第七章 復活の蒼銀 ~ウィッチ・エンヴィー~
第一節 護国の鬼は告げた、否であると
人間情報電池、という考え方は誤りだった。
正しくは──記憶功子変換器。
それが、沼に収められた無数の住民の身体だったのである。
微弱だが、生命体には功子が宿る。
わずかな砂粒でも積み上げれば天へと届く。
何百サイクルもの長きにわたって貯蔵された住民たちの身体。
膨大量の資源と、膨大量の肉体、そして感情を擬似的に循環させることで、沼全体を功子発生装置として転用。
結果として、束ねられた功子の量は尋常ではなく、それがオレたちの感覚器を狂わせていた。
ある意味で、情報迷彩として機能していたのである。
そう、ここまで来れば明白も明白。
スワンプマンの目的は、功子を操りに神に匹敵することだったのである。
神と経済、双方に仕えることは出来ない──などという言葉がある。
であるならば、スワンプマンは経済に仕えることを選んだに違いないでは、あーりませんか。
嗟乎、なんと
「だが、神を裏切るなどあまりに不敬! 言語道断許せぬ所業に、俺の怒りがボルテックス!」
「怒り心頭のところすまないが、この功子の流れは、そろそろ臨界ではないのか、巫女殿?」
あくまで冷静に、叛逆者は語りかけてくる。
確かに、周囲の印象迷彩をすべて取り除き、こちらの知覚を最大まで高めると、功子濃度が跳ね上がっているのを感じる。
沼の最大活性が始まっているのだ。
「巫女殿」
「何だ、叛逆者。逃げ出したくなったか?」
「このまま捨て置けば、上の街に住む人々はどうなる?」
「死ぬ。巻き込まれ、功子に還元される」
直線の問いかけに、直線で答える。
黄金の
「ならば、助けに戻らねばなるまいよ」
「無茶を言ってくれる」
思わず、オレの口元が皮肉げに歪んだ。
臨界までの時間は残りわずか。窮地なのはオレたちも同じ。沼が最大活性すれば、この場所ごと、オレたちの身体も功子に変換されてしまう。
むしろ、この状況を打破しようとするのならば。
「叛逆者。おまえの功子全投射で、沼ごと街を吹き飛ばす。それ以外に、スワンプマンの企みを防ぐ手段はないと知れ」
「…………」
彼女が、ゆっくりと目を閉じる。
そうして。
「否だ」
きっぱりと、そう言った。
だろうなぁと、オレは笑うしかなかった。
つきあいの時間は短いが、こういうのは解っていた。
オレを生かすためにデッドチップを作っていたメドラウドを殺したようなやつだ、こちらの言うことを聞いてくれるわけがない。
だが、ならばどうする?
如何として埒を明ける、グイン?
考えろ、考えろ神の巫女──
『これはお困りのようデスじゃな、巫女様がた。お助けしましょうデスじゃか?』
瞬間、頭上から声が振り注ぎ。
沼の虹色の湖底が、宝石を敷き詰めたように輝き、球体頭の顔に変わった。
「スワンプマン! どの口がほざく!」
『もちろんこの口デスじゃが、絶体絶命の巫女様?』
ニタニタと、巨大な球体頭がほくそ笑む。
『おやさしい巫女様のことデスじゃ。街の住民たちが犠牲になるとわかって、そのコンバーターを吹き飛ばすことは出来ませんデスじゃろ? そんなことをすれば、記憶とへその緒で繋がった工員たちは全滅デスじゃだ。そんな残虐、巫女様には出来ますまいデスじゃ』
「罷り通らんな、それは……!」
確かにそれは出来ない。
神の所有物を、オレの意志で破壊するなどと言うことは──
ギリッと唇を噛み締める、血が流れ出す。
スワンプマンが、笑いながら視線を隣へと移した。
『さて、本題はこちらデスじゃ。そこにいるのは叛逆者殿デスじゃね? カイザー様に徒為す恐ろしい化け物……しかし、戦力としては有能デスじゃ。じつは我が輩、新たな神になりこの世を治めようとしていますのデスじゃ。ふふ、まどろっこしいのはなしデスじゃ。端的に言うと、叛逆者殿──』
わたくしの手下になりませんデスじゃか?
