第28話 現実を/幻想へ

 次に意識が戻った時には、炎の中心に立っていた。

 視界の全てを覆う炎は自我を持つかのように大きくなったかと思えば小さくなり、巨大な獣のようにあらゆるものを喰らう。


 「ぐっ……どういう……」


 右腕が肩の辺りまでメラメラと燃えていた。

 状況から考えられるに、周囲を喰らい尽くそうとする強烈なまでの炎は原因は俺にあるのだろう。

 前後の記憶が朧げなままぼんやりとした意識で、燃えながら形をどんどん失っていく建物に見覚えがある。


 「ここは、まさか……」


 はっとした、ここは先程までの陣地。そして、この陣地を全て燃やしているということは、つまりどういうことなのか。

 

 「俺は……全てを……燃やしたのか――」


 これだけ強力な炎を放ってしまえば、近くに子供達は助かる訳がない。それだけではなく、ここにいる兵士達も塵に変えた。

 燃え盛る右手で顔を覆うが、そこには熱さも痛みも感じない。


 「これでは……まるで……ヒメカと同じじゃないか……!」


 あの日、大勢の人魚達を手に掛けたヒメカと今の俺がやっていることを全く同じだ。


 「あああぁ……!」


 感情の暴走に応じるように腕の炎が希望とは反対に、さらに膨れて勢いを加速させた。


 「止まれ! 止まれ! 止まってくれ! これは、俺の力なんだろ!?」


 腕を地面に叩き付けるが、止まることはない。炎の中で血の滲んだ手は、ただじんわりと痛覚だけを伝えて来る。まるで、今のどうしようもない俺そのものじゃないか。

 そうだ、と思い立ち上がる。左手には水の魔法陣を形成し、無我夢中で火を消そうと放出しようとするが――。


 「――ああぁぁ! 何でだよっ!」


 左手から放たれる水の魔法は、決して炎を消化する鎮火の水ではなかった。

 左手の魔法陣から出現したのは、三体の巨大な竜。竜達は、思い思いの動きで暴れ出し、口から強烈なたっぷりと魔力でコーティングされた水の塊を連射する。


 火を消すことはなく、水の塊は炎と混ざり合い、地面を抉り、さらに勢いを強めた。このまま勢いを増していけば、さほど遠く離れていない町まで被害を与える可能性だってある。


 「俺の力は、何かを壊すことしかできないのか……。結局は、俺も殺人鬼なのかよ……」


 全てを壊し、全てを奪い、全てを喰らう。ルキフィアロードの力を過信したその時から、もしかしたら結末は決まっていたのかもしれない。

 己の無力さに、ただただその場に膝をついた。


 「――何をしているの、タスク先生」


 最初は幻聴かと思った。聞きたいと願った声に、祈るように声のした方向を探す。――居た。リアヌが、両目の魔眼を輝かせながらこちらを見つめていた。


 「リアヌ……本物か……」


 炎の中だというのに悠然と立つリアヌは頷いた。


 「本物とか偽物とかどうでもいいわ、私は先生を迎えに来ただけよ。さあ、泥を払って落として、足に力を込めて、立って、私の手を掴みなさい」


 「だが、俺は……」


 右腕は炎に燃え、左手の魔法陣は水の竜の根源となっている。これで、何を掴めと言うのだ。

 思うがままに手を伸ばすなら、彼女を焼き殺し、水の竜が喰い千切ることになるだろう。


 「嫌だ、嫌だ、嫌だ! 俺はもう……誰も殺したくなんてない! 誰かの犠牲の上で生きたくないんだ!」


 「そんなの知っているわ、……まだ、終わってないわよ」


 「まだ……終わってない……」


 「そうよ、いい加減目覚めなさい。さっさと、こんな夢の世界逃げ出して、私達の孤児院に帰りましょう」


 「夢……みたいな世界……」


 そこまで言われて初めて、リアヌがこの世界で浮いている存在だと思った。

 燃え盛る景色の中で、リアヌだけがしっかりとそこで存在感を放っていことに気付けば、たちまち周囲から現実感というものが消える。まるで、手品のネタばらしを聞いた時のようにこの現実が単なるトリックなのだと感じられる。


