第六節 ペリモム食べる
「──殿──女殿!」
真っ先に自覚したのは、懐かしい薫り。
遠い、遠い過去──決して交わらない断絶──どこかで嗅いだ覚えのある、望郷の残り香。
死臭と煤煙のなかに漂う、芳ばしい穀物の匂い。
覚えている、確かに。
穀物なんて、この世界にはほとんど存在しないのに。
「巫女殿! 巫女殿!」
ぼんやりと目を開ける。
鮮烈な色彩の髪を振り乱した彼女が、必死にオレを呼んでいた。
まっすぐな、直刃のような眼。
叛逆者は、オレを見つめて。
オレは。
「……グイン」
「なに? なんと言った、巫女殿?」
「グイネヴィア・ノウァ・ガラハド。覚えなくてもいい、誰も呼ばない記号だから」
「…………」
「それより、ここは、どこだ?」
起き上がり、ぐるりと周囲を見渡して、オレは首をかしげた。
どうにも奇妙な場所だった。
寝転がっていた床は有機配線にまみれており、周囲には無数のアクリル窓がついた円筒形パーツがごろごろ。
そして降り注ぐベール、揺蕩う虹色の光。それらを観測する知覚系には、ときおりノイズが走り。
見上げれば、虹色の水面が波打っている。
「巫女殿が咄嗟にかばってくれたのだが、どうやらここは沼の底らしい」
──思い出した。
叛逆者の言葉で、記憶のバックアップに成功する。
いや、一部は不全を起こしたままか……N-verコードの性質上、是非もない。
そうだ、N-verコードによって脳内が浸食──ああ、塗りつぶされた。あれは神が提供したものとは違うものだ──された瞬間、オレは咄嗟に功子を使ったのだ。
両袖を拡張し、彼女ごと全身を貝殻のように包み込み、一種のシェルターを構築した。
そうしてそのまま沼へと落下して──本来なら粉々に分解されるところを切り抜けたのだが。
「まさか、湖底がこうなっていたとはな」
斜塔の街の地下、沼の底。
眼前に広がるのは──おぞましいまでの悪逆だった。
円筒に着いた窓をのぞき込めば、そこにあるのは人間の顔。
培養槽。
クローン技術によって保たれた、完全な素体。
これは──人間記憶電池だ。
ずらりと並ぶ円筒には、すべての人間が納められ。
そこから伸びるケーブルが、へその緒として地上の住人たちにつながっているのだ。
「見え透いたか、絡繰りが」
想定よりも少ない、見かけ上の情報ドラッグ使用量。
沼に投身自殺するたびに、吐き出されよみがえる住人たちの正体。
まったくおなじ匂いのする住人たち。
それが、これだ。
「巫女殿、これは、いったい?」
「わからいでか。死ぬことも許されず活かされて、〝資源〟にされているのさ、こやつらは」
「資源……」
理解し、眉根を寄せる叛逆者。
そう、〝資源〟だ。
新型N-verコードを作るための、〝資源〟なのだ。
N-verコード自体は、神が無より作り出した、膨大なあらゆる記憶を内包する情報素子だ。
人間の記憶の摩耗、欠落を埋めてしまうほどの膨大な情報だ。
きっとこれ自体は、エネルギーに置換され、利用されているのだろう。
では、いつわりの、新型N-verコードは、なにに由来するものか?
ずばり、住民たちの記憶そのものだ。
産まれた落ちた瞬間から、このときまでの。
痛み、苦痛、怒り、嘆き、絶望、喜び、祈り、希死念慮──ありとあらゆる感情と記憶が、そのままドラッグとにコンバートされていたのだ。
神が与える福音ではない。
無から創造される、神秘体験の記憶ではない。
無数の住人の記憶を搾取し混交した、混沌そのものが、新型情報ドラッグだったのだ。
ひとを塗りつぶす他者の記憶こそが、それだったのだ。
「グッ」
怖気の走るものを頭に塗り込まれたという事実に、躯体が不備の悲鳴を上げる。
テセウスの船だ。
壊れた船体を修復するために、パーツを交換していく。
繰り返すたびに真新しくなる船体は、いずれ原形をとどめなくなる。
はたしてそれは、元と同じものだろうか?
住人たちの記憶は、意志は、魂は──もはや、何処にもないのではないか?
