第三章 圧倒なりし珪素騎士
第一節 集落と股間の切迫感
〝彼〟に案内されるまま辿り着いた場所は、ことさら奇妙な景観を誇っていた。
パイプズマイの巣から、それほど遠くない位置にある断崖。
弩級構造体を構築し、仕切りをしている強固な壁面の一つだ。
漢字に似た巨大な文字が刻まれており〝揺籃重工〟と読めなくもない……ような気がしないでもない。
積み木をでたらめにくみ上げたような、数多の材質で作られた巨大な隔壁。
その壁面をつぶさに観察すると、ところどころに穴が空いているのが見て取れる。
排気口にも見えるそこに、〝彼〟の集落は存在したのだ。
「な・ぐら」
〝彼〟は舌足らずな様子で、そのように発音した。
なぐら……穴倉、だろうか?
「か・むら……ん……巣、ここ……〝おれ〟の」
むら……村か。
なるほど、ならばここは、〝彼〟の
そんな場所を前にしていながら。
私はじつに、じつに切実な危機に陥っていた。
「おい」
内股をこすり合わせ、両手を祈るように抱き、顔を青ざめさせながら、私は視界の中の妖精へと語りかける。
『何ですか、キリク? あと、あたしの名前はヴィーチェ・ル・フェイです。〝おい〟ではありません。気軽にヴィーチェさんと呼ぶように』
「へそ下あたりがやたら切ない」
『は?』
もう少しきちんというのなら、股ぐらあたりに酷い切迫感があった。
この感覚に覚えはある。
ないわけがない。
だが、ここまで酷いものは知らないし、なにより感じるわけがない。
なぜなら、私は日本男児で──
『……ああ、排尿ですね』
言いにくいことを、こともなげに言い放つ蒼髪の妖精。
そう、ここまできたら隠すまでもない。
私は、排尿感に身もだえていたのである。
『漏らしても誰も気にしませんし、別にその辺で済ませて貰って構わないのですけど……?』
「〝彼〟がいるだろうが!」
「……、……?」
小声で怒鳴ると、先を歩いている〝彼〟が、感情の読み取れない顔で振り返る。
私が男のままなら、その辺で立ち小便をすればすむ話だ。
だが、この身体は幼女である。
幼女が人前で排尿するなど、度し難いにもほどがあるだろう。
『あの、キリク』
「なんだ」
『言いにくいことなのですが、その……』
だからなんだ。
短いつきあいだが、貴様が歯に衣着せぬ女だと言うことは解っている。
はっきり言ったらどうだ?
私がそのように意志を伝えると、妖精は無表情に。
しかしどこか困ったようなそぶりで。
『あなたは、男性のつもりだったのでは……?』
と、おずおずと申し出た。
「…………」
『…………』
…………。
「おのれ廻坐乱主ぅぅぅぅぅッ!」
私の怨嗟の叫びが、弩級構造体に何処までも反響するのだった。
§§
さて、なんとか用向きを済ませた私は、
『なんとか、ですか』
うるさい。済ませたのだから済ませたのだ! あるべきものがない感覚にはちっともなれなかったがな!
