第3章 この世界に居る理由

第30話 魔族の男を”救う”

 リアヌと別れて、数日が経過した――はずだ。

 今の俺に時間の感覚なんて無く、脳から手足に糸を垂らして歩くだけのただの人形のように前進していた。

 まだ三日ぐらいだろうか、それとも一週間? 食事をしなくなって初めて知ったことだがルキフィアロードは、勝手に空気中の魔力を集めて体内で栄養に変えてくれているようだ。つまり、食事をしなくても点滴を打たれているような状態なので体調不良で死ぬことはない。


 忌々しい力は、自然と死ぬことすら許されない。

 ひたすら歩き続けたので、今ここがどこかも分からないし、俺の視界にはずっと獣道が続いている。

 ただ変化があるとしたら、最初森の中に入った時は比較的歩きやすい道のりだったが、密林を彷彿とさせるような鬱蒼とした景色に変わってきていた。

 異世界なので見慣れない草木はもちろんだったが、ここ数時間は完全に別世界に変わり始めている。紫の色の葉っぱや、触れると虹色に光る木、ピンク色の果物が落ちた場所から数秒で花が咲いた。


 遠くに来たことは間違いない、だが、足を止めることはない。

 一歩でも多く、リアヌ達から離れよう。そうすれば、少なくとも彼女達を巻き込む心配はない、その後は――どうすればいいのだろうか。


 「……なんだ」


 人の声が聞こえたような気がした。おかしな鳴き声の鳥が飛び回っているのには気付いていたが、明らかに今聞こえた声は人が発するもの。


 「――!」


 意識して聞いてみれば、さっきよりも声がはっきりと聞こえた。かなり慌てているようにも思える、逼迫した声。


 「まただ」


 声のした方向へ向かって走り出す。走れば走るほどに声は大きくなってくる。

 大きな声、男の声、恐怖した声。

 舗装されてない自然のままの道に何度か躓きそうになりながら、幾つかの折れたり傷ついたりした木の間を通り過ぎる。そして、声の発生源に到着した。


 「――た、助けてくれえぇぇ!!!」


 男が絶叫し、地面に横たわっていた。

 天を仰ぎ見る男の先には、ナマズに二本ずつ手足を生やして、目と鼻の代わりに口を顔いっぱいに巨大化させたような奇妙な怪物が居た。大きさは、五メートル程で覆い被さろうとしている男と友好な関係とはとても思えなかった。

 メリッサ達から噂話として聞いていたが、恐らくこれが魔物なのだろう。魔力の高い地域やある限られた条件下のみで出現する魔力の怪物。

 相手の呼び方だけを理解して、腰を低くして駆け出す。


 「火の精霊よ、邪悪を切り裂く剣となれ」


 右手の中に魔法陣が出現するプロセスを飛ばして二メートル程の炎の剣が生成される。魔物の後方を駆け抜けるようにして炎の剣を振った。

 キシャァ、と今まで生きてきた中で一度も耳にしたことのないような感情を感じさせない悲鳴が上がった。もしこの魔物の悲鳴を普通に聞いていたなら、金属が潰される音だと誤解していたかもしれない。


 さほど強い魔物でもなかったのか、それとも、俺の力量が圧倒していたのか断面の部分から全体にかけて炎に焼かれながら魔物は消滅した。

 残されたのは、腰を抜かした男だけだった。


 「あ、あんたは……」


 「俺は……タスク」


 「タ、タスク……とりあえず、礼は言わせてもらうが……あんた、人間か?」


 まともに目を合わせようとしなかったせいか、気付くのが遅くなったが、男の額の辺りからはサイのような角が生えていた。肌の色も人間とは違い、ネズミの肌のような色をしている。


 「見て分かるだろ。それより……一体、何があった」


 「何があった、だと……」


 魔族の男は怒りで恐怖なんて忘れたように、バッと立ち上がった。


 「しらばっくれやがって、俺達を馬鹿にしているのか! あのおかしな魔物もお前ら人間の差し金だろ! お前らのせいで、さっきも俺の仲間達が……!」


 尋常ないほどの怒りの込められた男の声に、一瞬言葉をを失ってしまう。


 「ちょっと待ってくれ、聞きたいのはこっちの方だ。あの魔物は何だ? どうして追われていた? それに、あれを人間が作ったのか? 俺にとっては、本当に知らないことばかりなんだ」


 最初は疑いの眼差しを向けていた男も、降参したように手を広げる俺に徐々に警戒心を解いていっているようだった。


 「……まさか、本当にただ俺を助けだけか?」


 助けた、という言葉はあえて俺が避けていたものだ。数日前に大勢の人達を焼き殺したような男が、簡単に口にしていいものとは思えなかった。俺の中では、助けるという言葉は尊いものになっていた。


