第六節 後味の悪い決着

 すさまじい衝撃波が、セクタ全体を震わせた。

 空気中の功子が、爆縮したように一点に吸い寄せられ、連鎖的にあらゆるものが蹂躙されていく。

 天までも届いた功子の爆発は、天板にひびを入れ、内部のケミカルリキッドを漏洩させる。


 降り注ぐ、極彩色の雨。

 上半身が消し飛んだ巨人の傍らに立ち尽くす悪鬼を、雨が打ち据える。


「──フッザケロですわ!」


 豪雨に打たれ、なお微動だにしない悪鬼の背後から、ライオネル・キュノケファロスが襲いかかった。

 彼女の表情は、勝利を確信したそれ。

 巨人騎士を一方的に鏖殺おうさつし、捕食した悪鬼が動きを止めたいまこそが勝機と飛び込んだのだ。


 功子の最大投射。

 それは機能停止と引き換えの、諸刃の剣のはずであり。

 恐怖を飲み込んででも、付けいるべき隙のはずだった。

 なのに──


「い──いってぇぇですわああああああああああああああああ!?」


 

 振り向きざまに腰部射出装置を起動し、闇黒の刃を交差法で妹騎士に叩き込んだのだ。

 砕かれるモーニングスター、穿たれる彼女の右手。

 闇黒が、膨張する。


「く、喰われてるですわ!? 傷が、傷があてくしを喰らって! 広がって!?」


 悪鬼によってつけられた傷が、極小飢餓虚空マイクロ・ブラックホールのようにライオネルの身体をむしばみ、肥大化する。


「いってぇですわ! いってぇですわ! ああ……でも、なんか気持ちよくなって──」


 絶叫し身もだえ、けれど止まらぬ痛みが忘我の快楽へと変換される。

 ライオネルが失禁したとき、鋭い気声が響き渡った。


「歯を食いしばるわけだ、賢妹!」


 あわや食い尽くされるという寸前で、駆けつけた姉騎士がライオネルの右腕を切断する。

 苦渋の決断は、同型機姉妹の停止を防いだ。


「ひぃっ!?」


 躯体の崩壊をギリギリで押しとどめた妹騎士だったが、安堵の息をついた次の刹那には、恐怖の声を漏らしていた。

 ゆらりと、悪鬼が彼女に視点を定めたのである。

 反射的に功子を解放し、周囲の多脚戦車を呼び集める姉妹騎士。


 瞬きの直後。

 それらすべてが、消滅していた。


「「は?」」


 作っていたキャラを思わず忘れ、素のままに呆然とする姉妹騎士。

 悪鬼の口元がガリゴリと動いていることで、彼女たちはすべてを察した。

 食べたのだ、すべてを。

 戦慄する彼女たちを尻目に、悪鬼が一歩を踏み出す。


 だが、ここでだれにとっても予想外の事態が起きる。


 セクタを構成している無数の機械樹木が大きくうねると、悪鬼の頭上から津波のように襲いかかったのだ。


「ヨクモ……ヨクモ、リトーヲォオオオオオオオオオオオオ!」


 咆吼するのは、長老種たる女王。

 電子掲示板の顔からは、止めどなくドットの雨を滴らせ、怨嗟を込めた全力全開の攻撃を放つ。


「あ──あてくしたちの役目は、リトーに本分を遂げさせるさせるところまでですわ!」

「つまり、もう十全に役目を果たしたわけだ!」


 これを幸いとみたか、姉妹騎士が逃亡にかかる。

 それを許さないものたちがいた。


「被告ボールス・キュノケファロス! 被告ライオネル・キュノケファロス! 容疑は任務放棄に伴う背信! 判決は磔刑! 姉妹を、はりつけに処すじゃ、あーりませんか!」


 空気を引き裂き、伸びた巫女の千早の袖が、姉妹騎士の全身を絡め取る。


「し、しまったワケダ!?」

「ででで、でも、まだですわ……!」

「──いいえ。あなたたちの命運は、ここで終わりよ!」

「「!?」」


 姉妹がハッと上空を見上げれば、そこには集結する無限数の引斥力刃。

 拡張刃衣を巨大な一本の剣へと転換した魔女が、最上段から切り伏せる。


「拡張刃衣戦術、第零式──夢幻刀天アークライト仏陀斬ぶっだぎり!」


 超々高質量、単純明快な物理の刃が、姉妹騎士の身体を一刀両断した。


「こ、んな、あっけなくで、でででですわーーーー!!!」

「カイザー、万歳な、ワケダーーーー!!!」


 大爆発を起こす二体の珪素騎士。

 けれど、かかる災厄は終わらない。

 山と化していた機械樹木の半分が、一瞬で蹴り砕かれる。

 のっそりと姿を現したのは、漆黒の悪鬼。


 女王が赫怒のままに構造体を操作。

 地面が縦に割れ、悪鬼を飲み込み、圧壊しようとする。


「カミツキ・システムが暴走──いいえ、。負位置の功子が叛作用を起こし、キリクの認識を変化させているのよ。触れたものすべてを、自分の肉体の延長線上……つまり、分解・消化・支配──餌として取り込んでいるの!」

