第三節 虫食いキリク

「この虫は、テイオウシロアリの一齢幼虫ね。まだ生まれたてだから、とても小さいし、柔らかくて栄養満点よ。ひょっとするとこの洞窟も、テイオウシロアリの仕業かも知れないわね」


 洞窟を作るシロアリなど聞いたこともないが、シロアリに潰された家屋というのは多いと聞く。

 なるほど、廻坐かいざ乱主らんすの悪意渦巻くこの世界ならば、そういうこともあるのだろう。


 だが、それとこれとは話が別だ。

 シロアリの幼虫が這い回る肉でさえない充填剤を食べるなど、正気の沙汰ではない。

 断固拒否である。


「おややぁー? キリクは食べ物の好き嫌い程度で使命を諦めるのですかぁー? 廻坐乱主を誅戮するという志は、そんなにも安いものだとぉー? これはちゃんちゃらあはは──」

「食べる」

「無理をしなくてもいいのですよ、キリク? ただただ無様に、キリクの旅は、ここで終わってしまった! するだけなので」

「食べると言っているだろうが、この性悪女!」


 煽りおる、煽りおるわ、こやつ……!

 チクショウが、これ見よがしに敬語など使いおって!

 ああ、ああ、解っている、解っているとも!

 最優先は、生き延び廻坐を斃すことだ……!


 おのれぇ……絶対に殺してやるからなぁ、廻坐乱主ぅ……。


「それで、どうすればいい」

「まずは、適当な大きさに充填剤を切り取ってちょうだい。ああ、シロアリはそのままね」


 複雑な気分で、腰の収納ダンプポーチからナイフを取り出し、生体充填剤の壁に刃先を入れる。

 ぶるっと、肉壁が震えた。

 巨大な生物が、身をよじるようなさまに、恐怖と嫌悪感が噴き出してくるが、今更やめるわけにも行かない。

 ぐるりとナイフを一周させれば、一抱えほどのブロックを切り出すことに成功する。


 ……そういえば、随分と英語が達者になったものだ。

 英語だけではない。

 量子コンピューターだの、拡張現実だの、電子マネーだの、タピオカだの。

 生前は聞いたこともない言葉を、いまの私は知っている。


 異界の言語……なのだろうか、これらは?

 ヴィーチェに言わせればインプットのおかげらしいが、見知らぬ語彙が体感を伴って滑り出してくるというのは、愉快なことではない。

 なんとも気味の悪い感覚である。


「はい、ぶつくさ言わないの。単なる歴史の積み重ねよ。で、どう? 充填剤の様子は」


 どうというのなら、肉が手の中にあるというのが正しいだろう。

 もしも私が文筆家だったのなら、十分な形容を持ってこの肉を描写しただろうが、残念ながら有木ありき希戮きりくは軍人だった。


 それは、霜降りの肉に見えた。

 赤身に適度な脂の浮いた、西洋列強の人間が好んで食べそうな肉に見えた。

 だが、実体としてその脂とはなのである。

 見た目だけがうまそうなのであって、うねっている肉には邪悪さすら感じる。

 ……食欲は、減退する一方だ。


「活きがいいわね」

「その言い方はひどくいやだ」

「じゃあ、さっそく焼いていきましょう」


 焼く、といってもパイプズマイの串焼きのようには行かないだろう。

 なにせ箸の一膳、鍋のひとつもないのだ。


「そこはそれ。蛇の道は蛇よ。キリク、少し功子を使わせて」

「なにに使うつもりだ。腹が減るだけ、というのなら勘弁だぞ」

「フライパンを作るのよ」


 フライ、パン?


「論より証拠。百聞は一見にしかずってね! 功子がどんなものか、この機会に学ぶといいわ」


 言うが速いか、彼女はパンと柏手を打ち鳴らし。

 両手を、金属製の床面へと押しつけた。


「功子──変成」


 パリリ、パリリ……と、彼女の掌を基点にして、放射線状に紫電が走る。

 途端、金属の一部が積み木のように変化。

 それぞれのブロックが、カチカチと組み変わっていって──


 次の刹那、ヴィーチェの手の中には、黒いフライパンが握られていた。


 瞠目した私を見て、気をよくしたらしい物理女は。

 指を振りながら、さかしげに説明を始める。


「功子とは万象に作用する粒子よ。簡単に言えば、創世の力そのもの。認知の範囲内なら、可能性すらゆがめるわ。渦動因果録侵食粒子かどういんがろくしんしょくりゅうしという呼び方もあるけど……いえ、これは別の機会にね。で、あたしはセントラルドグマ直結型概念継承知生体。いまのあなたより功子を巧みに扱うことができるわけ」

「いまの仕儀は、私には出来ないということか」

、いまのところ赤備えの内側にしか影響が及ばないというだけよ。いずれは、廻坐乱主に並ぶ真似ができるようになる」


 それは。

 それは、どういう意味だろうかと、私は訊ねたかった。

 けれど、彼女の決然とした眼差しが、決意と祈りに染まったその瞳が。私の言葉を、封じ込めた。


「さあ、四の五の言っていても仕方がないわ。料理の続きをしましょう! えっと、フライパンはこれでいいとして、あとは油だけど──そうね、少し工夫をしましょうか?」

「ヴィーチェ」

「ふー! をいれれば、ザッツかんぺきぃ!」


 私は、あまりの嫌な予感に。

 数秒前に思い浮かべたすべてが、ぽろぽろと頭のなかからこぼれ落ちていくのを感じていた。

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