第六節 続・虫喰いキリク

「おおおおおおおおおおおぉぉぉ──!」


 無傷の珪素騎士の咆吼に合わせ、彼奴の背面の鏡が明滅。

 功子の奔流を──鏡が光を反射するように、跳ね返す。

 鏡の反射率というのは、完璧ではないという。

 反射されたエネルギーはちりぢりとなり、霧散。

 功子の干渉作用を、打ち消された!?


「お──おやおや? まさか功子操作能力が、ご自分だけの特権だと勘違いされていた? これは失敬。己が長所と信じて疑わなかったものを凌駕されれば、沽券に関わりましょう。よろしければ、功子の深淵をレクチャーして差し上げるが?」


 余裕の笑みを取り戻した珪素騎士が、渦巻く炎の中に立ちながら、おぞましき呪詛を吐き出し始める。


「〝地を這う虫けらは黴菌ばいきんをばらまき、豊かなパン種を駄目にする〟──〝ああ、願わくばカイザーの慈愛を持って〟──〝この世の遍く汚物を焼却されたし〟──〝神の慈愛をここに〟──〝いやしき異教徒に、神火を以て聖別を〟」


 燃えさかる暗黒の炎が、周囲に散逸したエネルギーが。

 逆巻き珪素騎士の頭上に収束──無数の糸が空間に刺繍を縫い付け。


 ついに、大輪の黒薔薇を咲かせる。


「〝疑似・功子転換サラケノーイ──浄化焦土ローゼンクリーガー〟!」


 薔薇の花弁が散ったとき、その花びら一枚一枚が。

 私を、区画一帯を蹂躙する、炎の波濤と化した。


「が、があああああああああああああああああああ!?」


 急激な温度変化にセンサーが死ぬ。

 視界にノイズが走り、ブラックアウト。

 装甲がすべて沸騰し、


「は、ははははははははははははは──! こんなものか、こんな程度で、カイザーに刃向かったか、虫けらが!」


 もはや言葉を気取ることもなく勝ち誇る珪素騎士の前で、私の身体が傾斜する。

 暗黒の中、視界の端に表示される数字は、限りなくゼロ。

 崩れ落ちた私の総身から、燃えて落ちるようにしてして装甲が消滅する。


「ぁ──っ──」


 嘔吐にも喪失感が、私を襲う。

 掌に掴んだ砂がこぼれ落ちていくように、秒単位で肉体を形成しうる重要ななにかが、身体から漏れ出していく。

 命という砂時計の刻む時間は有限だ。そして、その時間がやってきたのだ。

 肌が干からび、骨が空洞化し、筋肉が萎縮し、血液が枯れる。


 死。

 そんな文字が、脳裏に浮かぶ。


「いやはや、見事な戦働いくさばたらきでしたよ、叛逆者殿? まだ視界は有効? 結構。でしたら、おのれの無力さをご覧あれ」

「ぐっ」


 髪の毛を捕まれ、無理矢理に上げさせられた顔。

 ぐるりと一周、戦場の有様を珪素騎士は私に見せつける。

 惨劇。

 ああ、それは戦火に包まれた村落の有様でしかなった。


 うめくものがいる。

 黒い炎に焼かれて溶かされ、汚泥と化したものたちが血を吐き世界を呪う。


 泣き叫ぶものがいる。

 ちぎれた脚を探し這いずり回り、死んだ者の死骸の下に入って、震えながら、泣きながら破壊の嵐が去るのを待つものがいる。


 すすり泣くものがいる。

 近しいひとを失って、大切な誰かを失って、どうすればいいかも解らずに立ち尽くすものがいる。


 砕かれ裂かれ、融け落ちた蜂の巣。

 焼けただれた、腐臭を纏った熱砂が吹きすさび。

 目の前を、一枚の布きれが飛んでいく。

 少女が、兄への思い込めて作った、あの布が。

 燃えながら、燃え尽きながら。


 ……戦争だ。

 この光景は、あの最悪そのものだ。

 誰が、この地獄を作り上げた?

