第2章 喰らう者の代償

第19話 再度、救済を

 寝ていた。

 そう認識してしまうほどに、長いこと眠りについていた。

 連続して夢を見るようなことはない、ただ漆黒の闇の中に漂っていた。

 方向感覚もなく、時間の経過に比例して肉体の質量を失っていくように。

 このままでいい、このまま静かに終わらせてほしい。何故、こんな闇の中に居るかも思い出せないまま、縋るように願った。

 ふと、闇の中に波紋を打つように声が響いた。

 青年の声だ。


 ――まだ、お前にはやることがあるだろ。……俺達が見守っているぞ。


 その声に体は震え、心音が早くなる。

 次は少女の声だ。


 ――起きてください、私達の旅はまだ終わっていませんよ。


 ゆりかごに眠った赤ん坊に優しく語り掛けるような声だった。

 心は平静を取り戻すと同時に、忘れかけていた使命感に気付かされる。

 こんな弱りきった自分にどのような使命があったのだろうか、分からない、分からない、分からない。

 それでも、優しくも儚げな二人の声は――俺に”起きろ”と告げた。


                 ※


 覚醒すると同時に視界に入ってきたのは、机の角で自信なさげに揺れる蝋燭の火だった。


 「あ、起きましたか?」


 長い金髪がふわっと軽やかに揺れた。長髪の先に、柔和な笑みを浮かべた少女が居た。


 「アメリア……!?」


 「え、あ……すいません、私はアメリアさんではございません」


 「す、すまない……!」


 身動きできなかったことを除けば、この世界に来た時にアメリアとのやり取りと同じだ。

 一旦、少女から目を逸らし、天井を見上げるとくすんだ屋根が目に入る。天井の板目でも眺めていると、次第に気持ちが落ち着いてくる。


 目線を少女の方へと移せば、変わらずこちらへ微笑んでいてくれていた。邪気の無い微笑に、粉々に散ったパズルのピースのような精神は手元に戻ってきたような気持ちだ。しかし、ピースが揃うには時間がかかることだろう。

 年齢は俺とほぼ変わらないぐらいの少女の前髪は眉毛の上の額の辺りで切り揃えられており、頭に被ったベールの下からは輝くような金髪が見えていた。


 何故、ベールを被っているかというと、彼女が修道女、つまりシスターの格好をしていたからだ。黒と白の色合いに、胸元には見たことのない首飾りが下がっていた。

 前に居た世界ではシスターといえば十字架をぶら下げているイメージだったが、この子が下げているのは、十字の形をベースに先端が湾曲し、地面側の部分は刃物の先端のように逆三角形になっていた。


 「少し気が動転していた。……ここは、どこなんだ?」


 「ここは、教会を兼ねた孤児院なんです。お気づきでしょうが、私はここの修道女なんですよ」


 「そうか……。俺は、どうして……」


 「ああっ、まだ動いちゃダメですよ! 海岸で倒れていて、凄い大怪我していたんですからっ」


 「海岸? ……まさか、泳いで助けたか?」


 「泳いで……? いえいえ、流れ着いたのをお助けしました」


 意味不明な発言に、首を傾げるシスター。分からなくて当然だろう、このシスターはアメリアに似ていてもアメリアではない。だって、アメリアは俺の中に居るのだから。

 俺の内側で生きているであろうアメリアとライナスに語りかけるようにして、胸元に右手を置いてみると、確かに動かした手も置いた胸の上も痺れるような痛みが走る。


 「私の名前は、メリッサ。よろしくお願いします。……こう見えても、少しぐらいなら治癒魔法も使えます。ですが、すぐに傷を癒すことは難しいので、ゆっくりと治していきましょうね」