 「ここは、幻の世界。タスク先生は、敵に幻の世界に封じ込められていたのよ」


 「そうか……だから、ここではありえないことばかり起こったのか……」


 一体、どこからどこまでが幻だったのかは分からないが、今までのあのローブの男に操られるような状況が全て奴の魔法によって起こされたものなら、全てに答えが出せる。


 「――やってくれたな、小娘」


 ローブの男が、炎のスクリーンの中から飛び出してきた。現れた男からは、既に魔法は感じられない。

 リアヌに飛び掛かろうとする男に体当たりをすると、すぐに振り返りリアヌに手を伸ばす。


 「リアヌッ」


 「タスク先生っ」


 さまよう小さな手と俺の手が重なった。

 ――瞬間、手と手を重ねた空間から世界は崩壊をした。


             ※


 土の味を感じる、今こそがリアルな世界なのだと実感できた。

 どうやら地面に横たわっていたらしい俺は顔を上げる。


 「よ……ようやく、お目覚めのようですな……」


 虫の飛ぶような声はザックスのものだ。すぐ側に居るらしいザックスに声を掛けようとする。


 「悪い、ザック……ス……?」


 最初に見えたのはザックスの後ろ姿、そして、前方には陣地。燃えることなく、静かにそこに佇んでいる。

 しかし、そんなことよりも俺の意識を全て持っていったのは、真っ赤な血に染まったザックスの背中だった。


 「ちっ、帰って来たか。ルキフィアロードの契約者よ」


 聞きたくもないローブの男の声。

 舌打ちと同時にザックスの体が痙攣するように、小刻みに震えると地面に前のめりに倒れこもうとするのを、寸前で受け止めた。


 「ザックス!」


 「へへ……少し格好をつけすぎた……かもしれませんねぇ……」


 ザックスの腹部は真っ赤に染まり、背中からも多量の出血をしている。腹に手を伸ばせば、ぽっかりとハンドボールぐらいの大きさの空洞ができていた。

 助からない、そんな言葉がすぐに浮かんだ。


 「ザックス……! どうして、こんなことに……!」


 「タスクの旦那が……子供達を助けて帰って来たんです……何事も無く……」


 子供達を助けた? 何事もなく? つまり、俺はあのテントに来た時点でローブの男に魔法で幻を掛けられていたのか。

 じゃあ、一体いつから……。

 幻の世界に閉じ込められていた時のように、思考の渦に入り込みそうになった俺は首を横に振る。今はそんなことを考えている場合じゃない。

 俺の前で血を流しているザックスこそが、現実なんだ。それも最低最悪の。


 「もう喋るな、今すぐ元気にさせてやる。――水の精霊よ、彼の者の傷を癒し給え」


 右手の先に発生させた魔法陣が淡く輝きだせば、ザックスの傷口をみるみる内に塞ぐ。


 「よし、もう大丈夫だから。そのままじっとしていれば――」


 「――旦那っ。よく聞いてくだせえ……子供達を助けた後の旦那は人が変わったように暴れ出しました。ですが……旦那は誰も傷つけてはいません! 旦那は、ずっと自我を奪われながらも涙を流していました……。安心してくだせえ……子供達は……みんな、守り切り――」


 「――少々、耳障りだ」


 ローブの男の一言により、絞り出すように喋っていたザックスの首から上が消えた。

 

 「ま……ぼろし……?」


 「馬鹿を言え、そのような醜い亡骸など私の幻で作るはずがなかろう。全て本物だ、その目障りな男は確かに死んだ」


 血がばしゃばしゃと首根っこの辺りから噴出し、小刻みに痙攣するザックスの姿に涙が込み上げてくる。

 ようやく善人になろうと生き抗おうとしていた男の結末が、これだなんてあんまりだ。ザックスは望んでいた、生きることを、幸福を。

 俺にはどうすることもできなかったのか、教えてくれ、ザックス。俺は、お前にどうしてやれば良かったんだ。


 「ザックスッ――!!!」


 貧相な男の体を支えたまま、視界を埋め尽くすほどの涙を流す。

 無情にもローブの男は、そんな俺を鼻で笑う。


 「幻術など使わずとも、普通にお前を殺せば良かった。この程度の男なら、無駄に手を汚すこともなかったな」


 ザックスから顔を上げると、ローブの男の周囲にはずらりと兵士達が並び、その手に剣を構えていた。

 ローブの男は、右手を振り上げると、その手の中に光る物を見つけた。強い魔力を感じる――鎖鎌だ。


 「それで……ザックスを殺したのか……」


 「幻も得意とするが、幻術は一度破られてしまえば、しばらくは対象にかけることはできないのでな。……仕方なく武器も使って戦う必要が出る、魔導具――サリエサイス。こいつに刈られた者は魔力によって歪んだ空間にすり潰されて消滅する」


 「お前は、許さない。……ここにいる兵士も全てだ」


 「悪いが、その望みは叶わないだろう。さらばだ、愚かすぎるルキフィアロードの契約者よ」


 ローブの男が右腕を掲げ、構えたサリエサイスをだらりと垂らした。これが、奴の攻撃姿勢なのだろう。

 覚悟を決めて戦うしかないと考えた俺の視界に、蝶の羽ばたきのような小さな魔力の残滓を感じた。

 誘われるように魔力の残滓の行方を探せば、それは息絶えようとしているザックスの肉体から発せられている。


 ――このままでは、終わりたくねえんですよ。


 確かに声が聞こえた。


 「ザックス……お前……」


 俺の意識が逸れる瞬間を狙ったのだろう、ザックスの肉体に視線を移した俺へとローブの男はサリエサイスを一投した。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る