「魔女のご託など、聞くに堪えん濁声だみごえだ!」


 棒立ちになる魔女の横を、疾風のごとく巫女が駆け抜ける。


「婿殿! その悪臭は何だ? 普段の男ぶりはどうした! これでは百年の恋も冷めるというものだぞ!」


 悪鬼の動きを拘束しようと、女王と連携し巫女が袖を伸ばす。

 けれども悪鬼は止まらない。

 地割れを撫でれば構造体の構成要素が瓦解し、巫女の袖ですら靄に触れた端から紙切れのように粉砕されていく。


 ついに自由を取り戻した悪鬼は、本当にセクタに存在するすべてを我が物にしようと行動を開始。

 真っ先に目をつけたのは、邪魔な羽虫。

 つまり──


「オ、オノレェェ!」


 女王を捕食せんと、悪鬼が地を蹴る。

 死を覚悟して、ぎゅっと顔文字の目が閉じて──


「────」


 ゾブリと、悪鬼の牙が、なにかを噛み切った。

 それは。

 それは──


「……あい、あすく、ゆー」


 宙を舞うのは、シールドスーツに包まれた、か細い腕。

 片腕になった長身の魔女が。

 小さな悪鬼を抱きしめて、その耳元で、やさしく囁く。


「答えて頂戴。あなたは、なぁに?」

『──摂食機構カミツキ──』

「いいえ。あなたは答えた。自分は神にならなくていいと。あなたは命を守る防人。キリク、あなたは」


 ──あなたは、人間よ。


『────』


 その言葉は。


『────』


 かつて誰かが己を定義した言葉は。


「──ぉぉ」


 いま、〝〟の意識を、引き戻す。


『──功子の零地点を再経過──功子摂取を完遂──カミツキ・システム──終了します』


 蛍光色の雨に溶けるようにして、消滅する闇黒の鎧。

 響き渡るのは電子合成音と、私の力無い嗚咽。

 色味を失い、錆はじめた長髪が、べったりと私の肌に張り付く。


「リトー、女王、ヴィーチェ、皆……」


 嗚呼、嗚呼……!

 誰も彼もに、私は。

 私は、私はどうして、こんなにも取り返しのつかないことを──


「おおお、おおおおお……おおおおおお……」


 跪き、うずくまり、泥水に突っ伏して、許しを請う。


 リトー。

 私は、きみを。

 君の約束を──


「──っ」


 額に痛みが走る。

 ふれると、皮膚が裂け、血が流れていた。

 かすんだ視界をあげる。


「BIBIBIBIBIBI──激憤!」

「DEDEDEDED──呪詛!」


 発動機を背負った住民達。

 何人もの、小さな子ども達。

 彼らが、手に手に瓦礫を持って、私へと投げつける。


 小石がぶつかるたびに、悲鳴を上げそうになる。

 肉体の痛みにではなく、心の悼みに。


「立チ去リナサイ。貴方ヲ、友ト呼ブ最優ノ騎士ハ、モウ居マセン」


 静かな声音で、女王が言った。

 ブルブルと全身を激情に震わせながら、それでも理性的に。


「早ク、コノ区画カラ、居ナクナリナサイ」

「女王。私は……私は、リトーに、あなたたちに償えないことをしてしまって」

「消エロト言ッテイルデショウガアアアアアア!」


 彼女の涙混じりの慟哭とともに、またいくつもの瓦礫が飛んでくる。

 巫女殿が袖を広げ、そっと防いでくれるが、事実は消えない。


「行きましょう、キリク」


 ヴィーチェが、努めて機械的な声音で、そう告げて。


「彼女たちは、きっと戦い続ける。あなたはもう、ここにいてはいけないのよ」

「────」


 ……立つというのなら、きっとこのセクタの住人達は立つだろう。

 今後も間断なく襲い来る廻坐の軍勢に、果敢に立ち向かうだろう。

 これまで見つめ続けた、英雄の背中を思い出して。


 ……私がこの手で奪った、最も優しき騎士の幻影を追い続けて。

 全滅する、その日まで。


「────」


 始末に負えないどころではない。

 罪深さに、私は小娘のように震えることしかできない。

 極彩色の雨は、いつの間にか冷気で雪へと変わっていた。功子皮膜を失った肉体が、ただただ凍えそうなほど冷たかった。


 片腕を失った相棒が、私を背負いあげる。

 暴走の結果か、それとも精神の衝撃の所為か。

 意識がもうろうと消えゆく中で、私はいつまでも聞いていた。


「悪鬼! 獣! ヒトデナシ!」


 いつまでも、いつまでも。

 子ども達の、怨嗟の声を。

 消えることのない、呪詛の声を。


 ──いつまでも。

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