第29話 君の声は遥か遠く

 相手の頭を叩き切るはずの鎖鎌の刃の先は、何も無い空間を貫いていた。


 「何っ――!」


 ローブの男が地面に突き刺さった鎖鎌を引っ張る――視界から消えていた俺は、そこでローブの男の横腹に蹴りを入れた。

 うっ、と短く呻いたローブの男は地面を転がる。


 「お前、いつの間に……」


 見開かれたローブの男の目の中には、俺が映っていた。

 呑気に答え合わせなんてするつもりもなく、地面を蹴ると同時に魔法を発動させる。――瞬間、俺の体はカメレオンのように空気に溶けて透明に変わる。

 体を起こしながらローブの男は鎖鎌を振れば、大きく周囲を一周して、俺が消えた方向に投げられる。


 「どこ見てんだよ、俺はここだ」


 奴からすれば正解の方向、しかし、俺からしてみれば明後日の方向。腕を伸ばしたローブの男の頬を、全力で殴打した。

 地面を転がるローブの男に注視しつつ、俺は透明化を解除する。

 殴られる痛みに慣れていないのか、目を充血させながらふーふーと荒い息を吐きながらローブの男は立ち上がる。圧倒的だった魔法の強者が醜態を晒しているせいか兵士達も声を出さなくても動揺が広まっているのが感じられた。


 「そうか……お前、あの男を喰らったのか」


 「ああ、ザックスがそれを望んだ。アイツは、喰らわれても共に未来を進むことを決めた。……だから、喰らい、共に、生きる。刻んでおけよ、この魔法の名前は……透明化魔法ザックスだ」


 ザックスの生きた証を残したいが、これぐらいしかできないと思った。これからも、俺を助けてくれる相棒で居てほしいと願ったからこそのこの名前だった。

 ローブの男は苛立ちのままにローブを剥ぎ取った。ローブの下には、禿げ頭の三十代後半ぐらいの年齢の鋭い目つきの男が現れた。


 「その男は己の魔法を活かしきれずに死んだ! ただ消えるだけの魔法など、俺の幻術の前では全くもって無駄だ!」


 ローブの男は両手を空に掲げると、魔力の粒子を肉体から放出すると頭上に魔法陣が出現した。


 「我が名はランスト、ここからは全力で相手になろう。……幻影こそ心理、幻影こそ己、幻影こそ摂理、我が魔力よ霧となりて精神を犯し蹂躙せよ。――ステュムノックス」


 ローブの男はランストと名乗り、宙に浮かばせた魔法を発動する。弾けた魔法陣の粒子が、たちまち俺の視界を奪う。

 なるほどと理解する。体を透明にできるザックスが、この男に敗北した理由は広範囲に発動できる幻を見せる魔法のせいか。

 さて、どうしたものかと魔力の気配を探っていると、


 (タスク先生、大丈夫なの!?)


 (……リアヌか、無事でよかった。今どこに居る?)


 (逃げ出した子供達は町の方に逃がして、隠れてそっちを見ているところよ)


 幻の影響を受けないリアヌが無事なのは、好都合だった。

 このまま棒立ちなのはまずいので、体を透明化させて、幻の空間でじっとする。


 (タスク先生が消えたわ! 無事なの!?)


 (……ザックスから魔法を貰った。リアヌ、そっちからはこちらはどう見える?)


 (ザックスの? よく分からないけど、無事なら良かった。……えーと、先生が消えた場所に禿げ頭の男の人が近づいて行ってる)


 (真っすぐ歩いてきてるのか?)


 (うん、先生が立っていた場所から真っすぐ)


 自分で使用してよく分かったが、透明化はかなり集中力を使う魔法だ。幻の影響を受けて透明化の魔法が解除されたところを狙って、例の鎖鎌で仕留めるつもりなのだろう。

 幻による霧が濃くなってきた。霧の奥からは真っ白の大蛇が、肩から首にとぐろを巻き、首筋に舌を這わせた。それだけではない、周囲では子供達の悲鳴が大雨の雨音のように途切れることなく響いている。ただし、これが幻だと分かっている以上は、さほど驚きもしない。


 (リアヌ、状況は変わっていないか)


 (うん、禿げた男の人が鎖鎌を構えているだけ)


 やはり全てが幻らしい、これが全て幻というなら、後はシンプルな方法でいい。


 (俺と男の距離は?)


