第八節 有機ケーブルのパスタ~熱い不凍液とともに~

 神は地の底におわし。

 されど、我らの危難を救うことはなし。

 生まれて初めて、オレは神の加護に疑いを持った。

 だって、そうだろう?


 目の前に差し出されるのは、色とりどりの配線に茶色いソースが絡みついたものと、蛍光グリーンの茹だった不凍液。


 これを喰えと言われて、正気を保てるものがいるのか? カイザーを信じろと? 作ったのは叛逆者なのに? というか、こいつオレを毒殺しようとしているのでは?


 めまぐるしく脳内で飛び交う怒濤の混乱も、なぜか不敵な笑みを浮かべている彼女の前では口には出せない。

 あの顔は、自信がある顔じゃ、あーりませんか?


 げんなりとしつつ、オレは配線をつまみ上げる。

 恐怖で手が震えるが……。

 意を決し、口へと入れる。


 パク、もちもちもち……つるん。


「…………!?」


 な、なんだこれは?

 ものっそいしているじゃあーりませんか!?

 あと、のどごしがすごい滑らか!


 噛み締めると、癖のある芳ばしい香りが、ふんわりと立ち上がり、絶妙なしょっぱさが舌に残る。

 いい、これはいい。

 鼻から抜ける、独特の薫りがエクセレント!

 ナッツ臭? 或いは、燻製にも近い。


 もっと言えば、やけに芳ばしいのは、あのバグジュースという代物の所為だろうか?

 よい、なんたる美味。嗅覚が喜んでいるのが解る。


 思わず、忘我となって口に運んでいると、喉に詰まらせた。

 普段からペリモムのような食べやすいものしか経口摂取しないので、喉が細くなっていたらしい。


「けほ、かふ!」

「大丈夫か? 慌てて食べるからだ。ほら、不凍液で流し込め」


 言われるがまま、温かい不凍液に口をつける。


 こくこく。


 ──あまーい!


 それも、そよ風のように優しい甘さだ。

 お腹がなんだか温かい。

 じんわりと、細胞のいっぺんいっぺんにまで広がるぬくもりだ。鼻の奥から爽やかな、香りが抜けるのも味わい深い。


 目を閉じて、ごくごくと嚥下する。

 液体を飲む。

 その感覚自体が、久しい。

 満たされるような、甘く痺れるような多幸感が、脳髄を包んだ。


 目新しく、珍しく。

 未知を味わい、分析する快楽。


 気がつけば、オレはすっかり完食してしまっていた。

 キラキラおめめを輝かせ、食事を楽しんでしまっていた。

 こうはならんだろうという組み合わせから、マジックのようにおいしいなにかが生み出されていたからだ。


 奇跡とは、神だけに許された権能だが……

 これはまるで、そのそれのようだった。


「奇跡とは、冗談にしても笑えない。私は奇跡の誅戮者、神のご都合主義を否定するものだ。それはともかく……腹は膨らんだか?」

「……うむ。業腹だが、釈然としないが、オレは満たされた」

「だったらよかった」


 朗らかに笑い、自分の分の食事に手をつける彼女。

 功子の残量を確認すると、ペリモムの数倍近い値が充填されていた。

 倍率としては、手間がかかる分を差し引いて同じぐらいだろう。

 けれど、この胸の内が暖かくなる感覚は、ペリモムでは一度も味わえなかったものだ。

 ……味わう。

 これが、味わうという感覚……


「何故、オレを殺そうとしない?」


 気がつけば、そんな問いかけを投げていた。

 叛逆者は、困ったように首を傾げ。


「殺しては、ヴィーチェを直せるものがいない」


 と、言った。

 それから付け加えるように、


「なにより、君は私が殺さなければならないようなことを、していないように思う。少なくとも、珪素騎士ほどには」


 オレがおめめを見開いて沈黙すると、彼女はむずがゆそうな表情をする。

 そうして、関係が無いような話題を口にした。


「……不思議なものだ。男は厨房に立つなと。男と女では役割が違うと私は教えられ、それを常識として疑いもしなかった。だというのにいまは料理を学び、こうして腕をふるうまでになった」

「叛逆者」

「キリクでいい。互いに敵意がないなら、そう呼ばれるほうが私は嬉しい」

「ならば、キリクと呼ぶが」


 オレは、彼女の黄金の瞳をのぞき込むようにして、告げる。


「借りを、返したい」

「食事のか? 敵対しなかったことではなく」

「そうだ。摂食をおいしいと感じたのは、これが初めてだったのだ。だから、オレは」

宿


 ──え?

 その、その聞き覚えのある言葉は。


「君はじつに佳い食いっぷりだった。本当のところを言えば、私も誰かと食事をともにするのは久しぶりだったのだ」


 だから。


「礼ならば、私が述べたいのだ。うまい飯だったと。……案外、そのあたりが君と敵対したくなかった、本当の理由かも知れないな。ああ、そうだ。私は君を敵にしたくないと感じている。明確に、それが嫌だとな」


 言って、言い放って、にっかりと笑う彼女に。

 オレの功子リアクターが、トゥンクと跳ねた。

 ドキドキが止まらない。

 鼻の奥がむずがゆい。

 お腹があったかいからか、頬にまで血の気が上がってきて。


「……っ」


 オレは、桃色に染まった頬を見られたくなくて、慌てて顔を背けた。

 不思議そうにする叛逆者──キリクを直視できない。

 黒目金瞳が潤んで止まない。

 ああ、なんだ、何なのだ、この気持ちは……!


 ──!!


「巫女殿」

「うるせーですスケコマシ! いま感情の整理を」

「すけこ──いや、それよりも君、これを見てくれ。発動機をえぐり出したことで、表層に現れたのだが」


 いま気がついたと、驚きをあらわにする彼女に促され。

 オレは渋々、示された方向を見て。


 そうして、驚愕に目を見開いた。


 感動ではない。

 憤激に、だ。


「あの、球体頭のスワンプマンめが……!」


 激発とともに、オレは周囲を睨み付けた。

 無数の培養槽に意識を取られ気がつかなかったが、俯瞰してみればあまりに単純な隠しものだった。


 なぜ、このような重要施設にオレたちを封じ込めたのかわからないと、首をかしげていた。

 だが、それは実にくだらなく、間抜けな思惟だった。


 関係ないのだ。

 証拠を押さえられたとか、急所であるとか、スワンプマンにはおびえる必要などなかったのだ。

 なぜなら、この場所は

 沼の最大稼働とは──


「まさに、神をも畏れぬ所業だな。私も、これは不快だ」


 キリクが見つけ、オレが確かめたもの。

 それは、功子知覚者にしか感じ取れない世界の揺らぎ。

 培養槽を印象迷彩にして隠されていた


 そう、沼の底に広がる膨大な機械。これは──


「出来損ないが、謀ってくれた! スワンプマン、あの悪魔の目的は──この街すべてを、功子に変換することだったか! 住民すべてを、自分の養分に変えることだったか!」


 無力無価値な球体頭を、功子を扱える価値ある器へと生まれ変わらせる。

 即ち沼とは──


 超巨大な、外付け功子転換炉コンバーターだったのである。

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