第五節 おいしく食べよう多脚戦車

 待て待て待て。

 いくら何でも戦車は食えないだろうなどという常識的な判断は、困ったことに切迫した飢餓感の前に敗北した。


 この戯画女の気が違っていることは明々白々だが、私の命が風前の灯火なのもまた明白だった。

 度し難い空腹。

 それにせっつかれる形で、私は、言われるがまま鋼蜘蛛の残骸まで這いずっていく。


 固い装甲で覆われた蜘蛛の化け物──多脚戦車。

 こんな鉄塊のどこに、食べられる部分があるのかと頭を悩ませる。

 まさか本気で、鉄を食らえというのか、この女は。


『いいえ、いいえ。それは穿った意見ですキリク。たしかにあなたは、ある程度の高い消化吸収能力を有していますが、金属を直接功子に変換することは難しいでしょう』

「ならば、どうするというのだ。それともなにか、ほかに食べ物が──」


 ぐるりとあたりを見渡す。

 暗所に順応した眼球は、アーヴ・ロウンがどんな場所かを捉えてみせる。


 私の背丈よりも大きい円筒形のガラスが、所狭しと並んだ奇妙な区画。

 瓶はほとんどが割れており、中身は残っていないか、わずかに残った廃液が皮膜を形成している。

 ほかの場所は、やはり機械が埋め尽くしており、ところどころ隔壁で封鎖されていた。


 配管と、隔壁と、ガラスと画面と、火花を散らす大穴だけがある寂しい場所。

 土も、植物も、生き物も。おおよそ、自然物と言えるものはなく。

 すべてがくすみ、よどんでいる。

 窒息しそうな建造物だ。


 これが理想区画とは、笑わせる。

 まるで、この世の終わりではないか。


「──こんな場所に、食べ物があるとでもいうのか?」

『培養液……の廃液が少しありますが、あれの栄養価が少ないです。休眠状態で極力代謝を抑えた真造躯体、その維持に全てのリソースが費やされていますから』

「結局食い物はないと言うことか」


 ならば、私は飢え死にするしかない。


「ふざけるな」


 力無く、怒鳴る。

 死ねない。

 死ねるものか。

 これが廻坐乱主の企みだというのなら、なおさらだ。


 考えてみれば、すくに解ることだった。

 同胞のいない異邦の地で、こんな頭のおかしい女の幻覚と連れだって飢餓に狂う。

 食事は得られず、健全な魂を担う精強な肉体は、か弱い幼女のものと成り果てている。

 全ては彼奴が、私の精神をへし折るために企てたことだろう。


 邪知暴虐なる荒魂め。

 醜悪なる奸賊め。

 それほど私を屈服させたいのか。


 ──ふざけるな、私にはやるべきことがある。


 天皇陛下は、私に生きろと命じられた。そして、廻坐乱主の悪逆を許すなと、誅戮せよと勅を下されたのだ。

 成し遂げなければならない。

 それまでは死ねない。不義理など、晒してよいものではない!

 上官殿も言っておられた、今日が明日を作るのだ!


「だから、生きるためなら、何でもするさ。どんな悪食も、耐えてみせよう」

『その意気です、キリク。では、FAJを両手に限定転換します。それで、戦車の脚部装甲をこじ開けてください』

「待て、その……なんとかを使ったら、また私は腹が──」

『承認を得ました。作用開始!』


 どうやらようじょの身体は、自由にもできないらしい。

 止めるいとまもなく、両手が赤い光に包まれる。

 全身の虚脱感が深刻な状態に突入。ひどく大切ななにかが、絞り出される感覚。


 赤い色の装甲が、両手に顕現。

 早く終えたい一心で、呻きながらも戦車の装甲に手をかけた。


 思いっきり力を入れると、装甲はぱかりと開いた。

 装甲の内部が露出する。


「これは」


 それは、生物学の講座で学んだものに酷似していた。

 濃い紫色をした、繊維を束ねたもの。

 見間違えようがない。

 これは──


「筋肉、か?」

『首肯します。多脚戦車の機動力を支える人工筋肉です。遺伝子改良した大型海洋哺乳類を飼育し、筋繊維のみ取り出し、加工しています』


 難解だが、ようするに鯨だが海豚イルカだかの仲間の筋肉、と言うことだろう。


「本当にこれは、食えるのか?」

『理論上は可食です。本来なら火を通すべきですが、非常事態です。このままいきましょう』


 このままいきましょうじゃあない。

 生肉を丸かじりとは、どんな蛮族だ。波蘭ぽーらんど人でもそんなことはしない。


『……文句が多いわね、この野郎』

「なに?」

『いえ、では刺身にしましょう。左腕の放熱フィンを刃状に展開しますから、それで切って。それから、廃液にあえることで多少栄養価も向上するでしょうし』

「…………」


 ぐぎゅるるるるるるる…………


 腹が鳴る。

 地獄のような悲鳴を上げる。

 限界だった。

 私は、とうとう言われるままに、人工筋肉とやらをぶつ切りにし始めたのだった。

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