 「俺の名前は、タスク。……修道女じゃなくて、医者にでもなった方が似合っていそうだ」


 「ふふ、私なんて学もないのでお医者様なんて夢の話ですね。でも、初歩の魔法しか使えない私にそんなこと言ってもらえて、凄く嬉しいです」


 また来ます、と野に咲く花のような笑みを残してメリッサは退室していった。

 一人になり、天井の木目を見つめなおす。

 目覚めてすぐは混乱したが、今は記憶ははっきりとしていた。


 ヒメカと戦い、瀕死の重傷を負った俺はアメリアとライナスの命を喰らう形でルキフィアロードの魔導書を発動させ、同等の力を持つヒメカと相打ちになったんだ。

 思い出し、胸の奥が締め付けられるような痛みを感じる。肉体に異常があるのは無論だが、この痛みはきっと心臓よりも奥の方からくるものだろう。


 冷静になった時、ヒメカを殺したという現実、アメリアとライナスが死んでしまったという結果に抑えていたものが込み上げてくる。

 メリッサの足音が遠ざかるのをじっと待ってから、忘れていた感情を呼び戻すように泣いた。


                 ※


 それから間もなくして、メリッサは芋らしき物が煮込んであるスープを運んできた。

 最初は食事という行為にスプーンに手が伸びないでいたが、メリッサに強く勧められて一口だけ飲み込んでしまえば、後は流し込むようにして完食してしまった。

 空腹の胃袋に温かいスープを流し込んだことにより、冷えた体が湯舟に沈んだ時に似た全身に血液が循環していくような感覚に満たされる。


 食器を空にした俺の姿に満足したメリッサは、食器を下げてから、ゆっくりと絵本の読み聞かせをする母親のように自分のことを喋り出した。


 「この孤児院には、私以外にもお母さんぐらいの年齢のシスターとお父さんのような神父さんが居ます。もちろん、孤児院なので子供達も人間の子も魔族の子も含めて十二人は生活していますね」


 「魔族? ……実は記憶が混乱していて、聞き覚えがないんだ」


 「それは大変です! お医者様をお呼びしなければ……!」


 口に手を当ててどこかへ行こうとするメリッサの名前を慌てて呼ぶ。


 「メリッサ! 一時的なことだと思うし、医者は呼ばなくていいから……その魔族のことだけ聞かせてもらってもいいかな?」


 不安そうにこちらを見返してくるメリッサからはびっくりするぐらい人の良さが滲み出ている。そんな彼女を騙すのは胸が痛いが、異世界から来て何の知識も知らないなんて余計な混乱を生む可能性だってある。

 とりあえずは、俺の気持ちを汲んでくれるようなので、渋々とベッドの隣の椅子に腰かけた。


 「もしもきつくなったら、すぐに言うのですよ? いいですね?」


 「分かったから、魔族の話を聞かせてくれ。もしかしたら、聞いていく内に思い出すかもしれない」


 子供に注意をするように人差し指を伸ばすメリッサに、子供に戻ったような気持ちになってしまう。


 「魔族は人間とは真逆の種族の事です。人間が精霊の加護を失うこととは反対に、彼らは全ての精霊の加護を使うことができます。強すぎる魔力は肉体にも影響を与え、肌の色が変わったり角が生えたり耳が伸びたりと人とは違う外見になっています。強い魔力を活用して、彼ら独自の文明も発展しているそうです」


 「へえ、そんな種族が……」


 「ええ、しかし、外見や強すぎる力のせいで何かと差別の対象にされたりすることも多いのが現実です。一説には、魔族はそもそも普通の人間で精霊に強い信仰心を持っていた者達が進化した姿とすら言われているほどなので、本来なら彼らは他の誰よりも敬われても良いはずなのですが……」


 表情を暗くするメリッサの脳裏には、この孤児院で生活している魔族の子供の顔が浮かんでいるのだろう。

 理由は様々にせよ、親と離れて生活しているということは住めなくなった事情がある。詳しく聞いても、楽しい話ではないことは明白だ。

 メリッサの表情をさらに暗くさせるだろうことを承知で、さらに説明を促した。


 「そんな魔族の子供が、どうしてここの孤児院で生活をしているんだ? さっきの口ぶりだと魔族の子供の方が割合的に少ないような言い方をしていたが」

 

 「そもそもここが魔族達の生活圏に近く、少数ですが魔族の方達に知り合いがいます。くだらない差別なんてしなければ、魔族の方達だって普通の一人の人間なのです。申し訳ございません、話が逸れましたが預かっている子供達については……最近増えたんです。……近頃は、魔族と人間の争いも増えていて、巻き込まれて親を亡くす子達をうちで面倒みたりしているので……」