 珪素騎士か?

 いや──


! 貴君の至らなさが招いたのだ、この結末を! だから、さあ! さあ、もっと目を見開いて、よくよく記憶したまえ! おのれの無力さを、卑小さを! 小官は、そのためにここへやってきたのだから──カイザーの命を受けて!」


 ──なんだと?


 なんと、いまなんと言った?

 おまえは、私にこの地獄を見せるためにやってきたというのか。


「これは失敬。小官としたことが事前に宣告するのを失念していたとは。そう、すべては我らがカイザー。廻坐乱主神の思し召しであるのだ」


 珪素騎士が、私の頭蓋を地面へとたたきつける。

 小さな頭蓋骨がそれだけで軋みをあげ、悲鳴を漏らす。

 なんたる脆弱さかと、幼女の身を呪う。

 けれど、それはどうでもいいことだった。もっと、聞き捨てならないことがあったのだから。


 私に地獄を見せることが、廻坐乱主の企み?

 私に、無力を教えることが?

 ──?


「──ざけるな」

「ふむ?」

「──ふざけるな」

「なんと?」

「ふざけるなと──言ったぁああああああああああああああああ!!」


 気力を爆発させ、私はサーベルの鞘を抜き放つ。

 避ける必要がない鞘を、しかし彼奴は嘲笑の笑みとともに躱す。

 ほんのわずかな身体の自由。

 ほとばしる怒りのままに、身体を立て直そうと地面へと手をつき。

 そして、〝それ〟を握りしめた。


 ぐちゃりと、手の中でなにかが潰れる感覚。

 沸騰し、滴り落ちる体液。

 嗚呼ああ嗟乎アア

 大切なものだと彼女は言った。

 家族同然で、友達のようなものなのだと。


 私は。

 手に掴んだそれを。


 家蟲の卵に、歯を突き立てる。


「いまさら食事をしたところで、枯渇した功子を補えるわけが──なっ!?」


 やつが血相を変える。

 その間にも、私は、さっきまで命だったものを咀嚼し、貪り喰らう。

 沸騰し、半固形化した体液を呑み啜り、卵殻をバリボリと噛み砕き。

 嚥下し、胃の腑に落とす。

 喰らう。


 空っぽだった胃袋は、異物の襲来に強烈な反発を示すが、嘔吐など決して許さん。

 命が変わる。

 彼らが紡いできた今日が。

 明日を目指した命が。


 私を作る、力に変わる!


「三十──五十二──七十四──まだあがる!? バカな! たったそれだけの摂食で、功子残量が跳ね上がるなど──不合理ではないか!」

「不条理を押しつけた邪神の眷属が、不合理を語るかあああああああああ!」

「がはっ!?」


 私の総身が爆発。

 三度にわたって赤き炎を放出し、限界を超えて鎧を形成する。


 赤備え。

 真紅のFAJ!

 渾身の力で、私は珪素騎士を突き飛ばす!


「ぐっ! いやいやいや、驚きはしたがね! しかし、所詮いまの貴君の出力では、小官の功子皮膜を破ることは──」

『だったら、限定解除するだけよ!』


 頼もしい声が、背後から響いた。

 私の。

 私を導く魔女が、視界の中で高らかに叫ぶ。


『キリク──これは危険な賭けだけど、ほんとに本当に大博打だけど』

「是非もあるまい! 呼べ、ヴィーチェ・ル・フェイ!」

『……ッ、要請を受諾! 限定解除! 真造躯対拡張装具ヴァハ・バズヴ全活性オールアクティヴ! 来たれ功子差動増幅飾帯〝暴食狼フェンリル〟!!』


 刹那、村の中央が灰色に光った。

 灰色の光は暗黒の炎を貫き、そして──


 ゴギン。


 私の素っ首を、噛み砕いた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る