第四節 弩級構造体~ドレッドノート・ストラクチャー~
「その、魔女だのなんだのというのは、よくわからんが」
「え? わかないわけッ……わからないのですか?」
「ああ、ちっともわからん。わからんが、私が──」
ぐったりと、謎の素材で出来た地面に突っ伏しながら、頭を掻く。
状況は不明瞭。
視界の中では、戯画の女が無表情に私を睨んでいる。
自分を見失わぬよう、一つ一つはっきりさせていこう。
「私が──貴様に助けられたというのは、事実だ。貴様から恩を受けたというのは、間違いのないことだ」
日本人に生まれた以上、受けた恩を返さないなどというのは、人道にもとる。
因果応報。善因善果。
恩義には、相応の報いを持って応じなければならない。
「ゆえに、礼を言わせてほしい。ありがとう、魔女を名乗るご婦人」
『ど──どういたしまして。……ですが、あたしは婦人ではありません』
「なんだ、もっと若かったか? いかんな、淑女を見間違えるのはいかん」
『…………! あなたと会話をすると、とても調子が狂います。始末に負えません』
それは私も同じだと、苦笑する。
もっとも、いま重要なのはそういうことではない。
「それで、貴様は何者だ? どうして私の身体は幼女になっている? そして、ここはどこだ? 品川ではないようだが……」
『
「どれ……?」
それは、確か英国の軍艦の名前ではなかった。
戦艦、ドレッドノート。
名前の意味は──
『際限のない構造体、と言う意味です。あなたにもわかりやすく説明すると──世界はこの構造体に飲み込まれています』
…………。
……?
いまこいつ、なんと言った?
「世界とは、あの世界か。欧州とか、
『あなたの指し示しているものが何か、少し解りません。いま告げたとおりです。この世界は、創られた瞬間から弩級構造体に組み込まれているのです。かつて天体、あるいは銀河と呼ばれたものすら、構造体の内側にあります。はっきり言いますか? これが世界の全てです』
「────」
今日何度目かの絶句。
創世の瞬間から、世界がこの訳のわからない代物の中にあったと?
それは、いくら何でもトンチキだろう。
日本書紀でさえ、もう少し気の利いた国産みを考える。
彼女の言葉はそれほど荒唐無稽で。
平時であれば、一蹴するようなもので。
……けれどもいまは、平時ではない。
ほんの数刻前に、奇天烈な化け物どもと戦ったばかりなのだから。
だから、暫定的ではあるが、私はそれを信じることにした。
恩人を疑うのは、仁義にもとる。
しかし、それにしても。
「あうとりがーだの、りあくたーだの、すとらくちゃーだの……まったく、敵性言語の大安売りだな」
ブン屋がここにいたら、発狂していたに違いない。
『……キリク。敵性言語とはなんでしょうか? 記録に不備があります。
そうして視界の中の女は、本気で意味がわからないと首をかしげている。
極めつけに、私の理解できない言葉も頻出する。
……こうも噛み合わなければ、否が応でも理解するしかない。
ここは、私が元いた世界とは別世界である──と。
なるほど。笑えることに私は、神隠しにあったようなものだと言うことだろう。
もっとも、どれもこれもが私の見ている幻覚ではなければ、だが。
『幻覚ではありません。キリクの精神はモニターしている限り健常です』
「そいつはどうも」
『この弩級構造体は、廻坐乱主によって創られました』
それは、なんのために。
「いや、きまっているか。あの男は言ったのだ、
『……神は世界を管理しています。生物を、人間を、資源を。自らの思うがままに。とある目的のために』
「まさしく傲岸不遜の極みだな。帝都では神を
『神は全て管理しています。餓えさせるも、肥えさせるも、神の一存。万象を自在に操る、超常の越境者。それが廻坐乱主です』
「
無力だからですと、女は言った。
『キリクは特別です』
そうだろうな。
鎧を出せる幼女など、帝都にもいなかった。
『あたしが長い時間をかけて、この
「待て。次々に言われてもわからん。ふぉーす? あーう゛ろうん?」
『絶対隔離理想領域アーヴ・ロウンは、この世界で最も安全な場所です』
その割には、鋼の蜘蛛やら黒い飛蝗やらが散々ぶち壊していったがな。
『いちいちうるさいわね!』
「む?」
『い──いえ。それはキリクが目覚めたからで、あたしの落ち度ではありません。依然として、外界とアーヴ・ロウンでは、アーヴが安全です。そしてこの理想区画は、キリクのいまの肉体──
「真造躯体とは?」
『フォースを知覚し、行使できる肉体です。そして、神秘の雛形。あたしが奪い、造ったもの。フォースとは──』
要領を得ない話を、くどくどと続けようとするヴィーチェ・ル・フェイ。
しかし、変調は突如として訪れた。
視界が半ば暗転し、聴覚に大きく雑音が混じったのだ。
なん──だ、これ、は?
『キリク、それは空腹です』
「は?」
疑問を抱くのと同時に、私の腹が可愛らしい──怖気の走る表現だ──鳴き声を上げた。
全身を包む虚脱感と、ささくれ立つ神経。それに、奇妙な冷静さを伴う無気力。
なるほど確かに、覚えがある。
前線にいた頃、同じような感覚を嫌と言うほど味わった。
これは、飢餓状態だ。
『先ほどの多脚戦車とドローンを破壊するために、大量の
……なんだか嫌な予感がした。
私の身体の中にあの鎧が入っているというのは、まあいい。
あれが命を救ってくれたのだし、よく見ると手足の怪我も治っている。おそらく何らかの作用で補ってくれているのだろう。便利なものだ。
だが、先ほどからこいつが言っている功子とはなんだ?
鎧すら功子でできていると言うが……まさか、その源は──
『そうです。功子自体はキリクの骨、血肉、脂肪──身体のあらゆる構成要素を使って形作られています。つまり、先ほどのような全放出を行うと、当然血肉を消費したに等しいので、生命の維持に問題が発生します』
「は?」
それは、要するに?
『栄養──身体の構成要素自体がたりなくなり、多臓器不全を起こして餓死します。細胞から原子からたりなくなるので、生存できないのは明白ですね? それが飢餓状態、即ち功子残量がゼロの状態です』
「とんだ欠陥品だな、オイ!?」
なんだそれは。
駄目にもほどというものがあるだろう。
なにか?
私はあの鎧を使うたびに、餓死の危機に陥るということか?
『有り体に言えば』
有り体に言えば、ではない!
『落ち着いてくださいキリク。ただでさえ少ない
「ひとが死にかけているときによくもまあ冷静でいられるな!?」
『他人事なので』
「私の身体の維持と管理が使命とか抜かしていただろう、貴様は!」
『落ち着いてください』
「これが落ち着いていられるか!」
『……落ち着かないと、本当に死にますが?』
ぞくりと、彼女の言葉に背筋が粟立った。
本能的に、その言葉が事実だと理解した。
胃に穴が開きそうな空腹も相まって、押し黙る。
『よろしいです。キリク、傾聴してください。あなたは功子転換炉を内蔵しています。これは、外界から功子を取り入れるための炉心です。キリクの生存に直結する緊急時であったため、先ほどは功子の最大投射を行いました。しかし、あたしは考えなしではありません。生きながらえる方法はあります。それは』
「それは?」
『それは!』
ゴクリと私が固唾を飲む中。
ヴィーチェ・ル・フェイはたっぷりと間をとって。
無表情ながらやけにきまった調子で。
次のように、宣言したのだった。
『あの多脚戦車を、食べることです!』
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