第四節 生体充填剤のステーキ ~シロアリを入れて~

 体感時間でひと月ほど前。

 アーヴ・ロウンを出立した直後、私は希有な体験をした。

 そう、オイルダイビングである。


 どうやらあのとき、物理女はまたも私の身体を操っていたらしく、なぜか収納の中に重廃油の詰まったアンプルが納められていた。

 なんに使うつもりだったのかと詰問すれば、こんな時のためだと、悪びれもせずに言い放つ。


 そんなわけで。

 私はため息をつきながら、固形燃料の火にかけたフライパンに、廃油を垂らしているのだった。

 ああ、私よ安心してほしい。

 廃油が食べられないという常識ぐらい、まだ残っている。


「これは重廃油。もとはバイオマス燃料に使うはずだったアルコールの生成に、功子を使用して大失敗した産物よ。下層にはもっと偏在しているかしら? それが、変異に変異を重ねて植物油のような性質を獲得したのだけれど、資源として使い潰された結果がこの色なの」

「なにを言っているのかさっぱりわからん」

「食べられるってことよ。ようは椿油みたいなもんで。……多少劣化しているけど」


 おい、目をそらすな。

 こっちを向け、このポンコツ。


 とはいえ……残念ながら選択肢はほかにないので、私は油を温めるしかない。

 すると、予想外に悪くない香りが立ち上り始めた。

 これは──炭火焼き鳥?


「イグザクトリー。重廃油は熱すると気化するわ。そのときに、なんと炭火の煙と同じ役割を果たすのよ。さあ、主役を入れて」


 もはや言われるがままに、ぶ厚く切り分けた生体充填剤をフライパンに置く。

 ジュワァァァァ……

 油が弾けるとともに、肉の表面が焼ける音と、独特の香りが立ち上る。

 やはり、炭火の香りだ。


「燻煙作用。本当は網で焼くほうが効果があるのだけれど、重廃油には限りがあるから、今回はこれで。強火で表面をしっかり焼いて、はい、ひっくり返す」


 手首を返して肉を跳ね上げるなどという芸当は私にはできないので、ナイフを使ってひっくり返す。

 表面はきつね色に焼けており、なんとも芳ばしい。

 そのまま裏面も焼いて、できあがりだ。


「題して──生体充填剤の燻製ステーキ~テイオウシロアリを入れて~完成ー! さあ、早速食べてみて頂戴、キリク!」

「…………」

「どうしたのよ? 温かいうちに、ほら!」

「貴様はどうなのだ」

「え?」


 え? ではない。

 私が生き延びるために食事をするのは、当然のことだ。

 だが、貴様にも生き延びて貰わなければ困る。


 勝手に接吻してくるようなどうしようもない不埒者でも、私の身体を身勝手に操る魔女だとしても。

 この弩級構造体の最下層を目指す旅路に、ヴィーチェ・ル・フェイという水先案内人は、どうしたって必要なのだ。


 であれば、私だけが食事をとるなど、許されるわけがない。

 先日までは、肉体がなかった。

 だが、いまの貴様は──


「……ありがとうね、案じてくれて」

「案じてなど、いない。論理的な話をしている」

「うん。だったら、こっちも論理的な話よ。あたしは生命体じゃない。概念継承知生体よ。それにこの躯体は、珪素騎士のもの。だから、食べ物は不要なのよ」


 しかし。


「あなたがあたしに、なにかを与えてくれるというのなら、それは嬉しいことよ? でも、だからこそ、一番欲しいものは、食事じゃない」


 わかるでしょ?

 と、言わんばかりにウインクをしてくる彼女。

 私は。

 私は……


「ていうか、アンタは毒味役がほしいだけでしょうが! いいからさっさと食べなさいよ! ばーか!」

「……ふん」


 こうも気を遣われては、食べないわけにはいかない。

 私は苦笑をひとつ浮かべつつ、充填剤にナイフを入れるのだった。


「いただき、ます」


 切れ目を入れた瞬間、思わずうなり声を上げた。

 じゅわりと、肉汁がこぼれ出てきたからだ。

 脂っ気などなかったはずの充填剤に、どこからこんな油分が……?

 首をかしげながらも、切り身を口に運び──


 カリリ、ぷつん。


 独特の食感に、目を丸くする。

 焼けた表面はカリカリだ。

 そうして赤身自体は、噛めばそのままぷつりと切れる。


 噛み締めると同時に、炭火のいい香りが口腔に立ちこめ、さらになんだかよくわからない甘みが広がる。

 ぷじゅりと、歯が柔らかいものを噛む感覚。


 これは。

 これは──


「テイオウシロアリは、充填剤を餌にしちゃう厄介な進化を果たしているのだけれど、なんと体内で脂肪と糖分を合成するのよ! だから、充填剤と一緒に食べると、とってもミルキーな味わいになるの!」


 やけに愉快そうに、彼女は語る。

 言っていることの半分も理解できないが、確かになめらかな味わいだ。

 問題があるとすれば、虫を食べることへの嫌悪感と、充填剤本体が味のしないゴムというところだが……。


 いや、しかし。戦争の末期を考えれば、国民はこれよりひどい食事をしていたはずなのだ。

 であれば、秋津島の盾、防人たる私が音をあげるわけには行かない。


「わーお」


 ヴィーチェが驚くぐらいの勢いで、私は次々と肉を消化していく。

 視界の左隅で空っぽの近かったゲージは、いつの間にか半分近く満たされ、数字はゼロから四十近くまで回復していた。


 ……ふと疑問に思う。

 功子とは、万能の作用をもたらす粒子らしいが、それがなぜ、食事で回復するのだろうか?


 赤備えが私の細胞の一つ一つに収納され、功子を使うたびに消費される。だから使いすぎれば肉体の構成要素が減って、多臓器不全や餓死に繋がるというのは理解できる。

 だが、だからといって食べれば回復するというのも、おかしな話だ。


 この世界の生物や、食材には、どれも功子が含有されていると言うことだろうか?

 そんなよしなしごとを考えながら、ぽんと手を合わせる。


「ごちそうさま」

「はい、おそまつさまでした」

「……熱いお茶がほしいな」

「あらら? 熱烈なキスならいくらでもしてあげるわよ? それとも、女から誘う方が好きだったり?」

「黙れ、ポンコツ三等兵が」


 辟易としながらも軽口を叩く。

 ……事実だけを簡潔に言うのなら、このとき私は、はっきりと油断していたのだろう。

 腹が満たされ、張り詰めた精神の糸が、わずかに緩んだのだ。

 そうして、折悪く周囲は電磁嵐の真っ只中であり、一切の見通し、観測機器は意味をなさず。


 だから、それが現れる寸前まで、反応ができなかったのである。

 洞窟の入り口に首を突っ込み、牙をすりあわせて鳴き声を上げる──


 ──五メートル近い巨体を誇る、シロアリの姿に。


「ガチガチガチガチガチ!!」


 異臭を嗅ぎ分け、幼虫たちの窮地を悟って駆けつけた巨蟲の毒牙が、轟音とともに肉薄し──!?

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