 (先生が立っていた場所から、大股歩きで真っすぐ五歩てところかな)


 やはりリアヌは頭の良い子だ。聞かなくても、方向も全て教えてくれる。

 それだけ分かれば十分だった、体の内側で魔力を練る。ただ感情のままに放出するだけなら、ヒメカとの戦いでたっぷり体に染み込んでいる。


 「おい、そこに居るのは分かっている。どうして、ルキフィアロードと俺が契約していることが分かった?」


 程なくして、男の返答がくる。


 「ほう、随分と余裕そうだな。これが最後の会話になるかもしれんなからな、答えてやろう。……とあるお方が教えてくれたのだ。ルキフィアロードの契約者の特徴をな」


 「とあるお方?」


 「ああ、そのお方は私に強大な力を与えてくださった。そのお方によって、今の地位に居られるのだ」


 (先生! 男が鎖鎌を振り回し始めた! 狙いを絞っているのよ!)


 そうだろう、きっと俺と会話をしながら居場所を探っているのだろう。あまり長いこと話はできそうもない。

 なるべく喋らないようにしつつ、男に話を促す。


 「そいつの為に、子供達を誘拐していたのか」


 「そうさ、あのお方が次の位に行く為には、純粋な魂が必要なのだ。そして、その魂に見合った者こそ、あの方と共に世界を正しき方向へと修正できるのだ」


 「……そいつは、どこに居る」


 鎖鎌が回転する音が耳に届く。


 「――これから死ぬお前は知らなくてもいいことだ!」


 男が幻覚の霧の中から鎖鎌を投げるのとほぼ同時に、俺は右の拳の先に魔法陣を形成し強力な炎の魔法を放出する。


 「――プロミネンスッ!」


 超高密度高魔力の炎のレーザーが、迫る鎖鎌を焼却し勝ち誇った顔の男を飲み込んだ。


                  ※


 それで――全てが解決したはずだった。


 俺は一人、惨劇の炎の中で立ち竦んでいた。

 ザックスと俺の間には強い絆があった。その絆は、とても強固で強力で、契約したルキフィアロードの魔力を増幅させるには十分だった。

 ランストだけを倒すつもりが、己も知らぬ内に強力になったプロミネンスの攻撃は男を消し炭に変え、囲んでいた兵士達も焼き尽くした。


 兵士達が逃げ惑い魔力の炎から逃れようとするが、俺の放った炎は地面を転がるだけでは簡単には消えず、助けようとした兵士も逃げようとした兵士も巻き込んで炎は加速していく。

 一気に数十人という人間が生きたまま燃えていく姿を、ただ呆然と眺めることしかできなかった。

 凍り付いた感情だというのに、人が死ねば死ぬほどルキフィアロードが魔力を喰らっていっているのがひしひしと実感できた。まさにこれは、人が人を喰らっているのと変わらない。


 「うっ――」


 人間を口にしてしまったかのような感覚に強い吐き気に襲われる。


 (先生! 先生! どうしたの!? 先生!?)


 必死に呼ぶリアヌの声が聞こえる。


 (……リアヌ、こっちを見るな。孤児院に戻れ)


 (な、なんで……だって、炎が……人が……)


 (いいから、見るなっ!!!)


 俺は怒声を浴びせると声がぷつんと途切れた。リアヌが聞こえないようにしたかと思ったが、俺の魔力で強引に閉ざしたらしい。

 ここに居る兵士達は誰一人として助からない、どうしようもない悪人達だったとしても、人は人だ――大勢の人を虐殺した事実は変えようがない。


 (先生、戻ってきて……)


 祈るように零れるようにして、リアヌ声が届いた。


 (メリッサも孤児院で待っている、先生の居場所なんだよ。……私を救ってくれようとしたんじゃないの!? 先生!)


 ごめんよ、リアヌ、メリッサ。俺は君を救いたいわけじゃなかったんだ、俺が救われたかっただけなんだ。


 (先生! 帰ってきて! ようやく、私は……前を向いて生きていけそうだったのに! 先生が居なくなったら……私……!)


 ふらふらと歩き出す。そして、仮面を被ったままだったことに気付き、仮面を外して懐に押し込んだ。

 涙で濡れた視界で、最後にリアヌの魔力の気配がする方向を見つめた。これが、彼女へと送る最後の言葉にしよう。


 (もう……帰れないんだ……一人で帰らせてごめん……生きてくれ、リアヌ。きっと、生きていれば良い出会いが待っている。汚れた手しか持っていないと思っていた俺が、二人の手を握ることができたんだ。……絶望しかないと思っていた未来だったけど、メリッサやリアヌに出会えて幸せだったよ。……メリッサに、よろしくな)


 (せんせ――!)


 電話の受話器を落とすようにして、強制的に魔力の繋がりを絶った。

 炎の海の中、魔力を喰らいながら、あてもなく前進を続けた。いいや、続けるしかなできなかった。

 この炎はあの日ヒメカが作り出した炎と酷似していた。

 ああそうか、ヒメカはこんな気持ちだったのか――ずっと――過去も――。

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