第六節 女衆の朝は早い

 猟師の村の朝は、とにかく早い。


 この世界に朝や夜という概念があるのかはわからないが、寝入った頃にはたたき起こされる。

 そうして、同じ部屋に放り込まれたはずのヴィーチェの姿は既にないのだ。


 ……安易に肉体で払うなどと言ったツケを、労働で払わされているのである。


 一方で私は、起きるなり身だしなみを整えさせられる。

 軍隊とは規律の場。

 着衣の乱れや気構えには相応の心得がある私だが、髪をかれるとなると困惑する。

 なにせ文字通り、産まれてこのかた、髪の手入れなどろくにしたことがないのだ。


 センジュカマキリなる蟲の腕から作られたらしい、乱ぐい歯の櫛。

 それで容赦なく髪を梳くと、ブツブツと玉になっていた頭髪が解きほぐされていく。

 これだけで悲鳴を上げたくなるのだが、ドリン嬢を筆頭とした村の女衆は加減をしてくれない。


 髪の次は化粧だと。

 虹色ハンミョウから採れた紅やら練り白粉で、顔に落書きを施される。

 これが原住民的な要素に満ちあふれた紋様とかであったなら、私も郷に入っては郷に従えと甘受するだろう。

 だが、どうみても舞台女優などがする化粧だ。


「あいらしいですよ、キリクちゃん!」


 などという感想は、冗談ではない。

 身体は幼女かも知れないが、魂は有木希戮のままだ。

 日本男児が化粧など、先祖に顔向けもできはしない! 私は女方でも神職でもないのだぞ!?

 ──と、悲鳴を上げそうになるが、厄介になっている身である。それすら許されない。


 ただ唯々諾々と、お願いだから許してくれと視線だけで懇願しつつも、鼻歌交じりの女性たちに蹂躙されるだけだった。

 ああ、こんなことなら、珪素騎士と死闘を演じる方が、どんなに楽だろうか?

 私を幼女の姿このからだにしたヴィーチェに、見当違いな怨嗟が募る。


 化粧が終われば、仕事の時間の始まりだった。

 そこで飛んでくるのが、


「一人前の女にはなれませんよ、キリクちゃん!」


 というお叱りだ。


 この村では、男衆と女衆の仕事が、はっきりと分かれている。

 男衆の仕事は、狩猟そのもの。

 そうして女衆の仕事は──それ以外の全部だった。


「洗濯は腰を入れてやるんだよ。汚れは溶剤が落としてくれるけどね、その溶剤をしみこませるのは、揉む力だ。なに、爪が剥がれたって? かまうことないさね、また生えてくる!」


「カビってやつは何処でも生えるよ! 丸ぁるくブラシをかけてどうするつもりなんだい! 四隅をぴっしり磨くんだよ!」


「キリクちゃんはまだ小さいものねー、少しずつ覚えていきましょうねー? それはそれとして、赤ちゃんのミルクは冷ましてあげてって言ったでしょ? この無能!」


 ──と、まあ。

 下手な新人教練より苛酷な怒声が、女たちの戦場では飛び交っているのだった。

 ……主に、私へと向かって。


 ヴィーチェの言うとおり、水は貴重品らしいが、それは飲料水に限った話だ。

 油なのか薬品なのかわからないようなものであれば、いくらでもあるらしく、それで洗濯や掃除をすることになる。


 また、この村には〝家畜〟が存在した。

 もちろん、私の知る家禽家畜のたぐいではなかったが。


「そう、うまいわ、キリクちゃん。やさしく、上からしごくようにしてあげてねぇ」


 言われるがまま、私は素手で、その蛇腹状になっている剛直なモノをしごく。

 びくん、びくんと脈打ち、やがてビュルリと、とろみのある乳白色の液体がバケツへと吐き出された。


「上手だわ! もう手練れたものみたいよ! ほら、この子も喜んでる」


 そう言って、ドリン嬢が愛しげになでたのは、

 六角柱で作られた村は、無数の部屋が隣り合っているのとおなじだ。

 部屋の一つ一つに、料理場、洗濯場、寝所……と、役割があり。

 そのうちのひとつが、蟲専用の厩舎きゅうしゃだったのである。


 この蟲舎ちゅうしゃで飼育されているのは〝ミルクダマシ〟という蟲らしい。

 蛾の幼虫に似た生き物で、天井に張られたハンモックで揺られ、その尻尾だけを垂れ下げていた。

 尻尾の先には管がついており、そこから先ほどの液体が放出されたのだ。



 ヴィーチェによれば、構造体の蟲は、食糧事情を解決するために遺伝子改良を施され、大型化に成功したものらしい。

 ミルクダマシは飲料物としての乳をつくるほか、余命を終えたものは食肉にも加工されるという。

 また、男衆が外部からとってくる巨蟲も、肉は食料に、腹膜などは衣服に、甲殻は防具に加工される。

 甲虫の外骨格には、金属が含まれるからだ。


「蟲はわたしたちのかけがえのないパートナーなんです」


 ドリン嬢は誇らしいことのようにそう言って、ほかの蟲舎にも連れて行ってくれた。

 ある場所では部屋いっぱいに巨大な繭が育てられており、ある場所ではたくさんの卵が宝石でもそうするように、大切に安置されていた。

 周囲には、温度や湿度を保つためと思われるダクトが無数にあり、専属の女衆が、絶えず卵を拭いて回っている。


「ああやって、雑菌やカビに汚染されないように磨いているんです。村で育っている蟲のほとんどが、磁場嵐で吹き飛ばされて親とはぐれた蟲なんです。育てる人も、食べ物もないので、放っておくと生まれることすらできません」


