第五節 神判の門よ、啓け

 勝ったわよ、キリク。

 意識を失ったままの矮躯に、あたしはそう声をかける。

 マグマの中に沈み、全身が棺桶に置換されていくかつての同胞を一瞥いちべつし。

 あたしは、ボロボロの幼女を抱いて、歩き出す。


 〝〟を胸に抱いたのには、理由がある。

 幸いに、大事なものを詰め込んだ荷物は、無事にあたしの背中の上だった。

 逆に言えば、背中は埋まっていたわけである。


 それから、もうひとつ。

 こうすることが、あたしのひとつの夢だったからだ。

 抱いているのは片腕だから……ぜんぶが叶った訳じゃない。これはまだ途中。

 けれど、彼のぬくもりが、いのちですらない私の胸の内にまでじんわりと熱を灯す。


 そうだ。

 巫女は閉じ込められたままだっけか。助けてあげなくちゃ。

 顔を合わせれば喧嘩ばかりのあたしと彼女だけれど、別に憎く思っているわけではない。同族嫌悪は著しいけれど、これも自家中毒のようなものだ。


 巫女のもとに向かいながら、腕の中の彼をなんども確かめる。

 なんて、なんて小さな身体だろう。

 あたしが片腕で抱き上げられるほどに軽く、こんなにも華奢で。


 でも、アーヴ・ロウンにいたころより、ずっと立派になった。

 枯れ木のようだった腕は、鍛え上げられた筋繊維に代わり。

 お人形のようだった体つきは、いつの間にか幼年期を終えつつある。


 タイムリミットだと理解しながら、いつかの姿を思い出す。

 天を衝く偉丈夫。

 遠い、遠い記憶は、かすれて消える寸前のそれ。

 けれど、決して無くならない、あたしの大切な──


「裏切り者がああああああああああああああああああああああ!!!」


 咆哮。

 吹き上がるマグマ。

 飛び出す影。


 反応したときには既に遅く。

 死滅の領域に首まで突っ込んだキャスが、燃え尽きる一瞬の怨嗟で、あたしへと渾身の一撃を放っていた。


「神よご照覧あれぇ! 小官の命と引き換えにしても、魔女はここで差し違えるぅぅぅ!」


 疲弊しきったこの身体では防ぎきれない炎が。

 目の前へと迫って。


「──キリクッ」


 せめて、このひとだけでも守ろうと抱きしめたそのとき。

 凄烈な光が、視界を覆い尽くした。


「────」


 炎を、背中で受け止めるのは、矮躯ではなかった。

 その胸では、勾玉型のリアクターがまばゆく輝き。

 色を緑から、清廉なる蒼へと変化させる。


 同時に鳴り響くのは、荘厳な調べ。

 この世のすべてを定めたレコードが鳴り響かせる、祝福のオーケストラ。

 因果録干渉粒子による、世界の改変。


 功子リアクターから溢れ出した光は、三つの環を作り。

 矮躯の頭からつま先まで通過する。

 そのたびに、姿が変わる。


 ひとつめの環を潜ったとき、肉体は大きく成長した。

 幼女のものだった手足はすらりと伸び、胸は張りをもって膨らみ、錆び付いていた髪の毛は、内側から燦然と輝きを放つ。


 ふたつめの環を潜れば、左右非対称の真紅の鎧が現れる。

 青き波動が溢れ出し、みっつめの環が落ちる。


 両腰に帯びる功子密束投射装置と、胸元に垂れる功子差動飾帯。

 背中には羽を持つ鏡──多元功子捻出機関がきらめき。


 そしていま。

 双眸──黄金に輝いて。


「功子転換──戦鬼転生」


 すべての拡張躯体を集め、完全体となった彼が。

 成人體せいじんたいのキリクが!

 炎をかき消す!


「いい加減に眠るがいい、英霊たるキャスよ。おまえとの因縁は、ここまでだ」

「────」


 キャスパ・ラミデスが応じることはなかった。

 キリクが振り抜いた右手。

 そこから投射された功子の波動が、一瞬で珪素騎士の躯体を原子以下までに分解してしまったからだ。

 最強の珪素騎士を。

 わずか一撃で、彼は消滅させる。


「キリク……」

「ただいま」


 ……え?


