第三節 筋トレと密談と

 オレの歓待のためだけに、斜塔の内部に用意された一室。

 N-verコードを配布し終え。

 恋に恋する乙女のような、るんるんスキップで扉を開けたのなら、部屋の中央では幼女が筋トレに勤しんでいた。


 え、ナニコレ?

 複雑だった心中が、よほど酷いことになる。


「……む?」


 高速逆立ち片手腕立て伏せとかいう、大道芸のようなパフォーマンスを発揮しているのは、紛れもなく幼女だった。


 大粒の汗にまみれた文字通りの童顔には、加重に対する苦痛の色がありありとあり、乱雑にまとめられた長髪は、至る所から後れ毛が伸びている。

 うなじを滴る汗が、妙に色っぽい気がしないでもないが、部屋の中に満ちる汗の臭いで台無しだった。


 この世界はもとより淀んで据えた臭いがするものだが。

 それでもこれだけ汗くさいと敵わない。


「なにをしでかしているのか、おまえは?」

「君か。見ての通りだ、鍛錬をしている」


 ナンデ?


 盛大に胸中で沸き立つ疑問。

 叛逆者である彼女には、功子という無限の力がある。

 その作用力、破壊力は世界に比類するものはなく、無敵の戦闘力を勝ち得ているに等しい。


 だと言うのに、わざわざトレーニングとは。

 しかも、傷だらけのはらぺこエンプティだってのにです。

 そんなのあまりに、頭が悪いじゃ、あーりませんか。


 オレの心中を察してだろう。

 少なくとも顔には出ていなかったはずだが、叛逆者は心を見抜くらしい。

 彼女は言った。


「幼女だからこそ、鍛錬が必要なのだ。疲弊時だから休んでよいなどという言い訳は、この非常時には通用しない」


 曰く、規律だと言う。


「私は弱い」


 最強者がそれを言う。


「幼女の身体は戦えたものではないと、括った高が、慢心を招いた。再三再四、己が弱者と知りながら、またも油断したのだ、この私は。その結果が、このざまだ。相棒を失って悄気返しょげかえる、始末に負えないこのざまだ」


 険しく表情を変えた彼女は、腕の力だけで跳躍。

 とんぼを切って一回転し、地に足がつくなり、滑るように一歩を踏み込む。


「だから、極めつけまで鍛えると決めた!」


 裂帛の気勢とともに踏み込まれる一歩と、繰り出される掌底。

 風が裂ける音とともに、次打が叩き込まれる。


「纏う装甲だけで勝てると怠惰した。手痛い敗北だ。この身体は未熟極まる。筋力を鍛えるにしても、限界がある。ゆえに──神経、経絡けいらくの構築に、注力しなくてはならなかった」


 上段蹴り、打ち下ろし、足運びからの山突き……と、技の披露が続く。


「同じ動作の繰り返しが、頭の中に神経の回路を作る。この回路を鍛えれば鍛えるほど、動作はスムーズに、そして早くなる。反動をつけた素早いトレーニングは、筋肉ではなく神経を鍛える。気功も同じだ。発する気息を意識するほど、全身を巡る気脈は太く、しなやかになる。そうして功子の発意もまた、同じだと知った。だからこそ、時間がなかったから負けたは、言い分未満の言い訳に過ぎん」


 反復練習──いわゆる、武術の型といわれるものを。

 繰り返し、繰り返し行う彼女。

 そこには明確な仮想敵がおり。

 故にこそ、誰を意識しているか嗅ぎ当てるなど、じつに容易いことだった。


 キャスパ・ラミデス。

 珪素騎士、最強の存在では、あーりませんか?


「……知っている顔だな、巫女殿」

「そうだな、知見がゼロではないぞ。知っている」


 メドラウド・トゥルッフの次には、よく知っている。


「なら、説明は不要だろう。あれに勝つには、精神論では及ばない。気合いで勝てるなら、戦術はいらない、武術はいらない。回天の為の方策が自爆カミカゼでいいなどと、軍にいた誰が信じたものか。特攻だけで勝てると本気で思ったのなら、私たちは誰も命を失わない特攻兵器を開発していたとも」


 それはまあ、しかりだろう。

 臭いで解る。

 このひとは、おのれの身体を限界まで鍛え上げている。


 すり減りすり切れ摩耗して、折れて千切れるギリギリまで。それを見定めて、肉体を極限まで鍛えあげている。

 どれだけの時間をかけたのかは知らないけれど、尋常ではない鍛錬のあとが、そこにはあった。


「気合いでは、歯車は円滑に回ることはない。必要なのは潤滑油で、得体の知れない気迫ではない。最後の一押しに、失敗しないための精神修養は必要だが、それだけだ。ならば必要なものは? そう、規律だ。混沌を切り裂く理性の刃。想定の限界を見定め、円滑に事を進める論理だ。そして、軍とは規律の最たるものだ。効率よく動作する威力。そのための憲兵ではないか」

「そうですか」


 しかし、それはあまりに皮肉だろう、痛烈という言葉ですらたりやしない。

 なぜなら叛逆者とは、精神の──


「……いや。もっともこんなことを言えば、ヴィーチェなどは苦笑するのだろうがな」


 オレの思考を遮る形で、彼女はぼそりつぶやいた。

 ほんのわずかだが、口元を緩めて。

 どうしてかオレは、それが少しだけ厭だった。


「酸性雨や磁場嵐をしのげる部屋を提供してくれたことには、礼を言う。だが、私が欲しいのは、これについてだ」


 構えを解いた彼女は──筋トレの間も肌身離さず背負っていたそれを──バックパックから生首を、再び取り出してみせた。

 圧断面からケーブルや内部構造を露出する、女の頭部。


「彼女は私を守って砕けたのだ。その挺身ていしん恩義に報いる必要性を、私は感じている。君は、彼女のことを知らないだろうが──私は彼女を救いたい」


 莫迦が。知っているとも。

 当然オレは、こいつを知っている。知らないわけが存在しない。


 魔女ル・フェイの名で呼ばれる最悪者。

 災厄最低の裏切り者。

 それを救う手段が欲しいと、この叛逆者はいうのだ。


 神に叛する〝赤き竜〟が。

 よりにもよって、このオレに!

 あなたたちに思うところが無数にある、このオレにだ。


「…………」


 とはいえ、すでに〝カイザー〟からの許可は得ていた。いや、この言い方は正確ではない。

 そうです、これを見通して、神はオレをこの街に遣わせたのだろうと思うほど、それは時期が一致しているのだった。


「……いいか、いいですか、叛逆者。オレは一度しか言わない。脳髄の記録野に、これでもかと刻み込め」

「心得た」


 頷く彼女に、オレは告げる。


「近く、この街の沼が、最大活性する。そのとき、兵器は大量生産されることになっている。もし、そこにオレの力を加えれば、万物万象、あらゆるものを再生させることは容易いだろう。死すらも死滅させるほどの功子転換も、可能だろう」

「本当か!」

「落ち着け」

「もし本当なら、頼む! 彼女を、ヴィーチェを救ってくれ! それができるのだろう、巫女殿は!」

「だから、落ち着けと言うのだこの。条件があるぐらい察しろ」


 必死の表情を見せる彼女に。

 オレは、少しばかり意地悪な気分で、こう告げるのだった。


「工場長たるスワンプマンには、神への背信の疑いがある。もしもやつを殺せたのなら──おまえとの取り引きに応じてやらないでもない。どうするかね、叛逆者くん?」

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