第一章 多脚戦車の刺身 ~培養液の廃液ソースを添えて~

第一節 目覚めよ憲兵、ここは異なる新世界

 意識に〝きざし〟が芽生えた瞬間、自分がなにか、生ぬるい液体の中にいることに気が付いた。


 液体と自分の境界は酷く曖昧で。

 内臓の中まで液体と同化しているような、不可思議な感覚に襲われる。

 視界は利かず真っ暗で、ただ何か〝優しい味〟のようなものだけが知覚できる。


 まるで、母様かかさまはらのなかのようだった。


 指先は鉛のように重く、手足は水の中で振り回すようで。

 思考がまとまらないまま、悪戦苦闘しているうちに。

 ガシャンとなにかが開く音が、液体を通して響いてきた。


 次の瞬間、自分はデロリと排出される。


「──げっは!? ごっ、げふ!!」


 ドロッとどこからか垂れ流され、ベチャリと床を滑っていく。

 酸素を求め、激しくせ返っていると、のどの奥──そのさらに奥にある肺胞から、次々に生ぬるい液体が吐き出されて。

 ノリのように粘度の高い液体。ぬるい粘液。

 ツーンとした痛みが、鼻の奥を襲う。


 痛い。

 酸素が痛い。

 鮮烈な空気が、肺臓に突き刺さる。


「ぐ、ぐぐぐ」


 デロデロと広がる液体のなかで、手足を突っ張ったり伸ばしたりしながら、床を這いずり回る。

 まるで死にかけのカエルだと、下手くそな諧謔かいぎゃくがこみ上げてきたが、そんな場合でもない。


 惨めだとか、無様だとか、考える余裕もなく。

 自分は舌を突き出し、あえぎながら空気をむさぼる。


 硬く、冷たい床だ。

 見る間に奪われる体温と、相反するように、呼吸のたび網膜が光を認識し始める。

 決して明るくはない薄暗闇が、どうしてか私には眩しく見えた。

 同時に、鉄錆のような味を感じる。


 何度か目を瞬かせていると、やがて世界が明瞭になった。

 そして、


「な──」


 私は一瞬言葉を失って。

 肺が痛むこともかまわず、叫んだのだ。


「な──なんだぁ、これはあああああああああああああああああああ!?!?」


 そこは、自分がいたはずの帝都でも。

 まして神を僭称する老人が作り出したまやかしの白い空間でもなかった。


 機械、機械、機械。

 見渡す限り、見える限り一面が機械で覆い尽くされた、人造の巨大建造物。


 右を見れば、せわしなく動くピストンが蒸気を吐き出し、それに接続された歯車が、ガチリガチリと回転している。

 左を見れば入り組んだ配管が血管のごとく這い回り、蒸気とスパークする電流を漏れ出している。


 配管。

 ダクト。碍子がいし

 圧電気。原動機

 ダクト。配線。

 なぞの物体。

 またダクト──


 果てが見えないほどうずたかく積み上げられているのは、鋼、機械、発条、鋼線、画面、オシロスコープ……。

 どれも奇怪な代物ばかりで、それらが積み木の玩具のように、不規則かつ精緻に組み合わさっている。


 上を見上げても、そこには空がなく。

 視界の利く彼方まで、なにもかもが構造物に埋め尽くされている。


「これも彼奴の幻術──否、奇跡だとでもいうのか! 冗談では──げふっ、ごっほごっほ!」


 あまりに理解できない光景に、思わず叫んではみるものの。

 そのたび肺臓に痛みが走り、咳き込んでしまう。


 ──違和感。

 何か、ひどい違和感を覚える。


 なんだ?

 〝声〟……か?

 これは、本当に自分の声だろうか?

 ……どうも、やけに甲高い気がするのだが、勘違いだろうか?


 困惑しながら、それでも事態を打開しようと周囲を見渡していると。

 数十歩先の距離に、きらりと輝くものがあった。


 姿見だった。

 ほかの構造物のようにくすんでおらず、不自然に磨き抜かれた金属の円盤。装飾が施された銅鏡のようなそれ。

 ごくりと生唾を飲み込みながら、おっかなびっくり、私は鏡へと近づき。


「────!?」


 絶句した。

 すみやかに白目を剥いた。

 脳みそが、理解を拒絶した。


 鈍色を含む、赤く、癖のないまっすぐな髪。

 琥珀よりもなお鮮やかな、丸い黄金の瞳。

 健康的な、白い肌。

 薄い唇、柔らかな印象のかんばせは驚愕に歪み、わなわなと震えている。

 手足は細く、そして短かった。


 ああ、そうだ。細く短かった。まるで──


 なだらかな丘陵を描くお腹と、相応の小さなふくらみを有する胸部。

 股間には、なにもついておらず。


 ……酷く、酷く簡潔に、事態を明確に言い表すのなら。

 有木希戮という大男は──赤髪金眼の幼女に──成り果てていたのである。


「────」


 放棄しようとした思考を、それでも理性とかいう余計なものがかき集める。

 どうしようもなく、致命的に理解する。

 これは。

 これが、あの老爺の仕業であることを。


 なんと言ったか、彼奴は。

 そうだ、確かにこう言った。

 とか──


「……おのれ」


 愛らしい幼女の顔が一瞬にして憤怒に染まり、米粒のように整った歯が、ギリリと軋り散らす。

 怒りの激発は、止められるものではなかった。


「おのれ廻坐乱主ぅ! よくも、よくもまあここまで、私を辱めてくれたなぁぁあ!!! 廻坐ぁあああああ……殺す……ころぉすぅ! 待っていろ……どこにいるかもわからんが、必ず見つけ出し、誅戮してみせるゆえなぁああああ……!」


 絶叫し、発狂し、怨嗟をぶちまけ。

 ひとしきり私は、取り乱し続けて。


 しかし、それすらも長くは続けていられなかった。

 なぜなら。


『GIGIGIGIGIGIGIGIGIGIGI!!』


 突如轟音を響かせ、壁の一部が爆発。

 もうもうと立ちこめる爆煙を突き破り、なにか巨大なものが、姿を現したからだ。


「蜘蛛!? 鋼の蜘蛛のあやかしか!」


 蜘蛛だ。私には、それが蜘蛛に見えた。

 平屋家屋の三倍ほどもある、巨大な、鋼でできた蜘蛛の化け物に。


 そして、蜘蛛の化け物は。


『GIGIGIGIGIGAAAAAAAAAAAAAAAAAAA!』


 全身を軋ませると、当然のように襲いかかってきたのだった。

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