 「どうして、そんなことが……」


 「詳しいことは普通に生活している私達には分かりませんが、大勢の兵士達が魔族の生活圏に入って行くのを目撃したと行商人の方がおっしゃっていました」


 人魚族と人間の争いの次は、魔族と人間か……。俺が考えている以上に、この世界は多くの問題を抱えているのかもしれない。だがしかし、俺はヒーローではないし勇者でもない。何も知らないこの世界のことは、部外者である俺にはどうすることもできないのだ。


 「すまないな、大変な時に俺みたいな厄介な奴……。しばらく休ませてもらったら、すぐに出て行くことにする」


 「すぐに……て……。記憶もないのに、そんな体でどこに行くというのですかっ?」


 「どこに……どこだろうな……」


 はは、と乾いた笑い声が漏れる。

 行くところなんてどこにもない、帰る場所もない、作れそうだった居場所も失ってしまった。何より、ヒメカへの復讐だってもう終わってしまったんだ。


 「もし、もしも……行く当てが無いなら、ここで私達と暮らしませんか?」


 耳を疑いメリッサの顔を見たが、真剣そのものでとてもその場限りで言っているだけには思えなかった。


 「馬鹿を言うな、さっきも言ったが自分達でも大変な時に出所も分からないような俺みたいな厄介者の世話なんてするな。それに、さっきのスープだって本来はもっと色々具材が入っているものなんだろ? 安全を守るのも大変で金銭的にも余裕がない、それなのに居候を養わせるつもりか?」


 行き場もなく目的もない俺からしたらかなり魅力的な提案だが、助けてもらって酷い言い方をしていると我ながら思うが、こうでも言わないと逆にこちらが折れてしまいそうになる。しかし、メリッサも我が強いタイプのようで胸の上で拳をぎゅっと握り反論する。


 「世話したり養うつもりはありません! ここには男手が足りませんので、必要だからこそお願いしているのです! 私達を助ける見返りとして、貴方にはここに住んでいただくだけです!」


 「いやそれが……」


 「病人は安静にしてください! やあ!」


 唐突に傷口にメリッサの右ストレートが突き刺さる。


 「――ぐぁ!?」


 「ご覧なさい、私のようなか弱い力でも背中を曲げてしまうぐらい激痛が走るタスクさんを放っておくことはできません!」


 肌を貫通して内臓まで到達したんじゃないかと勘違いしてしまいそうなぐらいの激痛に悶絶しつつ、ひーひー言いながら応答する。


 「くっ……ぶっちゃけやがったな……」


 「タスクさんは私に命を助けられたが行き場もないまま、ふらふらと出て行こうとしている。馬鹿げているでしょう? 死ぬつもりなのですか?」


 「し……死ぬつもりはない……」


 自殺なんてできない、こうやって生きていられるのはアメリアとライナスのお陰なのだから。


 「目的も旅立つ理由も無いなら、どうせ拾った命なんです。男手が足りないと腰を痛めながら畑仕事をする私達の為に力をお貸しください。タスク様の生きる目的と理由に私が――」


 「――メリッサが? 俺の生きる理由?」


 不用意に発言した俺の言葉を聞き、凄い剣幕で話をしていたメリッサの顔がたちまち真っ赤になる。

 大きく咳払いをしたメリッサの耳はまだ赤いままだ。


 「――私達、孤児院が貴方の生きる目的であり居場所になります! 以上です!」


 言いたいだけ言って大きな足音を立てながら出て行こうとするメリッサに声をかけた。

 メリッサ、と呼べば、まだ何か言いたいのかといった眼差しでこちらを睨む。


 「いいのか、俺みたいなよく分からない奴をここに置いて……」


 不機嫌そうだったメリッサの顔は、くしゃりと崩れて優しい微笑みに変わる。


 「いいんですよ、今話をしていてタスク様が悪い人じゃないことは分かりました。私、こういうのは鋭いのですよ? ……それに、あの子がタスク様を大丈夫だと言ったので大丈夫ですよ」


 「あの子?」


 「それはまたの機会にお話ししますね。今は、ゆっくりとお休みください」


 質問に答えることなくメリッサは軽く会釈をして扉の外に消えていった。

 病み上がりにちょっとした口喧嘩をしてしまったことで疲れたのか、急な睡魔に襲われる。

 確かにメリッサの言う通り、傷を癒さなければどうしようもない。睡魔に抵抗することもなく、心地よい気持ちのままで眠りの底に落ちていった。

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