してくれたものを無碍むげにするなど、私にできるはずがなかった。


「へたくそが……」


 食べる途中で、握り飯はボロボロと崩れる。

 塩っ気もない。

 形も不揃いで、慌てて作ったのが見え見えで。


 けれど、それは。


「おいしいぞ、ヴィーチェ」


 この世界にきて食べた、どんな食べ物よりも、濃い味付けだった。

 また溢れ出しそうになるなにかを拭って。

 私は、握り飯を口に運ぶ。


 あるだけ。

 ありったけ。

 彼女が私のために用意してくれたものを、残さず余さず喰らう。

 だんだんと必死に。

 やがてはむしゃむしゃと、両手に持ってばくばくと。


 無理矢理口の中に押し込み、頬をパンパンに膨らませて。

 ゴクリと、呑み込んで。


「……キリク殿」

こう、グイン」


 私は、食事かくご終了かんりょうした。

 視界のゲージはこれまでになくみなぎり、功子は初めて百パーセントに達する。

 当たり前だ。これはヴィーチェが、私のために作ってくれた食事なのだぞ?


 あの子が、三千年の思いを込めて作った飯なのだぞ!


 ようやく解った。

 味がどうこう、量がどうこうではないのだ、功子の回復とは。

 今日が明日を作るなら。

 誰かの想いが、日々を生きる糧となる。

 その込められた想いこそが、〝食べる〟という行為自体が、私の功子をみなぎらせるのだ。

 ゆえに。


「ふざけるなよ、廻坐乱主!」


 おまえが、なにを企んでいるかなど知らない。興味もない。

 だが、殺す。


 これ以上、あの子のような犠牲は出させない。

 このような世界の形を、犠牲どころか搾取だけで形成される支配構造を、私は絶対に容認できない。

 それが、戦争を経験した私の意志だ。託された願いだ。未来へ残せる限られたものだ!


 偽りのカミよ。おまえは殺す。

 必ず、私の命をすべて使い潰してでも、絶対に滅ぼす。

 だから。


「案内してくれ、グイン」


 私を、廻坐乱主のもとに。

 禁裏に!


「……あいわかった。オレも、真意を確かめる。なにより」


 巫女殿が。

 なにかを決意した表情で、頷いた。


「なにより、ママに託されたからな。だから行こう、キリク」

「応!」


 かくして、私は臨む。

 神判の門へと。

 弩級構造体の最下層へと。


 すべての望みを捨てて、門の内側へと、踏み出したのだ。

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