と、球体頭は、言った。
『いまなら功子を常時供給。不老不死になれるうえ、格段に強くなれますデスじゃよ? さすれば全能万能、やりたい放題デスじゃ!』
「な!?」
オレは絶句する。
まさか、このタイミングで、こんな状況で。
スワンプマンは、キリクを仲間に引き入れようと言うのか!?
彼女は、確かに神への強い憎悪がある。
そして、力への憧憬もひとしおだ。
条件はそろっている。
膝を折らない理由がない!
オレは、キリクにすがりつきそうになった。彼女を力ずくで止めようとした。
けれど、その目が。
黄金の瞳が、あまりにまっすぐに。
「否である」
悪魔の誘いを、否定したから。
『な──なぜデスじゃかぁああ!?』
これに驚いたのは、スワンプマンのほうだった。
圧倒的優位から、断られるはずもない誘いを拒絶されたのだから。
『神は強大デスじゃ。叛逆者殿だけでは、我が輩にだって勝てないのデスじゃ。断るなんてアリエナイのデスじゃ!! は……ははーん、さては臆したのデスじゃね!?』
「……? 臆しているのは、おまえだろう、スワンプマン」
キリクが、首をかしげ、言う。
「この階層にやってくるまで、私は幾人もの人々を見た。彼らの多くは神をたたえる一方で、その力を畏れていた。当然だ、世界を自在に変える力だ、私だって恐ろしい」
『であれば!』
「同じように、力と恐怖で支配するのなら、おまえも邪神と何ら変わりないではないか、スワンプマン」
ぴしゃりと、キリクが言ってのける。
「おまえのような邪悪にな、立ち向かうこともなく旅を中断したら、私は大切な恩人に怒られてしまうのだ。だから──不老不死は、いらない!」
拳を打ち鳴らし、彼女は高らかに言う。
「おまえの企ては、ここで挫かせて貰うぞ、邪悪!」
『ぎ、ぎいいいいいいいいいいいいいいいいいい! ザマアみせてやるデスじゃからの、あとで吠え面をかくのデスじゃあああああああ!!』
歯ぎしりをしながら、スワンプマンの顔がかき消える。
同時に、周囲の輪郭が溶け始め、境界線が曖昧になる。地下施設が沼と融合を始めたのだ。
球体頭の目的ははっきりした。
沼を変換炉に、街を鋼の肉体に、そして工夫たちを功子の原料に変えて、神に成り代わることだ。
ならば、この場所もすぐに、やつに飲み込まれる。
実際、湖面はどんどん下がってきている。
そんな危機的な状況で。
しかしオレは、笑ってしまっていた。
その痛快さに。
キリクの、愚かしいまでのまっすぐさに。
だからだろう。
わだかまりも忘れて、オレはとんでもないことを口走ってしまったのだ。
すなわち、
「キリク、おまえ──オレの婿殿にならないか?」
「……そうしないと、ヴィーチェを助けてくれないと言い出すか?」
笑顔で首を振った。
そういうだろうと思ったし、こんなものだろうとも思っていた。大切な人というのも、そのあたりだろう。
ただ、心がこれ以上なく晴れ晴れしていたから。
「スワンプマンとオレは違う。約束は守るとも、婿殿。だが、その前に──」
オレと彼女が、同時に戦闘態勢に入る。
周囲の培養槽が泡立ち始める。沼が大きく波打ち、光の加減が変わる。
そして、湧き出すように前方から、無数の敵影が出現した。
それは八本の脚を持つ、多脚戦車の一個師団だった。
「ああ、あれを蹴散らしてからだな」
キリクが、天へと拳を突き上げながら、叫んだ。
「功子転換──戦鬼転生!」
吹き荒れる熱波とともに。
真紅の鬼が。
その双眸が!
いま──黄金に輝く!
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます