第六節 最愛のひと

「キリク、あなたは──いまから、廻坐乱主に乗っ取られるのよ」


 高圧電流のような衝撃が全身を貫く中、彼女の言葉は唐突に私の耳朶を打った。

 意味が、わからない。


「あなたの心を手に入れること。それが、廻坐乱主の狙いなのだから」


 門から逆流する白銀のエネルギーが、全身の経絡を破壊していく。

 神経を遡り、血管を逆流し、骨を辿り、脳神経が真っ白に漂白──〝汚染〟されていく。


 マズイ、拙い、不味い!

 なにが起きているかまったく解らないが、これはダメだ。

 肉体が大人になったところから地味に理解が追いついていなかったが、致命的にこれが拙いというのはわかる!


 視界の中に存在する測定値が、すべて危険を訴えている。

 脳内で鳴り響くアラート。

 明滅する視界と、薄れ逝く意識。


「ふざ、けッ」


 反射的に、少しでも衝撃を和らげようと気息を整える。

 すると、わずかだが流れ込んでくる白銀の量を抑えられたような気がした。


「こぉぉぉぉぉぉ……!」


 全力の発勁で、経絡にたまった功子をすべて吐き出す。

 一瞬、暴力的な光輝が押しとどまる。


「……どれだけ歩いてきたでしょうね。摩り切れた記憶と、魂の痛みだけが、それを教えてくれるわ」


 聞こえたのは、魔女の韜晦とうかい

 視界の端に見えるのは、緑色に目を光らせる巫女殿と。

 なんの表情も浮かべていない、ヴィーチェの姿。


「〝あたし〟は、このときのために存在した。本当に長い時間、これだけのために仮想人格を維持してきた」


 彼女は背負っていた荷物を、地面へと降ろし、私の方へと歩み寄ってくる。


「キリク、もう引き返せないところまできたから、取り返しがつかないから、あなたに教えてあげる。弩級構造体。ドレッドノートストラクチャーはね──」


 彼女は。

 厄災の魔女は、静かな声音で、私に告げた。


姿


§§


 ──は?


 いよいよ自分がおかしくなったのだと思った。

 こんな状況だから、聞き間違えたのだと。

 そう思うではないか。なぜならここは、別世界で。

 私は、神隠しにあっただけで──


「いいえ、ここは日本よ。正確には、あなたが生きていた時代より、三千年以上あとの日本──地球──太陽系こそが、ドレッドノートストラクチャーなの」


 唖然とする。

 その隙に、また白銀が暴れ出す。

 彼女を問い詰める余裕もなく、私は功子の制御に注力し。

 魔女はただ、自分勝手に話を続ける。


「キリクのことだから、薄々気がついていたのでしょう?」


 確かに、違和感は常にあった。

 言語の統一、見慣れたオブジェクト、漢字──


「それらは遺物よ。あなたが敗北したあと、廻坐乱主は世界を支配した。そうして統一した。統一した世界の力を集約し、科学を発達させ、功子を研究し、そして作り始めたのよ、ドレッドノート・ストラクチャーを」


 その陣頭指揮を執ったのが、自分だと魔女は言う。


「もちろん、世界を統一するまでに何度も戦争があったわ。そのたびに英雄と呼ばれる類いの人種が立ち上がり、廻坐乱主に挑み、屈服していった」


 それが珪素騎士。


「あたしもそのうちのひとりだったの。けれど、途中で諦めたわ。だって廻坐乱主は無敵だった。文字通りの神だったんですもの。だから──従った」


 なにもかもを神に売却して、魂すら売り払って。

 命乞いをしたのだと、魔女は語る。


「志を同じくした英雄も売り払った。弩級構造体の構築にも尽力した。功子の謎だって、解き明かして……仲間だったものを、珪素騎士に代えて。人間という種を搾り尽くし、絶滅させ。新たに家畜として、弩級構造体の一部へと、組み込んだ。あたしは、文字通り厄災の魔女だった」


 独白を繰り返しながら、魔女はこちらへと歩み寄ってくる。

 ボロボロの脚を引きずりながら、真っ直ぐに。


「それも、すべてはこの瞬間のため。あなたが〝禁裏〟への扉へと手を伸ばし。それを、廻坐乱主が支配しようと企てるこの瞬間を待ち望んで。肉体を捨て、魂を概念継承知生体という器に置換し、摩り切れながら失敗を繰り返して、死んで、消えて、潰されて。あたしは、あたしは──」


 意識が薄れる。

 ヴィーチェ・ル・フェイの言葉が真実ならば、いま私を浸し蝕んでいるのは廻坐乱主の意志であるはずだ。

 普段ならば、激しい嫌悪と怒りが、私に力をくれる。

 だというのに、いまは多幸感が心を支配しつつある。


 なにも考えられない。

 これでいいと心に甘い味がしみこんでくる。

 神の絶対愛に身を委ねようと、意識が敬虔な信者のようにささやき。

 キセキ、秘蹟、これこそが神秘。

 いつの間にか、私は跪いて──


「恩返しの瞬間を、待ち続けていたのよ──ッ!!!」


 轟く決意の叫び。

 私の手を、ひんやりとした誰かの手が強く掴む。

 その瞬間、意識が急激にクリアになった。


!?」


 はっきりとした視界の中で、彼女が私を、扉から引き剥がさんと割って入っていた。

 けれど、そんなことをすれば当然、廻坐の洗脳を受けるのは彼女で!


