第五節 魔女の真心、憲兵の覚悟
「……ぐぬぅ。女子力での敗北を、認めないわけにはいかないじゃ、あーりませんか……」
実に悔しげに、巫女殿が呻いた。
それほどまでに見事な料理が、食卓の上を飾っていた。
手乗り鯨の肉に、葛粉をまぶして揚げた鯨の竜田揚げ。
蒸したポマトの根っこに重廃油を絡めた、ふかし芋。
炒めたナスと蟲醤を使った、セリとナスの焼き浸し。
そしてなによりも。
なによりも輝いていたのは、かやくご飯だった。
ふっくらと炊き上がった米は、湯気をくゆらせて。
蟲醤とこのセクタにあったわずかな砂糖、廃糖蜜のお酒で炊き上げられたにんじん、ごぼう、鯨の肉が食欲を誘う。
そっと添えられた三つ葉の彩りもよく。
気がつけば、「ごくり」と、私の喉が鳴っていた。
私を見つめていたヴィーチェが、穏やかに笑顔を作って、両手を広げる。
「さあ、召し上がれ! はじめての料理だから、味とかはごめんなさいだけどね!」
「……いただき、ます」
固辞するのもおかしな話だ。
私は、箸を手に取り、そっとかやくご飯を口に運んだ。
「婿殿!?」
巫女殿が吃驚の声を上げる。
理由がしばらくわからなかったが。
やがて、頬を伝うものの熱さで理解した。
私は、泣いていたのだ。
「え!? ちょ、どうしちゃったのよキリク!? ひょっとして……あたしの落ち度ですか!? 初めての料理だから、なんか間違っちゃった!?」
美味しくなかったのかと、普段からは想像もできないほどあたふたとして、涙目にまでなるヴィーチェ。
けれど、違う。
不味かったわけではないのだ。
箸を持つ手を震えさせ。
嗚咽を漏らしながら、私はまた一口、食事を口に運ぶ。
「違う、ちがうのだ、ヴィーチェ。美味い。この飯は、本当に美味い」
「だったら、どうして?」
優しい言葉に答えよう。
片腕で料理をしてくれた、いまこそ彼女に報いよう。
「私は、この世界で孤独だと思っていた」
突然、別世界へと
故郷を同じくするものもおらず、食べ慣れた食べ物もなく。
おまけに、この世に人間は私ともうひとりだけだと告げられる。
この心は幾度となくへし折れ、何度も膝をつき、地にまみれてきた。
空腹はつらく。
同胞と呼べるものも、家族もいないことは地獄のようでさえあった。心を寄せるたびに失う日々はつらく苦しかった。
「けれど、そのすべてが違ったのだ。誤りだったのだ」
ここにいた。
こんなにも近くに、私を案じてくれるものがいたのだから……!
「グイン。ヴィーチェ」
震えながら、日本男児にあるまじき、くしゃくしゃの泣き顔を晒しながら。
私はふたりに、頭を下げる。
「ともに歩いてくれて、ありがとう。一緒にご飯を食べてくれて、ありがとう」
そうだ。
たったそれだけのことだったのだ。
悩むべきことではあったが、迷うべきことではなかったのだ。
笑顔で食事をできないような世界を、どうして肯定などできようか。
皆が笑い、日々を生き、営みを運び、今日が明日を創る世界。
それが、あたりまえの、当然の、平和というものではないか。
それが奪われた世界を、私は戦争を通じていくらでも見てきたではないか。
だからこそ、二度と誤ってはならぬのだ。
ひとびとの平穏な営みを奪うものがいるのなら、誰かが立ち上がらなければならない。
たとえ何度間違っても。
たとえ異邦人であったとしても!
私は、私が見てきたものすべてが理不尽だと断ずるが故に。
廻坐乱主を殺すのだ……!