 それを、君たちが保護して育てていると?


「はい! わたしたちは、そういった蟲を、カムインセクトと呼んでいます。神様の使いで、構造体からの贈り物なんです! だから大切に、大切に、親友のように、同胞のように育てるんです。蟲は、家族なんです!」


 カムインセクト──神様の蟲……か。

 だとすれば、それは痛烈な皮肉なのだろうと思う。

 この世界を作ったのが、あの廻坐乱主だというのなら。

 彼女たちを、この境遇におとしめているのも、また──


「さあ、一番搾りが終わったら食事の用意ですよ。キリクちゃん、いきましょう」


 押し黙っているのを、どう捉えたのか。

 ドリン嬢はことさら明るい声で私を促し、厨房へと連れて行く。

 気遣いに、束の間の微笑みを浮かべた私だったが──すぐにたいへん落ち込むことになった。


「ちょ! だ、だめですよキリクちゃん! お肉にいきなり塩化ナトリウムをふったら水気が出ちゃいます、貴重でおいしい肉汁ですよ!? まずは臭み取りの香辛料ですって! あー! そんなぶつ切りにして!? 筋、筋に沿って切るんですよー! あー! あー!」


 ……ドリン嬢の悲鳴が、小さな厨房に響き渡り、そのたびにほかの女衆が声を上げて大笑いする。

 バカにされているわけではないのだろうが、しかし、心苦しい。

 ぶわっと脂汗が吹き出るし、口元がヒクヒクとけいれんする。


 前世でも今世でも、私は料理とは無縁の人生を送ってきた。

 男子厨房に立つべからずと教育を施されてきたからだ。

 だが、その結果がこれだ。

 私は満足に、肉の下処理すらできないのである。


 蟲の調理は、パイプズマイとはまた違った難しさがあった。

 関節ごとに切断され、小分けにされた蟲の肉。


 当然、表層は堅硬な外骨格で包まれていて、電磁ナイフの刃など通らない。

 継ぎ目の部分に丁寧に差し込んで、皮膜ごと剥がしてやる必要がある。

 筋肉と甲殻はぴっちりと張り付いており、隙間の空いていた多脚戦車とは明確に違う。


 金属を含む外殻の除去は、徹底することになる。

 日本の飛蝗バッタイナゴ、あれの翅や脚も、喉と歯茎に刺さるからむしり取る必要があるというのは当然の常識だ。


 男の肉体を持っていたときの話だが、夜寝ているとき、口の中に蜘蛛が入ってきたことがある。

 それを誤って噛み潰した結果、脚が取れて口の中に散乱し、酷い目に遭った。

 だから、このサイズともなれば喉に刺さるではすまないし、まあ除去しなければならないのだろう。


「でもですね、キリクちゃん。殻からは立派な出汁が出るし、防護鎧にもなるので、捨てちゃ駄目ですよ?」


 私も試飲させて貰ったが、おおよそエビに近い芳ばしい出汁が出るのは認めざる得ない事柄だ。

 火が通った甲殻は鮮やかな赤色に変わる。

 内臓などは、カニやエビの味噌に近い風味があった。


 肉、内臓、甲殻。

 どれも貴重な食材であり、資源だった。

 その資源の解体を任されながら、私はちっとも成果を上げられていなかったのである。


 女衆が十の作業を終える間に、私はもたもたとひとつの肉の処理に奔走する。

 つきっきりのドリン嬢が顔を押さえ、天を仰ぐたびに、申し訳ない気持ちでいっぱいになる。

 歯がみをし、悔しくて涙が出そうになる。


 ……いや、待て。

 なぜ悔しいと思う? なぜ泣く?

 私は別に、料理を覚えるためにこの村にやってきたわけでもないだろうに。


「精神が、この肉体に引きずられているのか……?」


 ぽつりとつぶやくが、答えは出ない。

 幼女の姿に心が引きずられつつあるという推論が、とんでもない恐怖となって背筋を這い回る。

 これもすべて廻坐の差し金だというのなら、やはり私はやつを殺して──


「キリクちゃん!」

「はっ! 鋭意努力中だ!」


 ……もっとも、悩む時間など皆無に等しく。

 そんな調子で、朝は過ぎていく──

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