第六章 ディスの巫女と有機ケーブルのパスタ

第一節 沼の街と禁裏の巫女

「街を挙げて、巫女様を歓迎させていただくのデスじゃ!」


 弩級構造体ドレッドノート・ストラクチャー、中層──励起領域。

 奇跡のように成立を許された経済都市、沼の街を訪れた〝オレ〟に。

 球体頭の工場長は、歯の抜けた顔で笑みを向けてきた。

 希少鉱物で全身を彩った球体頭は、蓑虫にも似ている。


「……出迎える必要なんて、まったく皆無ゼロじゃ、あーりませんか」


 吐き捨てるように告げてはみるものの、下々の者にとってオレの来訪は一大事だ。

 移動のために街中を歩けば、人混みが勝手に割れて、皆がその場で跪く。


 オレは偉大なるカイザーの神使であるのだから、歓迎するのが当然だが。

 ……とはいえ、のたびに、毎度毎度これでは、うんざりと愛想も尽かす。

 同じようなものを眺めるのは、退屈で嫌いだ。

 街並みと同じぐらい、住民たちも様変わりをすればいいものを。


 区画上空を忙しく飛び回る、泡の輸送船バブルタンカーに目を向ける。

 初めてこの街を訪れたときは、沼と広大な土地しかなかったはずなのに、いまでは所狭しと建造物が並んでいる。


 虹色の沼を中心に、輝く装飾を施された、きらびやかな斜塔がそびえる街並み。

 この斜塔のすべてが工廠こうしょうだと、一目で解るものは少ないだろう。


 そんな街の役割は、加工場だ。

 神や珪素騎士に変わって雑事をこなす、多脚戦車やドローンは、この区画の工場で生み出されているのである。


 おかげで多少、煤煙がけむたい。

 くしゃみが出そうになる。

 それが微妙な表情に見えたのだろう、球体頭は弁明を始めた。


「そういう訳にはいきませんのデスじゃ。なにせ巫女様カイザー様は、唯一にして最大の取り引き相手。この街の、生命線デスじゃから!」


 ……球体頭の臭いを嗅いで、今度は胸中のみで嘆息する。

 心にもないことをいう生命体は、嫌いだ。

 心がないと言い換えるのなら、周囲で跪く無数の住民──工員ミニオンたちも、そうではあったが。


 この村の住人達は、皆同じ格好をしている。

 黒ずくめの肌が露出しない服。腹から伸びる〝へその緒〟。頭からはベールをかぶり、貼り付けられた名札で、顔すら見えない。

 見分けのつかない影法師の群れ。

 個性を失った、同一性の塊だ。


 まったく、オレと同じで大違い。心よりの反吐が出る。

 好奇心一つ、動きはしない。ダメでダメでダメポヨだ。


「ごほん、デスじゃ」


 仕切り直すように咳払いをする工場長球体頭は、自分だけ希少鉱物製の認識力拡張装置を被っている。

 有象無象とは違うという主張だろうが、腹から垂れる〝へその緒〟は、このセクタの住人全員と同じもので。

 結局の所、町の中央──沼へと繋がっている。


 皮肉だと思った。

 これだけ自らを彩っても、結局は全体の一部でしかないのだと。


「出迎えも早々になりますデスじゃが……巫女様、今回の取り引き材料は……?」


 そんなオレの考えなど思いも寄らないのか、球体頭はごまをすってきた。

 ……巫女巫女巫女と、誰もがオレを肩書きで呼ぶ。

 まあ、そうさ。オレの型番に興味があるやつなど、いないわけで。

 物憂げな息差しとともに首肯を返せば、しわだらけの顔は喜悦に歪んだ。


「ではでは! 巫女様には早速、〝カグラデン〟のほうへ移動して戴きたいのデスじゃ。みな、もう待ちきれないのデスじゃ!」


 宝石をいやらしく輝かせ、跳ねるように移動する球体頭の後を追いかけながら、ふと思う。

 ……神よ、本当に彼らは必要ですか?

 宝石同様、欲望にギラつく工場長を横目に、心の中だけでそう吐き出した。


§§


 しゃん。

 しゃん。


 静謐な闇の中に、鈴の音が響く。

 鉾鈴ほこすずがひねられて音が響き、その柄に結ばれた長い布が、竜のようにうねる。


 神楽の演目は『神世じんせい』──地上に舞い降りた白き竜と、ひとの中より生じた赤き竜が国譲りを行い、赤き竜の遺骸から世界が生じるという──まあ、典型的な神話の再現だ。


