第五節 陰謀の臭いを追え!

 ぱちぱちと瞬き。

 それほど珍しい光景が、目の前で展開されていた。

 助けられた工夫が、叛逆者に手を合わせていたのである。


「……見るがいい、巫女殿よ。やはり彼らは、権力者の食い物にされてよい存在ではない。八紘一宇を掲げるのなら、ひとは皆家族だというのなら、このいびつさを肯定してはならない」

「それが、叛逆者が掲げる正義だと?」

「正義など何の意味もない。ただ、家族とはもっとお互いを見つめ合うものだと言うだけだ」


 ……ふむ。


「現状を憂うというなら、N-verコードを推奨している頭を叩くしかないがな」

「それは廻坐乱主ではない、と。君はいうのだろう?」


 もちろんだとも。

 偉大なりしカイザーは、あくまで求められたから与えているに過ぎない。


「この街の工場長──球体頭のスワンプマンこそが、この有様を招いた元凶だ」


 ただひとりだけ、顔を出して歩き回る生命体。自らに価値ありと、宝石を纏った同一個体。

 それが、あの工場長スワンプマン。

 この街でもっとも古い生命体であり、特異性を支える折衝役。

 街を始めたのも、N-verコードをこれほど求めたのも、やつである。


「あれはな、叛逆者。どうにも嫌な臭いがするのです」

「嫌な臭い?」


 まだ拝んでいる住民の肩を優しく叩き、戻ってきた叛逆者の頭にすっぽりロールシャッハ迷彩をかぶせ直しながら。

 オレは説明を再開する。

 自分の鼻先を指差して、かすかに笑みを作って。


「自慢にもならないが、オレは鼻がいい。ひと嗅ぎすれば、そいつが食べたものから殺した相手、なにに触れているかまですべて解る。ついでにいえば、精神の動きもだ」

「読心術のたぐいか」

「違う。だが、その解釈でいい」


 大切なのは、スワンプマンからは嘘の臭いがすると言うことだ。


「嘘、というよりは、欺瞞ぎまんの臭い。たばかりに、鼻の奥がきな臭くなる」

「……廻坐乱主に叛逆の意図ありとするのなら、私はその人物を否定できないかも知れない」

「そうだろうなァ」


 おまえは、本当に正直者だ。


「けれど、神に叛逆すると言うことが、即ちおまえと目的を同じくするとは限らないぞ、叛逆者」

「結果的に神を殺す一助になるかも知れない……とは考えないのか?」

「それが、ここの──いや、多くの住民の尊厳を奪うものでもか? 神に弓引くことが、尊厳の殺戮者と同義とは、オレも知らなかった」

「どういう、ことだ……?」


 答えてやらなかった。

 かわりに、シッと彼女の柔らかい唇に、人差し指を突きつける。

 もう少しで、スワンプマンが常駐している区画だったからだ。


 無言で、見るものの精神へ鑑賞して意識から除外する〝ロールシャッハ印象迷彩〟の、出力を最大まで引き上げる。

 アクシデントはあったが、一応順調だ。だから、ここから先は警戒を密にする。

 なにせ、神にすら無断の事柄なのだから。


「……そもそも、オレがこの街を訪ねるのには理由がある」


 それは、観察のためだ。

 神は産まれたばかりのオレに言った──『世界を知れ』と。

 オレの功子制御能力は、観察だとか分析にとことん向いている。

 だから弩級構造体を巡礼しつつ、いくつもの物事を嗅ぎ分けてきた。

 そして、特にこの数サイクル、この街にはおかしなところが見えている。


 ひとつは、輸入した資源の量と、輸出した機材の量が釣り合わないこと。

 もうひとつは、N-verコードの需要量が、こちらの提供を下回っていること。


 どんな生命であれ、永劫という退屈に勝利することはできない。

 易々と死ぬことができないこの街の住民たちは、その精神の欠落をN-verコードという情報ドラッグで補填しなくてはならない。

 恐怖だとか羞恥だとか苦痛だとかで汚染された思考を、ドラッグで塗りつぶす必要がある。

 だというのに、神の供給よりも見かけ上の消費量が下回っているのだ。


「ゆえに、オレは個人的に調査をしている」


 口の中でつぶやいて、意を決する。

 オレには珪素騎士とは異なる独立権限がある。単独行動も、いまや偶発的だが可能だ。お目付役がいないのだから、オレの瑕疵ではない。

 だから調べる。


 そのために、息を潜め、スワンプマンが街のすべてを監理する中枢へと潜り込んだ。

 しかし、そこに工場長の姿はなく。

 空間に浮かんだ無数のインターフェイスとモニターが、輝く街のあらゆる情報を提示しているだけだ。


 なるほど、これは丁度いいと、ほくそ笑む。

 今なら調べ放題、好都合だ。


 インターフェースのひとつにとりついて、袖の中から取りだした入出力端子を接続。

 強制的にデータを吸い出し、閲覧、複写しつつ、自分に言い聞かせる。


 これはガサ入れだが、罪人をでっち上げにきたわけではない。

 選ばれた下層への旅人を導くついでに、あからさまな嫌疑を晴らしてやることにしたと、そういう次第である。


 戦力として叛逆者を見繕ってはいるが、別段、本気の本気でスワンプマンを疑っているわけではない。

 背神などという愚かしいことを、この叛逆者以外がなしえるわけがないのだから。


 けれど──


「不愉快だ。鼻の奥がチリチリする……!」


 そこに納められていた情報は、けっして許されるものではなかった。

 なぜなら、あの球体頭は。

 スワンプマンは──


「巫女殿!」

「──ッ!」


 叛逆者が俺の手を引いた瞬間には、もう遅かった。

 部屋の至る所から無数のケーブルが投網のように投擲され、全身に絡みつく。


「がああああああああああ!?」


 咄嗟にちぎろうとするが、急にモニターが明滅し、オレへと膨大な量の情報が逆流する。

 尋常ではないデータ量に脳髄が過負荷を起こし、陶酔したように身体の自由が奪われる。

 こ、これは、N-verコード!?


「嗅ぎ回るだけなら放置しておこうと思ったのデスじゃが、調べがついてしまったのなら、致し方ないデスじゃね!」

「球体頭ァ!」

「たとえ巫女様でも、巫女様だからこそ容赦いたしませぬデスじゃ! 沼の底で、我が輩の野望の礎になって貰うデス。端的に言うと、DEATH《死ね》デスじゃ!」


 画面にいっぱいに映し出されたスワンプマンがにんまりと笑った瞬間、足下が消失した。


 オレは。オレたちは。

 なすすべもなく奈落の底へと。

 虹色の沼へと転落して──

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