【誰も彼もがいなくなる】後編

 兄ちゃんはうつむき、それから見たことのない濁った目をして、高笑いを始めた。


「ざまぁみろ、はあっははは!」

「に、兄ちゃん?」

「俺さあ、中学の時、コイツらにいじめられていたんだ」


 焦げ臭い匂いから離れるように、玄関から外に出た。暗い森の木たちが月明かりの下で不気味に揺れている。


「地獄だった。持ち物は捨てられて、裸で踊らされて、断ればバットで殴られた。一番酷かったのは恐喝だ。毎日何万もむしり取られたよ」

「ひどい…」

「貯金が尽きたら万引きを命じられた。断ったり誰かに言えばお袋をバットで襲うって言われてさ」


 兄ちゃんは虚空を見つめる。

 その横顔に、涙が一筋流れてくる。


「警察に捕まって、オヤジはお袋を責めて離婚。引っ越した先で必死に勉強したさ。大学に受かった時は本当に嬉しかったよ。

 アイツらに再会するまでは」

「まさか、また?」

「むしろその方が楽だったかもな。

 アイツら全然覚えてなかったんだぜ。こっちは忘れたくても忘れらんねえのに。

 馬券が当たったのは運命だ。神様が復讐しろって言ったのさ」


 遠くから、誰かの足音が聞こえる。


「SNSで派手に遊んでるところを見せつけて、近付いてくるようにしたのさ。金の亡者ども、あっさり引っかかった。計画が想像以上にうまくいったよ」

「これから、どうするの」

「今からここを全部燃やす。証拠は残さない。バーベキューの不始末でみんな死んだことにする」

「そ、そんなの、ダメだよ」

「まさか裏切らないよな?お前はそんな奴じゃないよな?俺は悪くない。悪いのは全部アイツらだ!」

「そ、それは、そうだけど。計画殺人じゃん。おばさんになんて言うんだよ」

「…お袋は死んだよ。働きすぎて倒れたんだ。お前はオヤジ側の親戚だから言わなかった」


 兄ちゃんがポケットからタバコを取りだした。

 暗闇に赤い光と、白い煙が揺れる。

 きっと、まだ話したいことがあったんだと思う。

 だけどそれを聞く事は出来なかった。


 石が飛んできて兄ちゃんの頭に直撃したからだ。


 玄関ドアに血が飛んで、倒れた体がビクビク痙攣している。

 飛んできた方向を見ると、森の中から知らない男達がやってきた。暗くてよく見えないけど、四、五人がニヤニヤ笑っている。

 男達の手には斧や包丁があり、月明かりに照らされてギラリと光っている。僕は気が狂わんばかりに叫んだ。


「ガキのクセに生意気なんだよなあ」

「なーにがビギナーズラックだ。ふざけやがって。こちとら二十年以上競馬やってんだぞ」

「金よこせよ、倍にしてやる」

「デカイ別荘に女三人も連れ込んで、羨ましいから死刑」


 呪いのような呟きが鮮明に聞こえる。

 そういえば、ここに来る途中に聞いた。兄ちゃんが馬券を当てた時に、近くに居た人が睨んでいたって。その時に目をつけられていたんだ。


「検索したらSNSで馬鹿みてーに贅沢三昧。こっちは借金で今にも殺されそうなのによ」

「だからフォロワーになって、この別荘をDMで教えてやったのさ」

「バカなガキだ。ここは地元じゃ有名な心霊スポットでね。一家惨殺事件があって以来、何人も死んでるんだよ」


 ギラギラした凶器が近付いてくる。

 僕は一歩も動けない。

 兄ちゃんから流れた血が地面をつたい、手に当たった。もうピクリとも動かない。その目はただ開いているだけ。


「坊っちゃんには気の毒な話だが、恨むなら

〝 今から別荘に向かいまーす〝

 なんて呟きをしちまう馬鹿な兄ちゃんを恨めよ」


 僕も殺される!殴られて、刺されて、頭を割られて。

 嫌だ、助けて。僕は何もしてない!

 お願い誰か!誰でもいい!


「助けてユキちゃん!」


 無意識に、女の子の名前を呼んでいた。きっと藁にもすがる思いというヤツだったんだと思う。

 そして、男の一人が、笑いながら自分の喉に包丁を突き立てた。

 一人また一人と、手にした凶器を腹や胸に突き立てて血と臓物をまき散らして倒れていく。あたりはすぐに静かになった。


「あ、あ…あ…」


 ぼんやりと、女の子の姿が現れた。

 二つしばりでワンピースを着ていて、その腹部が赤く染まっている。さっきの奴らが言っていたとおりなら、彼女は、何者かに殺されたのだろう。

 まだ、十歳にもなれないままに。

 幼い霊を前に胸に浮かんだのは、激しい後悔の気持ちだった。地面に頭を擦り付けて叫ぶ。


「ごめんなさい!ごめんなさい!」


 辛い目にあったこの子に、ひどい事をさせた。

 兄ちゃん家族の苦しみを知らなかった。

 小さい頃はよく泊まりに行ったっていうのに。なにも知らないで、のんきに毎日過ごして。


(気晴らしに海行こうぜ)


 兄ちゃんはそう言って僕を誘った。恐ろしい殺人事件の現場に。

 僕も一緒に殺すつもりだったなら、ガレージに向かう時に止めなかったはずだ。

 知って、欲しかったのかな​──。

 苦しみを抱えたままでは生きてはいけないから。


 ひやりとした透明な手が、体を包み込む。

 僕はひとをころした。手を下したのは彼女でも、お願いしたのは僕だ。

 これから罪を償うんだろう、命をもって。

 僕は目を閉じた。


『お兄ちゃん。あのひのこと、ゆるしてあげる。だから​───』


 +++


 僕は昏睡状態で警察に保護された。何度も事情聴取を受けたが、何も話さなかった。事件はSNSがきっかけの強盗殺人集団自殺事件として報道されて、兄ちゃんの罪は隠された。

 細かい証拠は全て焼けてしまったらしい。

 もうあの家が人を殺すことは無い。


 よく晴れた日に墓参りに行った。花もお線香もたくさん。兄ちゃんと、おばさんのお墓にも手を合わせる。


「まさかヤスオ君がこんな事に…。まだ休んでいていいのよ」

「ううん、帰って勉強するよ」


 永遠に大学に行けなくなった兄ちゃんの分も、必ず合格すると決めたから。


 桜舞う入学式の日。

 志望校に無事合格した僕は、門の所で記念撮影をしてもらう。


「おかしいわね、どうしてもボヤけるわ」

「いいよそれで」


 あの事件以来、僕を撮ると必ず心霊写真になる。

 部屋の隅に、廊下の向こうに、桜の木の下に、いつでも誰かの視線を感じるのだ。

 小さな女の子が今もそばにいる。


《お兄ちゃん、ずっといっしょだよ》

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真夏の惨劇はインスタ映えから 秋雨千尋 @akisamechihiro

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