 鎧を粒子に変え、大人の姿となった彼が。

 ボロボロの顔で、あたしへと微笑む。


「カミツキの無明の闇。呑み込まれそうな虚無の中で。貴様がずっと、私と繋がってくれていた。私は、それを辿って戻ってこれた。だから」


 ただいまだ、ヴィーチェと、彼は笑って。


「──お帰りなさい、キリク!」


 大声で叫んだ。

 両目から溢れ出しそうだったものを、不細工に顔を歪めて飲み込んで。

 あたしは代わりに、言葉を吐き出す。

 おかえりと、もう一度。

 何度でも。

 待ちわびた言葉を、今更に。


「……状況が理解できないじゃ、あーりませんか。オレ、なんか置いてけぼりなのでは?」


 キャスが消滅したことで、自由の身になったらしい巫女が、頭を掻きながら歩み寄ってくる。

 彼女の顔に浮かんでいるのは、純粋な疑問。

 まじまじと大人になったキリクを見つめ、ワクワクとしている表情。

 ……当たり前だ。巫女はあらゆることに興味を覚え、好奇心を満足させるために行動する。

 そう定めたのは、あたしなのだから。


「なんだ?」


 些細なことに気を取られていたからだろう、真っ先に変化へと反応したのは、キリクだった。

 溶鉱炉の中央が。

 セクタの中枢が大きく陥没していく。


 この区域いっぱいに満ちていた〝珪素騎士の素〟が流出し、たった一つの構造物を作り出す。


 それは扉だった。

 それは窓だった。

 それは門であった。


 全高が三十メートルにも届こうかという、巨大な門。

 緑青ろくしょうの浮いた青銅に、精緻な造形が施された終点への扉。


 門の最も上に拵えられた竜の頭が、緑色の眼光を放ちながら、あたしたちへと語りかける。


『この門を潜るもの、一切の望みを捨てよ』


 即ち、これこそが──


「婿殿、これがそうだ。これこそがそうだ。この門こそが──」


 巫女が、おこりがかかったように震えながら。

 告げた。


「世界の中枢〝禁裏〟へ繋がる──神判の門だ!」


§§


 キリクに門の正体を告げたあとも、巫女はガタガタと身体を震わせる。

 震えはやがて、機械的な振動となり、彼女は顔をブンブンと横に振り回し。


 その目が、緑色の闇を宿す。


『──進め。進め。資格を持つものだけが、扉を開くことができる。進め。進め。神前へと進め、神の御前に立つまで、跪くまで。告解のときは来た、悔い改めよ、神判の門にて』


 抑揚のない無機質な声を、巫女は紡ぎ出した。

 キリクがあたしに視線を向けてくる。

 首肯し、答える。

 あれが、巫女の役割なのだと。


「文字通り、神に選ばれたものだけが、最下層に入れるの。その選別は、門が行うわ」

「私は、どうすればいい?」

「ただ扉を、押し開ければいいのよ」


 それだけで、あたしの旅は終わる。

 彼を送り届けるという使命が終わる。

 キリクは少しだけ顎に手を当てて考えて、やがて、門へと向かって歩み出した。


「是非もない。この先に廻坐乱主がいるというのなら、前進あるのみ。この命と引き換えにしてでも彼奴を殺す。だから、前へ。前へ、前へ、前へ! 今更引き換えす道など、ありはしない」


 おのれに言い聞かせるようにキリクはつぶやき。

 進み、門の前で立ち止まり。

 大きく深呼吸をして──


「拓け、地獄への扉よ!」


 門を、押し開こうとした。

 その刹那だった。


 門の一番上から、あたしたちを見下ろしていた竜のレリーフ。

 その両眼が緑色の光を放つ。

 光は門全体を覆い、白銀へと変わり。

 そして、キリクへと殺到した。


「ぎっ──がぁあああああああああああああ!?」


 声にならない絶叫をあげるキリク。

 雷に打たれたように彼は痙攣し、全身がスパークする。

 門から逆流し続ける無限の白銀光は、容赦なくキリクを蝕み続け、その精神さえも打ち砕かんとする。

 この現象が、何であるのかあたしは知っていた。


 あたしは、感情を殺した声音で告げる。

 キリク、あなたは。


「いまから、廻坐乱主に乗っ取られるのよ」

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