新型情報ドラッグが、オレの想像するとおりのものだというのなら。
接種し続けた住人たちがどうなったかなど、考えるまでもないことだ。
まったくおなじ記憶で補填された、空っぽの器。
同一の記憶で駆動し、へその緒を介して感情をフィードバックされ、身体が古くなれば──病を患えば、臓器ごと新品と交換される存在。
そんなもの、もはや人間とは呼べない。
量産された、機械に過ぎない。
おぞましい。
これほどおぞましいものに、スワンプマンは、オレさえ取り込もうとしたのだ。オレを街の一部にしようとしやがった。
そうだ、この街はもはや、一個の有機的な機械に過ぎない。
労働的機械そのもの!
「
不老の正体は、ただの尊厳の剥奪ではないか。
……だが。
なんのために球体頭は、こんなことをしている?
住民の機械化は、許せないことだ。神の所有物を勝手に書き換えるなど断じて許されない
とはいえ、効率化ならほかにいくらでも方法があるだろう。
なにより、こんな急所のような場所にオレたちを投げ出す意図がわからない。
確殺できる保証など、微塵もなかったであろうに──
「巫女殿、こんなときに確認することではないのかも知れないが」
「──ん? ああ、解ってるよ。魔女の身体を再構築できるか、だろ? へそが茶を沸かす」
これまで、絡繰りに気がつかなかったのはオレの落ち度だが。
しかし、種が割れれば造作もない。
ここには、躯体を造り出すための材料がいくらでもある。
情報の海、資源の海原。
この沼自体が、超巨大なプラントなのだから。
笑わせる。
沼がなければ、新型N-verコードもうまれなかったという訳か……。
「私は役に立っていないようだが、願いを聞いてくれるか」
「さげすむな、叛逆者。自分の価値を安売りするやつは莫迦だ。オレは約束は守る。もちろん、ここを探索する手伝いはして貰うし、証拠を集める必要があるから、そのあとにだが」
彼女をぞんざいにあしらいながら、考える。
問題は、オレが功子を消費しすぎたことだ。
混乱状態で反射的にとはいえ、シェルターの構築とこの叛逆者との戦闘でかつかつだ。
……そうだ。いま彼女が、オレを殺そうと思うのなら、それは容易い。
命と引き換えだと脅迫されれば、いかにオレでも魔女の復元ぐらいはやってしまうだろう。
それを考えると、叛逆者の謙虚すぎる対応は、どうにも釈然としなかった。
……ふむ。
「すこし、補給がいるか」
独白しつつ、オレは袖の中身をひとつ、取り出した。
万が一の備えを始めることにしたのだ。
「それは?」
不思議そうに、叛逆者が首をかしげる。
どうやら辺境人である叛逆者は、こんなありふれたものすら知らないらしい。
「ペリモムだ」
「緊急時携帯糧食と刻印された、四隅が赤黒に染まった紙束にしか見えないのだが……」
胡乱な顔をする彼女。
どうやら本当に知らないらしい。
『その名称を気に入ってるのは、巫女ちゃんだけだぜ? 珪素騎士はこう呼んでる、
また、亡霊の声が蘇る。
復活する予定もないのなら、あまりオレをたぶらかさないで欲しい。
……確かにコレは、一般的な呼称ではなかったかも知れない。
うん、百聞は一見にしかずだろう。未知を知るのは喜びだ。
束になっているシールを、オレは一枚、ぺりっと剥がす。
そうして彼女によく見せると、口の中に放り込んだ。
もむもむ。
噛んでいると唾液で膨らみ、飲み込むとそれなりの満腹感が得られる。
もう一枚、食べる。
ぺりぺり、もむもむもむ。
ぺり、もむもむ。
「なんだ、そんな顔をして。もの欲しいのなら相応の態度というものがあるんじゃ、あーりませんか?」
「いや……欲しいわけではなく」
「
「むぐぁ!?」
強引に、一枚彼女の口に押し込み、そのまま飲み込ませる。
柔らかな唇に一瞬触れて、オレの方がドキッとする。
筆舌しがたい表情をしていた叛逆者だが、消化が始まるとさらに名状しがたい表情になった。
「功子が、十ちょっと回復した……」
「割がいいだろう」
「鉄錆のような味がする……」
「味とかなんとか、そんなことは些細なことです。さすが我らがカイザーのギフト、偉大すぎて下々にはなんか理解できない」
「…………。ちょっと、待っていろ」
無言で頭を抱えていた叛逆者だったが。
やがて、頭痛をこらえるようにして動き出した。
そのへんの有機ケーブルを適当に引き抜き、器用に絶縁コーティング部分だけを切り取っていく。
「何をするつもりだ?」
問いかけるオレに。
彼女はやけに切迫した表情で、こう答えた。
「料理を、するのだとも……!」
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