第三節 ひまわり畑でつかまえて
自己嫌悪というのは、一度踏み入ると抜け出せない退廃の沼だ。
内罰的に、露悪的に振る舞うことに酔いしれているうちに、心地よさですべてを失う。
信頼も、地位も、友すらも。
規律によって成り立つ軍隊であれば、自らを責める愚かさは真っ先に覚え込まされる。
自分の失敗は部隊全員の失敗であり、その責任を取るのは上官であるのだ。
でなければ、失敗イコール即死亡の前線になど、誰が行けるだろうか。
どれほど国のためだと自らを鼓舞しても、死が恐ろしいものであるという事実は変わらない。
……そうだ。
死とは、恐ろしいものなのだ。
死ぬのが恐ろしいから、ひとはいまを必死で生きる。
必死も必死、大必死。必ず死に至ると書いて、必死の二文字なのだから。
そんな恐怖を、私は一方的に押しつけた。
リトーに。
優しき騎士が守ろうとした住民達の未来に。
許されることではない。
許されてはならない。
たとえそうしなければ、リトーがすべてを破壊していたとしてもだ。
「だからヴィーチェ。私は説教を受けるつもりはない」
「……あなたに必要なのは説教じゃなくて、カウンセリングだと思うけどね」
葉、茎、花弁、種子と。
すべてが可食できるように品種改良されたというひまわり──ハイパー・サンフラワーの畑を眺めている私の。
その背後に、いつの間にか魔女が立っていた。
「おおざっぱに言うとひまわりって、春菊とかの仲間だし、元から茎も葉っぱも食べられるんじゃないの?」
「若い芽のうちならな。なにも喰うものがなければ、私の故郷でも食べられていた」
「美味しいの?」
「味は、二の次だったかなぁ……」
もっとも、弩級構造体にきてから食べたほとんどのものより、よほどましではあったが。
「要件は何だ、ヴィーチェ」
「つれないわね。……ま、いまのアンタに愛想を期待するのは間違いだろうし? ちょっとロボットくんたちに許可を出すように言って欲しいのよ」
許可?
「そ、許可。だってロボットくんたち、
「人間のもの、か」
アイは私を人間だと言った。
そして、この世界にいる人間は、もうひとりだけだと。
それは、最下層にいるのだと。
「……いろいろ、頭の中がメチャクチャである」
人間がふたりだけだというのなら、これまで私が出会ってきた者達は何なのだ。
ヴィーチェも、巫女殿も、珪素騎士も人間ではないのか?
穴倉にいた〝彼〟は? 巨蟲猟師の村の兄妹は? 沼の街の工夫たちは、機械樹林の発動機達は?
なによりも、最下層にいるのが人間だと?
この世界の中枢に、なにが座しているかぐらい私でも知っている。
廻坐。
廻坐乱主。
アレは人ではない。
アレはもっと邪悪な、もっとおぞましい──
「キリク。それで、取り計らってくれるかしら? いろいろ自由にしていいと、一言許可をくれればいいんだけど」
「あ、ああ。好きにするがいい、ヴィーチェよ。もともとここは、私のものではないのだからな」
「ありがと。じゃあ、またあとでね」
ひらひらと手を振って、彼女は立ち去っていく。
けれど途中で一度だけ立ち止まり、
「ねぇ、キリク。人間って、必ず死ぬのよ。死なないやつは人間じゃない」
振り返りもせず、こう言った。
「あなたは、なにになりたいの?」
§§
「婿殿ー!」
「今度は巫女殿か」
「男娼の代わりにオレを抱くという手段もあるが!」
ない。
あってたまるか、そんなもの。
ヴィーチェと入れ替わる形で現れた巫女殿は、いきなり私の背中に抱きつき、そんなことを言い出した。
たぶん、疲れているのだろう。
「──いや、私が腑抜けているだけか」
背中、心臓の真裏の位置に、ピタリと冷たい切っ先が当てられる。
鈴鉾の先端、すべてを解剖する巫女殿の刃。
「巫女ど──」
「婿殿に、オレは複雑な感情を抱いている」
感情を押し殺し、囁くように彼女は言う。
「初めは憎かった。メドラウドを殺した
押し込まれる刃。
けれど声音は、揺れ初めて。
「一緒にいる時間を重ねるたびに、星霜降り積もるなか、汝をよく知るたびに。オレは、婿殿に惹かれていった。隠すまでもない、どうしようもなくオレは、婿殿に恋い焦がれている……」
巫女殿……いや。
「グイネヴィア」
「オレの名前を口の端に載せるのも、舌先で踊らせるのも、この世で一人、ただ一人婿殿だけだ。もっと知りたいのだ、もっとたくさんのことを、婿殿のすべてを感じたい。今日をどう生きて、明日どんな顔で笑うのかを知りたい! 率直に言おう──お慕い申し上げています、キリク殿」
彼女の言葉に、嘘は感じ取れなかった。
代わりに、切実な祈りのようなものがあった。
たぶんそれは、巫女殿が言う〝父親〟のこと。
「それは──廻坐乱主が、命じたからか?」
聞くべきではない問いかけ。
信じているのならば口にするべきではなく、信じていないのなら胸に秘めているべき言の葉。
けれど、彼女は答えてくれる。
まっすぐに、純粋無垢に。
否定することなく、直線で。
「はじめはそうだった。この世界のことをよく知るべし。それが神の──パパがオレに与えてくれたすべてだったからだ。でも、いまのオレは、パパに言われたからそうしているんじゃあない。自分から望んで、キリクのことを知りたいと感じている」
だから、と。
彼女は、鈴鉾の刃先を、私の背に押し込む。
刃のように冷たい言葉が、心臓へ滑り込んだ。
「婿殿が終わりたいのなら、ここで終わらせてもいいかと思っている。何故って、終わりを知るというのは、なによりも相手を知悉することに繋がるじゃ、あーりませんか」
彼女の言葉には嘘はいつだって無い。
だからその殺意も本物であり。
そして、私は。
「……そうか」
「婿殿……?」
「この感情を、私は随分と、遠ざけていたのだな」
拍動を早める心臓。
額から吹き出す冷や汗。
動悸と目眩。
近しいものからかけられる、本気の殺意だったからこそ、私はしっかりと痛感できた。
もう一度思い出せた。
私は──
「どうやら、死ぬことが怖いらしい」
巫女殿の甘い拘束をすり抜けて、立ち上がる。
ひまわり畑のなかへと歩み入り、振り返って彼女に応える。
「私も、巫女殿のことが気になっていた。けれど、誤解をしないでほしい。それは、きみの顔立ちが知古のものに似ていたからだ」
あの日、この世界に来る最前に出会い、玄米の握り飯を与えた少女に。
きっかけはそんなもの。
けれど、いまは。
「……私のことが、知りたいと言ったな、巫女殿?」
「あ、ああ」
「私はな、たとえいつか敵になるのだとしても、最下層につくまでの仲だとしても……君を、かけがえのない旅の仲間だと思っている──そういう、始末に負えない男だよ」
できるだけ柔らかく、微笑んだつもりだった。
なのに彼女は、どうしてだか泣き出しそうな顔になって。
「婿殿は、このままどこかに行ってしまいそうだな」
そんな風に、言うのだ。
穏やかに吹く風が、ひまわり畑を吹き渡り。
私の頭上で、小さな太陽をいくつもいくつも、揺らすのだった。
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