第十一章 玄米の握り飯

第一節 騎士たちの墓標

 それは燃えさかる墳墓ふんぼだった。


 見渡す限りの一面が、赤く、鈍く輝いている。

 ドロドロに融けた構造体の構成物質が、溶鉱炉のように、或いは火山のように渦を巻いて大河を形成しているのだ。

 ところどころ、淀んで冷えて固まった部分があり、そこだけが黒曜石のように黒い。


 天井には、無数の緑色をした鳥居が並び、根元からは蜘蛛の糸に似たしめ縄が垂れている。

 そんな異常な光景に、息を呑む。


 同時に、ある仮説が脳裏をよぎった。

 これまで幾度も目にしてきたものから導き出される推論。

 揺籃重工という文字。

 カムイの名を持つ巨大な蟲。

 巫女殿の姿。

 なによりも、言語。

 ひょっとすると、この世界は──


「婿殿。以前も話したが、基底領域には、定期的に資格を持った旅人を招いていた。だが、そのほとんどは最下層である〝禁裏〟までたどり着けなかった。何故だかわかるか?」


 話の筋を、巫女殿に戻されてしまった。

 無論、わからいでか。

 この灼熱に耐えられる人間など、存在するわけがない。

 肌を爛れさえ、骨を灰にする溶鉱炉。

 如何なる余人とて、この地獄から先には進めまい。


 ……そう、功子の制御ができなければ。


「婿殿は一握の砂だ。こぼれ落ちるなか、掌に残った最後の一粒だ。だから、この高温にも耐えられる」


 確かに、長い旅の間に私は功子の扱いを学んだ。

 か弱い幼女の姿のまま、異常な環境に耐えられる程度の功子皮膜をまとえるようになった。

 汗は噴き出るし、喉は渇くが、それでも生きている。


「…………」


 わずかに、進む足が鈍る。

 ……ロボット達はあの畑を楽園と呼んだが、この光景を目にしてしまえば、なるほど頷く他ない。

 地獄とは、このこれであろう。

 なぜなら燃えたぎる溶岩の渦中には、いくつもの棺桶が浮かんでいたのだから。


 中を覗けば、墓石だけが納められている。

 そのうちのひとつが、騒がしく怒鳴り立てる。


「創世神話の刻限だ! 神殿の礎に石二つ! 白き竜と赤き竜、争いのはて、没するは赤竜せきりゅう。白き竜の嘆きは如何いかんや? 作り直せよ世界を直せ。ゆらり揺れる、微睡むゆりかご! 神話の再演、裁きの終わり! 目覚めの刻限は近いぞなもし! 目覚めの刻限は近いぞなもし!」


 耳鳴りがするような大声で。

 脳みそがヤスリ掛けされるようなざらついた声で。

 棺桶の中身は怒鳴り続ける。


 何度も何度も、繰り返し、繰り返し。


「……これが、珪素騎士の成れの果てだ」


 巫女殿が言った。

 ここが珪素騎士の産まれ故郷であり、無窮の刑罰であるのだと。


「沼の街で魔女を即座に再構築できたのは、この場所の理を知っていたからだ。既知の再現は、オレの得意とするところでな」

「……珪素騎士は、ここで産まれるのか?」

「そうだ。かつて、神に楯突いた者が十三人いた。それらはな、婿殿。すべて神に屈服し、討ち滅ぼされた」


 そして聖別されて、騎士へと換えられたのだという。


「弩級構造体が始まったときから終わるときまで、珪素騎士は役目を果たし続けるのだ。収穫という、役目をだ。かつて守ろうとした者から奪い続けるという刑罰をだ。そして壊れれば、ここで融かされ鋳つぶされて、騎士という姿せいしんに成形される」


