第六節 多脚戦車の刺身 ~培養液の廃液ソースを添えて~
『完成です! 多脚戦車の刺身! これは画期的な栄養食ですね!』
全く心にもない様子で──そもそも表情が変わらない──ヴィーチェ・ル・フェイは
目の前には、壊れたどろーんから剥ぎ取った装甲が、間に合わせの皿としておかれている。
その上には、お世辞にも綺麗とは言えない切り口の、ぶつ切り肉がのせられていた。
紫色で、脂身が皆無の、筋張った肉。
肉の上には、べっとりとした黄色い培養廃液が、でろっとかけられている。
……吐き気を催す色合いの、おおよそ尋常とは思えない食べ物が、目の前に鎮座していた。
『立派なSF飯! これぞ科学グルメ! さあ、キリク、おなかいっぱい召し上がれ!』
手を叩きながら、やけに声高に訴えかけるヴィーチェ・ル・フェイ。
無理筋を通そうとする人間の態度にしか思えない。
……本気で食べるのか、これを。
廃液まみれの生肉を食べないと死ぬのか、私は? 悪食にもほどがあるだろう……
だが、すでに意識は混濁の域まで来ている。
本能的にわかる。私は、本気で腹が減っている。
『どうぞ、さあどうぞ?』
こうなれば、ままよ。
戦中の経験を思い出せ、食えるだけましなのだぞ、私!
「南無三!」
意を決し、私は口のなかへ切り身を放り込んだ。
思いっきり噛み締め──そのまま嘔吐しかけた。
鉄くさい。
もっと言えば、油くさい。
機械油の臭いが、腐った血液のような臭いが、突き刺さるように口腔から鼻腔、食道まで突き抜ける。
生前から味覚は鋭敏だったと思うが、ここまでではなかった。研ぎ澄まされた味覚。
その上で、最悪に不味い。
驚くほど肉汁は出てこないし、肉に染みついた臭いが酷い。
培養液が完全に無味無臭なのが、ここでは逆につらい。
不味い。心底不味い。
涙がにじんでくるが、男がこの程度で泣いてはならない──いまの私は幼女なのだから、泣いてもいいかもしれないが気持ちの問題だ──泣けば、多分心が折れて、食べずに死ぬ。
食べろ、食べろ、生きろ。
陛下の勅を思い出せ。
廻坐乱主への憎悪をもう一度燃やせ。
生きろ、生きるのだ。泥を、廃液を啜ってでも、生き延びるのだ……!
廻坐乱主を殺すために!
飢餓と吐き気と憎悪でぐちゃぐちゃになる脳髄。
それでもひたすら咀嚼し、そのたびに
歯を食いしばって吐瀉感に耐え。
やがて──嚥下する。
「うえぇ……ぷぐぁ」
自分のものとは思えない悲惨な声。
だが、飲み込んで理解する。
食道を通り、胃の腑へと落ちた人工筋肉は。
「──っ」
次の瞬間、ちからに換わった。
視界の左端で目減りを続けていた数字が止まり、緩やかに数を増大させていく。
たった一口。
たった一切れの肉が、私の総身に活力をみなぎらせたのだ。
先ほどまでカラカラ乾いていた肉体が、砂漠に雨が降ったかのように、貪欲に栄養を吸収していく。
そこからは無心だった。
私はひたすら、人工筋肉をむさぼった。
廻坐乱主に出会う前に、私が握り飯を与えた少女のように。
うまいとか、まずいとか関係なく。
吐き出してしまいそうになりながらも、ただ黙々と、喉の奥に肉を送り込むことに腐心した。
やがて、豚数頭分もあったような人工筋肉の束を食べ尽くした頃。
私の胃袋は、満たされていた。
『どうでしたか、キリク』
「……味は最低だ。だが」
彼女の言葉に、立ち上がりながら答える。
拳を握り、開く。
全身に活力が満ちている。
頬をなでる、唇をなでる。
潤っている、張りに満ちている。
細胞の一つ一つが気力に充実し、倦怠感も払拭されている。
──いける。
そう思った。
「私はまだ、生きている」
そうだ。
生きている。
生きているのだ。
どうだ? 見たか廻坐乱主?
私が、早々に折れることを期待していたのだろうが、そうはいかない。
おまえは奇跡を以て民草を見下し、こう言った「崇めよ」と。
だが、私は奇跡を
支配と不幸のための
ああ、生きてやる。生きるために食ってやるとも。
どんな不味いものでも、食事未満の代物でも。
それがおまえを、こんな世界を作った奇跡を殺す糧となるのなら。
私は食って、食って、生き延びて。
必ずおまえを、殺してみせる……!
「これが、私の答えだ、廻坐乱主!」
この世界の全容は依然として知れないが、彼奴を放置すれば帝都にも悪影響が出るのは間違いない。
「ならば、私を導けよ、ヴィーチェ・ル・フェイ。私を、最悪の偽神の元まで!」
『もちろん。あなたが目覚めたからには、あたしの存在意義も更新されました。あなたを神の御許に連れて行くこと。それまでの安全を保証すること。それが、あたしの使命であることを──キリク、あなたに約束します』
彼女の言葉に満足し、私は立ち上がる。
一歩を踏み出しながら、彼女へと尋ねる。
「それで、ヴィーチェ・ル・フェイ。廻坐は、どこにいるのだ?」
彼女は答えた。
気のせいだったかも知れないし、ただの画像の乱れだったかも知れないが。
それでもわずかに、口元をゆがめて。
『この世界の中心に』
「なに?」
『ここから遙かに五十六億七千キロメートル下層──弩級構造体の最下層、基底領域たるディスに座し、人間を管理するもの──それが、神。廻坐乱主なのです』
……
私の足跡は、再び刻まれはじめる。
偉丈夫の憲兵は幼女へと生まれ変わり、神を殺すために歩み始めた。
「……ところで、ヴィーチェ・ル・フェイ」
『なんでしょう』
「先に、何か着るものはないか?」
『…………』
ずっと生まれたままの姿である私に。
戯画女は。
『まったく、あなたは始末に負えないヘンタイですね!』
妙にうれしそうな顔で、そんなことを言うのだった。
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