何故その歩みを止めようなどと思ったのか。
わからない。
わからないが、思い出した。
ヴィーチェの作ってくれたこの料理が、私の起源を思い出させてくれた。
「死は遠ざけねばならない。ひとは、神になってはならない。廻坐乱主に屈し、死んだように生きるのは、搾取されるだけの、害されるだけの人生は。悪辣なる神の内側で、絶望の夢を視るだけのものぞ。ならば、それを断ち切るのが防人の役目。狂った八紘一宇を
だから、生きなければならない。
まずは私が、なによりも必死に。
手を伸ばす。
メシを食らう。
口いっぱいに詰め込んで、噛み締めて。
「む、むぐ」
「いそいで食べるからよ! ほら、水! 綺麗なお水!」
「むぐ……ごく……ごく……ぷはっ!」
生き返った。
不安げに私を見つめる、ふたりの旅の連れ。
努めて笑う。
心より笑う。
満開の花笑みを見せる。
それこそ、ひまわりのように。
「美味しい。とても美味いよ、ヴィーチェ。だから、グイン。ヴィーチェも」
一緒に、ご飯を食べよう。
微笑んで、笑って、笑顔で。
彼女たちに食事を勧めれば。
ふたりもまた、霧が晴れたような笑顔を見せてくれる。
「うむ、うむ! それでこそオレの婿殿であるな! じつに芳しき益荒男っぷりだ。オレの嗅覚が惚れ直す!」
「ちょっと、変なこと言わないで頂戴。だいたい、見た目が幼女のキリクが益荒男とか、落ち度ポイントが……」
「ァん? だったらてめぇーは不感症か? 趣味の合わない魔女だこと」
「あ──あたしだって、へその下あたりがむずがゆいわよ! じゃ、なく、て! あー、もう! キリク二万落ち度ポイント! ぜんぶご飯を食べ終わるまで、許さないんだから!」
言われなくとも残すつもりもない。
なぜなら、このかやくご飯は、故郷の味だったから。
母様が作ってくれたものと、寸分違わぬ郷里の味だったのだから。
「どーにでもなれなのだわ! お酒、廃糖蜜のお酒をあるだけもってきなさーい!」
ヴィーチェのかけ声を合図にして。
そして私の──いや。
私たち三人の宴は、いつまでも、いつまでも続いたのだった。
§§
「よし、っと」
全身の装備を確かめ、完璧であることを認める。
あらゆる装備が、ゼロないしイチ動作で取り出すことができる。
ヴィーチェが背負っている荷物には、備蓄食糧や彼女のお手製保存食も詰め込まれており、おおよそ準備は完璧と言えた。
視界の中の数字を確認すれば、功子残量もほぼ最大値まで回復している。
この世界にきてから、ここまで功子をため込んだのは初めてだし、貯め込めたのも初めてだった。
だんだんと解ってきた。
功子が食事で増える理由。
そして、どうすればより多くの功子を摂取できるのかも。
それはきっと、想いの総量なのだろう。
「我が精神は覚悟完了、この身はすでに臨戦の極み。戦う意志に、いっぺんの曇りなし!」
言葉にだして確認すれば、総身が軽くなる。
ずっしりと足は地に着き。
なお身体は、羽が生えたように軽い。
隣を見れば、巫女殿が、ヴィーチェが。
私の出立を待ってくれている。
「私は、廻坐乱主を斃す。必ず、最下層に辿り着く。きみたちは……こんな私を、導いてくれるか?」
「もちろんよ。だってそれが、あたしの役目ですもの」
「パパのことはともかく、オレとて旅人を導くのは役目の一つだ。水先案内は承った」
嬉しい言葉に、私は頷き。
ヴィーチェが視界の中だけで、告げる。
『あなたの憤りは間違っていなかった。過ちを飲み込んで、その胸で燃えるのは正しい怒りよ。だから、自分を信じて頂戴、キリク』
……ありがとうと、ただ内心頭を垂れて。
そして振り返れば、名残惜しそうなロボット達の姿がいくつも見えた。
『本当に行ってしまうのですか、人間さん?』
「ああ」
『ここでは一切の不自由をさせません。どんな奉仕でも、アイたちはやり遂げます。ここは世界で唯一の安住の地です。人間さんは、いつまでも漁夫王としてこの地に君臨することができるのですよ? それでも、ですか?』
「ああ、征く」
『でしたら、アイたちにとどめることはできません。ただ、一つだけ教えてください』
理屈で動くロボットだからか、彼らは私に刃向かうことはなかった。
ただ、代わりに。
ヴィーチェの様子をうかがいながら、こんなことを口にした。
『どうして人間さんは、厄災の魔女と行動をともにしているのですか?』
「……彼女が、私を廻坐乱主の所まで連れて行くと誓ってくれたからだ」
『それは、巫女にもできることです。どうして、魔女なのですか。だって、あれは──』
かくて、ロボットは告げるのだ。
ヴィーチェ・ル・フェイの。
厄災の魔女と呼ばれた女の、真実を。
『神様に肉体を売り渡して、人間を絶滅させたのが、あの魔女なのに』
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