 しゃん。

 しゃん。


 沼の街は文字通り、その中央に虹色の巨大な沼を抱くセクタだ。

 再誕の沼、再誕の街。

 いのちが蘇る沼を有する街だからこそ、『神世』を舞うことが神から許されているのである。


 しゃん。

 しゃん。


 沼の街は、上層たる励起領域で取れる巨大昆虫や、下層から輸入される海洋性大型哺乳類を加工して、小間使いの兵器の制作を生業にしている。


 その対価が、オレたちによってもたらされる超高密度情報素子N-verコードであり。

 交易の場が、この神楽なのだ


 しゃん。

 しゃん。


 六百六十六エクサバイトの情報の海。

 脳髄をかき回し、綺麗さっぱり洗浄し、新たな色に着色し直す情報薬物。

 それがN-verコードだ。


 彼らがこんなものに価値を見いだすのには、理由がある。

 沼の街の住民たち。

 彼らに死はない、基本的に。

 だが、機械というわけでもない。


 身体が古くなると工場長によって導かれ、彼らミニオンは沼へと身を投げる。

 沼はあらゆる構成要素を分解する性質があるので、死を願っての投身だ。

 だが、そのたびにイカヅチが降り注ぎ、沼は身を投げた村人を吐き出してみせる。

 再度誕生させるのだ、そっくりそのまま、元通りの形で。


 村人は繰り返すたびに絶叫する。

 なぜ、許されないのかと。


 しゃん。

 しゃん。


 そんな哀れな住人達に、カイザーは当然救いの手を差し伸べた。

 不完全ゆえに長い時間の間にすり切れた心、精神、魂? そういったものを救済するために、娯楽しげきとしてのN-verコードを授けるのだ。

 情報の海に溺れる以外、彼らが自我を保つ方法はない。


 住民のなかから選ばれたものは、基底領域──ディスの領域たる下層へと旅立つことがゆるされている。

 さらに選ばれたものは、最下層たる禁裏へとたどり着ける。


 それは即ち、死ねるということだ。

 不死でありながら、不老ではない彼らの最大の救い。


 オレは、それを見定めるもの。案内役。

 廻坐乱主の、巫女である。


 しゃん。

 しゃん。


 カグラデンを囲む工夫たちは、やはり全員同じ格好。

 だから、オレは酷く目立っていた。


 祭壇の上で舞うのは、赤と白の巫女である。

 おめめは真っ黒、瞳だけが黄金色で。

 すらりと手を伸ばせば、白く透けた千早の袖が、長く長く、闇の中に舞い踊る。

 伸縮自在の袖は蝶の翅。

 もっとも、腕の付け根や二の腕の部分は、ベルトで結束されている。


 足を踏みならせば、緋袴が広がる。

 袴が覆っているのは腰と足の後ろだけで、股間の部分は切れ上がり、黒いレオタードが白日の下にさらされる。

 袴の下に履いたタイツは、細い脚にぴったりと張り付く。

 ハーネスが全身を締め上げるが、それすらゆるい。


 ……痩身を恥ずかしいとは思わないが、少しは気にしてもいる。


『巫女ちゃんは、そーゆとこ気にするわけか。まあ、いいんじゃね? そんだけ痩せてれば、隙間にも入れるしよ』


 追憶の彼方から、軽薄な従僕の声がする。

 別に、誰かに見て欲しくて体型を維持するわけでもないのだから、やつの言うことも間違ってはいない。


 しゃん。

 しゃん。


 衝撃反発ブーツの力で床面を蹴りつけ、追憶を振り切って天へと舞い上がる。

 歓声が上がった。


 首を絞めるチョーカーを扇情的になで上げながら。

 背筋が弧を描くほど大きくそらせて、両手を広げ、翼となす。


 そのままゆっくりと回転。

 胸で輝く発条仕掛けの勾玉を、額の鏡から伸びる放射線状の飾りを、禿頭を包む布が、光とともに広がることを、住民達に見せつける。


 オレが住民たちにどれほど失望していても。

 同じことばかり繰り返す彼らに飽ききっていても。

 巫女としての務めは、果たさなければならない。


 これは、祈りだ。

 神が塵芥ちりあくたのごとき、取るに足りない人間に向ける、無限の慈愛。


 さあ、届けよう──福音たる情報の嵐を!


「傾注!」


 声を上げる。

 刮目せよ、ここに秘蹟は在りしと。


「神の御言はただひとつ! この世ののりはただひとつ! それなるをなんと心得るか!」


 問えば即応。

 住民達が唱和する。


「八紘一宇!」


 御輿の上で、オレは鈴を振り上げて。

 万雷の喝采が、歌われる。


「「「「バンゼー、カイザー!」」」」

「「「「ホーホー、カイザー!」」」」

「「「「カイザー、ウラァア!」」」」

『『『『法の御言は家族なり!』』』』



 闇を払う啓蒙の威光。

 これなるは神楽。

 神に奉納する舞では、あーりませんか。


 祈りが頂点に達した頃を見計らって、オレは両手を大きく開いた。

 袖が翼のように羽ばたき、中に収めていた膨大な量の情報を放出する。

 それはやがて、スロット挿入式のアンプルの形を取り、住民たちへと降り注ぐ。


 怒号が上がった。

 悲鳴が上がった。

 殺到した。


 住民たちが、我先にとアンプル──N-verコードの奪い合いを始めたのだ。


 それを見ながら。

 オレは仏頂面のまま舞い続ける。


 汗が散る。

 息を吸う。

 住民達の臭いが、オレの鼻をくすぐる。


 どいつもこいつも、同じ臭いだった。

 代わり映えのしない、芥子粒けしつぶたちの臭いじゃ、あーりませんか。

 虚無々々きょむきょむしいにもほどがある。

 こんな奴らから、下層へと向かう同伴者を選べというのだから、まったくカイザーも無理難題を──


「──?」


 そこではじめて、オレは気がついた。

 黒ずくめの影法師の中に、ひとつだけ──違う、二つ異なる臭いが混じっていることに。

 黒金のをまぁるく見開いたときには、その影法師が、こちらに向かって突進してきていた。


「──なぁっ!?」


 吹き付ける殺気とともに。

 どう考えても話をするつもりのない暗殺者が、オレへと肉薄して……!?

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