 であるならば、やはりここは墳墓なのだろう。

 騎士と呼ばれたもの達の、尊厳の墓場だ。


「……ごめんなさい」


 消え入るような声で、彼女が呟いた。

 ヴィーチェが、もとよりよくない顔色を、蒼白なものに変えていた。

 この暑さだけが、理由ではないだろう。


 アイたちから聞いた魔女の罪科が。

 墓石たちの口から、繰り返される。


『十三人の騎士の中、紛れ込んだ魔女がいた! 二十一グラムの黄金で、魔女は騎士を売り払った! 魂、尊厳、売り払った! 毒を盛られた騎士たちは、神の目の前、血反吐を吐いた! 生き残ったのは魔女だけで、身体を売って生き延びた!』


 やめて。

 魔女の喉がか細く震える。

 けれど糾弾者たる騎士たちの骸は、やめることはない。

 我らには資格があると、声高に。

 次第に声は数を増し、やがて輪唱となった。


『魔女は作った、世界を造った!』

『家畜をやす、畑を作った!』

『ドレッドノート・ストラクチャー、巡りめぐって死が廻る!』

『次に魔女は、騎士を産んだ!』

騎士きし奇死きし騎士屍きしし──珪素騎士!』

『珪素騎士は徴税者。取り立て奪えよ家畜から!』

『かくして神話は現代へ』

『人類廃滅、大搾取!』

『かくして世界は──』

『最後に魔女は似姿産んだ。神と自分の似姿産んだ』

『似姿の名前は、気高き者。その名も偉大な──』


「ええ、ええそうよ! すべて真実よ! キリク、あたしは、罪深いやつなのよ!」


 耐えかねたように、ヴィーチェが絶叫した。

 彼女は頭を抱え、その場にうずくまる。

 飄々とした普段の彼女ではない。

 でかい図体で私を見下ろすいつもの彼女ではない。


 罪に怯えるいたいけな娘が、そこにいるだけだった。


「キリク。あなたが過ちを犯したように、あたしは、それ以上の大罪を重ねてきたの。廻坐乱主に刃向かう者たちを殺して、弩級構造体を造って、それで消滅を間逃れてきた。あたしは、人外外道の邪悪なのよ!」


 彼女は叫ぶ。

 喉が張り裂けんばかりに。

 胸が張り裂けそうなほど、痛切な声音で。


「けれど……けれどもね! けれどあたしは、最初の自分を否定しない! 謝罪はするし、申し訳ないとも思う。でも、間違ってなんかいなかった! 私は、私がやらなきゃいけないことをやったの! だから──」

「ならば胸を張れ、ヴィーチェ」

「──え?」


 きょとんと、目を丸くする彼女の肩に。

 普段なら身長差で届かない肩に。

 そっと触れながら、私は言う。


「貴様は、それを望んでやったのだろう?」


 ヴィーチェが、選んだことなのだろう──と。

 彼女は、静かに頷いた。

 これだけは、譲れないことだと、蒼玉の瞳が告げていた。


「ならば、私に責めることはできない。刑罰がないのは、つらいかも知れないが。罰せられれば、気が楽になるかも知れないが」


 それは、私のすべきことではない。

 だから。


「いまは、廻坐乱主を斃すために、力を貸してくれるというだけで十分だ」


「だとしても、その魔女は貴殿を裏切るだろうとも──三千年前と同じように!」


 溶鉱炉に響き渡る、苛烈な罵声。

 同時に、巫女殿が悲鳴を上げる。


「ぎゃっ!?」

「巫女殿!」


 闇黒の太陽が、巫女殿へ激突し、バッと火花を散らす。

 火花は次の瞬間、無数の蜘蛛の糸となって、彼女の身体を絡め取り、包み込み、繭を形成。

 自由を完全に剥奪した。


「キャス……ッ!」

「いかにも、小官はキャスパ・ラミデス。貴君の覚えもよく、光栄の至りですな──叛逆者殿!」


 溶鉱炉の上空に、いつの間にか張り巡らせられた糸の結界。

 その中央に座し。

 最強の騎士が、私たちを見下ろしていた。


「これより先には、一歩たりとも進ませられぬのでなぁ! く死ぬがいい、忌々しくも選ばれた偶像め!」

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