第二節 戦鬼、ふたたび

 己が無警戒を呪う。

 瞬きの間に、数百はあった距離を一気に詰められる。

 コンタクトまでの時間は、ゼロじゃ、あーりませんか!


 反射的に両腕を交差。

 袖を伸長させて、防御壁を構築。

 縦の回転とともに振り下ろされた賊の踵落としを、〝袖砦そでとりで〟が柔軟に受け止める。


 が、重い!

 なんたる想念がこもった一撃か!


 暗殺者などという侮りを、瞬時に訂正。

 排除すべき敵として、鉾鈴を賊へと向ける。

 鳴り響く浄化の音色が、射線上のすべてを沸騰させる音波兵器として作用を開始。


 構造体が瞬時に沸騰。

 巻き添えを食らって崩壊するバブルタンカー。

 けれど、賊は異次元の機動でそれを回避してみせる。

 賊の両腰、黒布の下から、長方形の箱のようなものが飛び出したのだ。


 フォグリップを賊の手が掴み、トリガを引くなり、長方形の末端が燐光を放つ。

 そのたびに、賊の身体が空中で、弾かれたように軌道を変える。


 踵が空間を蹴りつけ、踵から杭を打ち出せば、同じように燐光が放たれ、賊は縦横無尽、ランダム自在に跳ね回る。


 星の海のような斜塔を背景に、イナヅマの軌跡を描き舞い踊る影。


 何らかの反発力で移動していると推測して……あの輝き、この匂い! 間違いない!

 嗟乎ああ、鼻の奥がムズ痒いぞ!


「そうか、おまえがそうか!」


 自分の口元が、締まりなく緩むのを感じた。

 だって、カイザーと珪素騎士と巫女たるオレ以外で、功子を自在に扱えるものなど──


「──ッ!」


 裂帛の気合いとともに。

 超高速の立体軌道を描いた賊が、こちらへと拳を振り下ろす。

 オレは──


「〝知る識る見知る〟──〝覚えて感じて痛めつけて悦んで〟──〝こんなに楽しいことはない、悲鳴は神への供物だから〟──〝何するものぞ、叛逆者!〟──功子転換メイドメイデン神咒神楽ホーリーグレイル!」


 躊躇なく、功子活性の奥義たる、おのれの渇望を口にした。

 知覚情報が、すべてオレに味方する。

 認識が、爆発的に拡大する!


 刹那、両袖は俺の手指の延長線となった。

 無制限に枝分かれし、賊を拘束せんとどこまでも伸長するオレの手指ふりそでが、翅のごとく大きく広がる。

 捉えきれない速度のはずだった賊を、数で圧倒し捕縛。億千万の翅が、下手人を投網のごとく絡め取る。

 次いで鉾鈴から照射された〝解剖〟の呪詛が、影法師の偽装を吹き飛ばす!


 呪詛を受けて崩壊する賊の隠蔽と、仕方がないとはいえ一緒に分解される翅袖。

 ついでに結構な量のN-verコードも紛失するが、必要経費だよなぁ、ウン?

 拘束具を失った賊は、そのまま空中から墜落し、カグラデンに激突した。


「……あァ」


 知らないうちに、恍惚のうめきが喉から漏れ出す。

 頬を桃色に染め、その頬に両手を当てて、オレは身をよじっていた。


 立ち上がる、立ち上がるのだ。

 オレの渾身の呪詛を受けてなお、そいつは立ち上がってみせる。

 知らない。

 そんな存在を、オレは識っているが知っていない!

 知的好奇心の充足……!


 ズタボロのマントが、風に散った。


 〝竜〟。

 赤き竜が、そこにいた。


 灼熱の吐息を、総身のスリットから吐き出して。

 左右が非対称の鎧装具ガイソーグは、歴戦を経たのか再生も追いつかないほどにボロボロで。

 振り乱される長髪が、排気熱と闘気に触れてちぎれ飛ぶ。

 胸元の勾玉型リアクターが、出力の向上に合わせてライトグリーンに瞬き。

 双眸が。


 いま──黄金に輝いて。


 臭いで解る、功子の残量は極めてわずか。ゼロに近しいじゃあーりませんか。

 両腰の補助装置が常時全開稼働することで、微量の功子を使い回し、ギリギリで立ち続けているのだ。

 立ち上がってみせるのだ。


 何という執念、何という妄念!

 決して無傷ではない。

 ギリギリと総身が軋みをあげ、関節は壊れ、紫電が各所を這い回る。


 焚刑の生き地獄、一滴の水もない砂漠の旅路に臨みながら、うめき声ひとつ上げない勇者・猛者・戦鬼がそこにいる!

 この街の住民たちとは、正反対の憤怒の化身が!


 嗟乎、それにこの臭いは酷い。ぞくりと背筋が粟立ち、恐怖が頭の端っこからつま先まで駆け抜ける。

 いったいどれだけそうすれば──


 いったい──、ここまで毀れることができるのだろうか!


 完全なる未知。

 既視感の及ばない、初めての相手。


 オレが恍惚とする間に、戦鬼が、首筋へと手を伸ばした。

 させてはならない臭いがした。忌まわしい悪臭が。


「おまえは、なんだ?」


 それを押しとどめるために放ったオレの問いかけに。

 賊は。

 いや──造物主カミへ刃向かうものは。

 壊れた風鈴のような美声で、応えたのでありました。


「私は──キリク。軍人、憲兵のキリク。神を食い殺すための牙であり──いまは、ただ……」


 叛逆者──キリクは、首筋から手を離し。

 背嚢から、なにかを取りだした。


「君は話が通じると信じて、打ち明ける。この街の力を必要として、私は来た。友を──彼女を、復活させるために」


 叛逆者が置いたもの。

 それは。


 蒼銀の髪を持つ、奇怪な女のだった。


「おい、それは──ぁン?」


 オレが質問を続けようとしたところで、ぐらりと真紅が揺らめいた。

 いや──これまで立っていた方が不思議なのだ──だから、それは極めて自然なことだった。


 音を立てて、戦鬼が倒れる。

 装甲が、無数の薄紅色の花びらとなってほどける。


 乱舞する桜花の中で。

 オレは、戦鬼の正体を知った。


「────」


 赤色の長髪に、軍服を着込んだ少女。

 オレとは似ても似つかない、人間の少女が、そこにいて。


「ヴィーチェを、助け──」


 言葉を続けることもできず。

 金色の瞳は、やがて閉じられる。

 そして。


 ぐぅーーーーー。


 と、少女の腹が盛大に。

 盛大に、鳴き声を上げたのだった。


「は──」


 オレは。

 巫女であり、神使であるはずのこのオレは。


「は──ははははは!」


 いずれ殺し合う定めの宿敵を前にしながら。

 どうしてか、あふれ出す笑いを止めることができなかった。

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