とかく、済ませた私は。
いよいよ〝彼〟の村へと足を踏み入れた。
そこは、奇妙な場所だった。
垂れ下がった配線や、せり出した壁がしきりとして機能しているだけで、基本的には吹き抜け。
それでいて、見通しは悪い。
物陰には〝彼〟とよく似た、あるいはもっと変化が進んだ外見の人間たちが、力無く腰掛けている。
ほとんどのものは無気力で、唸るようになにか、お経のような文言を唱えている。
背格好の小さなもの──子どもだろうか?──だけが、好奇心旺盛に、ちらちらと私へと視線を向けてきた。
その様子は、戦時中に密林で出会った部族を思い起こさせる。
「〝おれ〟が……〝おれ〟の、めし当番……ぎぎぎ……めし、掴まえる」
「君は漁師で、家族の食事をまかなっている、と言うわけだな?」
「たぶんそう……いまは、そう……」
「それで、パイプズマイが焼ける匂いがしたから、私のところに来たと」
「ぎぎ……ぎ……」
「なるほど」
〝彼〟との会話が成立しているかどうかはかなり怪しいのだが、こちらの言っていることはわかるらしいので頷くしかない。
「だから……連れてきた、おまえ……分けてほしい……めし……ぎぎぎ」
「そういう約束だ、覚えているさ」
私は、背嚢を床におろし、中身を取り出した。
それまで興味がなさそうだった大人たちが、急に鼻を鳴らし、一斉にこちらを見る。
……なにせ体躯がひ弱な幼女なので、すこし怖じ気づきもしたが。いやいや私は日本男児で憲兵だ。
虚勢を張りつつ──掴まえた大量のパイプズマイを、〝彼〟らへと差し出す。
「ぎぎぎぎ」
「ぎぎ」
「ぎ……ぎ……っ」
わっと押し寄せてくる集落の人々。
彼らは手に手にパイプズマイをつかみ、奪い合うようにして持ち去っていく。
鰻の掴み取りのような有様だった。
「ごちそう」
〝彼〟──結局名前は聞いても解らなかった──がそういうのだから、御馳走なのだろう。
であれば、少しは私の気分もよくなる。
『優越感に浸っているところ悪いのだけれど、キリク。はやくそいつに案内して貰って頂戴。まさか、ここに何をしに来たのか忘れた、というわけでもないでしょう?』
戯画女に釘を刺され、私は首をさすった。
正直、腹を空かしている人間を助ける方が、よほど大事だとは思う。
けれど、たしかに目的があって、私はここまでやってきたのだ。
ヴィーチェ・ル・フェイが察知した多数の熱量とは、パイプズマイの巣ではなく、この集落だったのである。
そして、近づいたことでもう一つ、判明したことがあったのだ。
「では、君。約束の通り、集落の中心へと案内して欲しい」
「ぎぎ……わかった……ついてこい」
それだけ言って、〝彼〟は先を歩み出した。
私も、穴倉の奥へと向かって歩き始める。視界の中に表示される矢印が、同じ方向を指し示していたからだ。
穴倉の中には、ほかにも十数人の人間がいた。
みなどこか身体に異変を抱えており、子どもも大人もいた。
老人だけは見当たらず、また全員に奇妙な既知感があった。
前方を、〝彼〟がよたよたと進んでいく。
その口元からはヨダレと、それから耳障りな祝詞がこぼれている。
「かみさま……ちのそこ、まってるかみさま……いだいなかみさま……ぎぎ……おすくいください……ぎぎぎ……かみさま……〝おれ〟たちを……ころさないで……」
これが念仏の正体だ。
〝彼〟らはどうやら、廻坐乱主を信仰しているらしく、穴倉の至る所から、この呪文が聞こえてくる。
それも、聞く限り恐怖による信仰だ。念仏にも劣る。
不快な祝詞だが、出て行くという選択肢はない。
『波長が強くなっている……やっぱりこのさきに、間違いなくあります。キリクの、投棄された拡張躯体が』
ヴィーチェ・ル・フェイが語るところによれば、アーヴをあの場所に作り出すまで、たくさんの礎が必要になったらしい。
そこで、開発段階だった〝ふぉーす・あくちゅえーたー・じゃけっと〟──〝赤備え〟の拡張部品を切り離し、各地で炉心として転用したそうだ。
そのひとつがこの集落にあると、戯画女はいうのである。
『確かにあるはずです。功子リアクターに同調する波動を感じますから』
廻坐乱主が強大であることは、理解しているつもりだった。
私が、ひどくか弱いことも。
本来なら鍛練を重ねて肉体を成長させるべきなのだろうが、そんな暇は存在しない。
手っ取り早く強くなるためには、武器を手に取り訓練するしかないのだ。
大戦の時とて、そうやって新兵を鍛え上げたのだから。
だから私は、ここまでやってきたのだが──
「……?」
だが、私は思い知ることになる。
弩級構造体という場所が、いかに度し難く、異常な場所であるかを。
新兵の気分でいることなど、一秒たりとも許されない人外魔境であることを。
「なんだ、これは……?」
呻く眼前では。
巨大なクラゲが、人間を喰らっていた。
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