 「成り行きだったが、そう思ってくれても構わない。それに、貴方を殺そうとする人間が貴方を守る訳がないだろ」


 論より証拠だとばかりに事実だけを述べる。半信半疑といった表情をしていた男だったが、おもむろに手を差し出した。肌色と同じで、鼠色の手だった。


 「信じちゃいないが、俺と握手をしろ。それで全て分かる」


 「言葉と行動が矛盾しているが、まあいい。……これでいいか?」


 握手を交わし、男は真っすぐに俺の目を見た。言った通り隠すこともないので、その目を見返す。


 「触れた相手の魔力を感じて、その者の嘘を見抜くのは得意なんだ。もし嘘を付いているなら、命に代えてでもお前を殺す」


 「物騒な男だ」


 「……タスク、お前は俺の敵か? 魔族の敵なのか?」


 「魔族の敵じゃないし、お前の敵でもない。おまけに言うなら、俺は魔族の子供が大好きなんだ。……変な意味じゃなくてな」


 うっかり握り潰されてしまうのではないかと思うぐらい強かった男の手の力が緩んだ。どうやら、俺の感情というものを読んでくれたのだろう。


 「すまない、悪い人間じゃないんだな。俺達魔族が信じられるのは、魔力や魔法なんだ。その信じられるものを通して大丈夫だったのなら、信用できそうだと思えた」


 「気にしないでくれ、成り行きだと言っただろ。俺だって逆の立場なら、怪しむかもしれない。それより、何があったか教えてくれないか?」


 「俺の名前はトマス、お礼もしたいから道すがら教えるよ」



                 ※



 トマスはこの近くの魔族の村から、数名の仲間達を連れてやってきていた。何故、トマスが一人なのかというと仲間達は全て――殺されたのだ。それも、人間達に。

 魔族の支配地域に人間の兵士の一団が侵入してきたことを知ったトマス達は、兵士達に事情を問いかけようと対話を試みた。しかし、兵士達は問答無用で仲間の一人を殺し、容赦なく攻撃を仕掛けてきた。不意打ちを受けたトマスは仲間達とちりぢりになりながら逃げ出したが、その後ろを先程の魔物に追跡されたということらしい。

 偶然にも、襲われる現場に遭遇した俺があの魔物からトマスを助けた形になったのだろう。


 「バラバラに逃げたはずの仲間達の悲鳴が後から聞こえてきたんだ。……たぶん、仲間達はあの魔物にやられちまったんだと思う……」


 沈痛な面持ちでつい数分前のことを振り返るトマスに、かける言葉は見つからない。なら、落ち込むトマスには悪いが、先のことを考えるしかない。


 「生き残ったなら、村の人達にも起こったことを知らせるんだよな。なら、俺が行ったら混乱を招くんじゃないか」


 「うーん……俺が嘘を見抜く力に長けていることは村人みんな知っているし、タスクから感じる魔力は明らかに人間が持つ魔力の質とは異なっている。事情を説明すれば、分かってくれるかもしれない。何より、俺が礼をしたいんだ」


 「そこまで言うなら……それなら、下手に刺激することはない。外見さえ誤魔化せれば、人間だとは分からないなら……こうしたら、大丈夫だろ」


 あの時のことを思い出しそうであまり気乗りはしないが、懐からザックスから貰った仮面を取り出すと、それを顔に装着する。

 

 「随分と味気ない仮面だな。魔族流の特殊な装飾でもしようか」


 「ほっといてくれ、それよりも後どのくらいかかるんだ。あまり近いと、兵士達に村の場所を気付かれる可能性も出て来るだろ」


 「そこは安心してほしい、村人はみんな魔法によって目に見えない刻印を肉体に施されている。人間の兵士なんて簡単に通すことはないさ」


 「さすが、魔族だな。……同時に疑問も浮かぶのだが、それって俺も入れないんじゃないか?」


 「大丈夫だ、刻印は手の平に施されている。刻印の一番近くを触れながら、結界を潜れば問題なく通れるさ」


 「それって、あんたと手を握れってことか……」


 たった一度助けただけの俺を村へ案内し、なおかつ今も躊躇なくトマスは握手を求めた。魔族だと言われているが、関わってきた彼らは人間よりもずっと純粋な種族に思えた。


 「そうさ、他種族同士それも人間と魔族が手を繋ぐなんて素晴らしいことだろう」


 「素晴らしいが、何かの罠かと思ってしまうぞ。俺を夕食にでもするつもりなんじゃないかと怪しんでしまう」


 「……正直によく言えるな、タスク。仲間を殺した人間達は殺したいほど憎いが、タスクはその人間と違うだろ? 仲間じゃないよな?」


 あっけらかんとしたトマスの言葉に、流されるように納得してしまう。


 「そりゃそうだが……。もし仲間なら、村に案内されて今頃大笑いしているだろうよ」


 「だろ? 俺にとっては、それだけの話だよ。……もしも命の恩人であるタスクも疑ってしまったら、俺達は冷徹な人間と同じになってしまう。冷たいヒトにはなりたくない」


 「びっくりするぐらい、アンタはヒト以上にヒトだよ」


 トマスが言い終わる頃には、その手を握っていた。たくましい右手と握手をし、共に数歩歩きだす。


 「――さあ、魔族の村へようこそ」 


 見えない障壁を抜けたことを知らせるように、次の一歩を踏み込むと全身の皮膚を静電気が流れていくようなぴりぴりとした感覚を感じて目を閉じる。次に顔を上げると、そこには魔族の文字で村の名前が書かれたアーチ状の門が現れた。

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