「見てるわね、見てるんでしょう、廻坐乱主! あたしの行動なんて、どうせ予想通りなんでしょうけど! それでも──! キリクは、渡さないわよ!」


 白銀の雷光を全身に受け。

 苦しげに表情を歪めながら。

 けれど彼女は、痛快に叫ぶ。


「あたしは裏切りの魔女! 神様だって裏切ってみせる! なんのためにかって、どうせ不思議に思ってるんでしょうね、キリク。あなたはどうせ、覚えていないんでしょうね」


 なにを、何を言っているんだ、ヴィーチェ。

 それよりも手を離せ。

 いま、私が赤備えを纏って、こんな門は破壊して──


「ダメよ」


 一瞬で、総身のコントロールが奪われる。

 彼女が、十八番を披露する。即ち、肉体の支配権のジャックを。

 どうして?


「あなたがこの門という試練を突破すること。それが、廻坐乱主に辿り着く唯一の方法なの! あたしは約束したの! あなたを必ず廻坐乱主のもとまで連れて行くって!」


 ならばこそ!

 貴様にはまだ、まだ無事でいて貰わないと!


「〝一宿一飯などと考えてくれるなよ、こどもの考えることではないのだ、それは。かわりに、明日の日ノ本を君は背負しょってくれ。私の代わりにそれをすると、そう約束してくれ。今日が明日を作るまでというのなら、君たちにそれを託したい〟」

「──どう、して」


 どうして。

 どうして貴様が、それを知っている。

 その言葉を、なぜ?

 だって、それは、私が。


 私が、生前に無力な童女にかけた、言葉で……


「……大変だったのよ? なくなっちゃうはずの日本を背負うのって」

「まさか、君は」

「何度も繰り返し思い出した。だからこれだけは忘れなかった、なくさなかった、手放さなかった! ごめんなさい、キリク。あたし頑張ったけど、ぜんぶは守れなかった。あなたに託された〝今日〟で、こんな〝明日〟しか作れなかった。でも、でもね?」


 長身の魔女が。

 ……否!

 否だ! あのときの飢餓に苦しんでいた〝幼子〟が、私に告げる。


「あなたのことだけは、守ったから。どんなに変わり果てても、あなたはあなただから。あたしがぜんぶを売り払って、神様から買い戻したのは。だから、あなたの魂で!」


 花が咲くように微笑みながら。

 彼女は。


「……きっと、あの憎らしい神を倒してね、キリク。人間の〝明日〟を取り戻して。あなたになら、絶対にできる。あなただけが、神を殺せる。最後まで生きること諦めなければ、きっと。そのために、あたしこんなに、頑張ったんだもん」


 消えていく、彼女の身体が。

 崩れていく、彼女の魂が。


「グイン!」


 彼女が、立ち尽くしたままの巫女へと叫ぶ。


「聞こえていないかもしれない! わからないかもしれない! けれど、キリクをお願いするわ! 無事に送り届けて。大丈夫、あなたにならできる。だって、あなたは──あたしの最高傑作こどもだから!」


 真っ直ぐな視線を、瞳に宿る輝きを見て。

 忘我の中、それでも巫女殿が頷いた。

 彼女は安堵したように笑い、思い出したように私を見る。


「あ、そうそう。あとであたしの荷物を確かめてみてよ。大切なもの、用意してあげたから。だから、ねぇ、キリク?」


 割れて、砕けて。

 美しいかんばせさえもひび割れて。

 全身を、白銀に蝕まれて。


 私は、それを押しとどめようとするのに、指一本動かせなくて。

 そして光が。

 業を煮やしたように、いっそう強い白銀が門から流れ込んで。


「最後ぐらい、素直になっても、いいわよね?」


 なにかが触れた。

 ほんの刹那、感触なんて残らないぐらいわずかな時間。


 私の唇に。

 やさしいなにかが。


「……えへへ」


 恥じらうように、こどものように。

 彼女は、頬を染めて。


「お慕い申し上げていました、ずっと永い間。あのとき助けてくれた憲兵さん? あたしは、あなたを愛して──」


 そして、消えた。

 白い光が、すべてを埋め尽くした。


 焼き尽くされ、焼き切れる視界。

 感覚が、何もかも消えて。


 目が見えるようになったときには、すべて終わっていた。


「────」


 門は悠然と開き。

 巫女はその場に倒れ伏し。

 そして、彼女は。


 ヴィーチェ・ル・フェイは。


 私が、かつて助けたと驕り高ぶっていた少女は。


「あ、ぁあ、ぁああああああああああああああああああああぁあああああああああああああああああああああぁぁあああああっ」


 この世から、完全に消滅していた。


 導きの魔女は。

 かくしておのれの職務を全うし。


 あとには愚かな憲兵が、意気地もなく残されたのだった。

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