第15話 絆を喰らう魔道書ルキフィアロード

 運命の悪戯? いいや、きっとそんな可愛い物ではない。こんな再会なんて、悪魔の采配とでも呼んだ方が、ピッタリと来るだろう。

 見間違いなんてする訳がない、夜明け前の空を突き破る高く昇っていく炎の真下で、よく知っている少女の体が大地を舞っている。


 炎はアメリアの呼び起こした海水の大蛇を粉砕し、ライナスの魔法の雨を魔法陣ごと貫き、すぐ側に居たマハガドさんの大きな体を吹き飛ばした。

 体の四肢を串刺しにされたような抉るような痛みに、まだ体が動かず目線だけで周囲を確認するが、今まで戦闘していた追手達も悲惨なものだった。辛うじて無事で逃げ出そうとする者に対して、突如出現した炎の柱から燃え盛る人間の手が出現し鷲掴みすれば握り潰れて焼失した。

 炎の柱から伸びる手は、あらゆる方向に伸ばされている所を見ると、どうやら誰一人とも逃がすつもりはないらしい。


 この状況では、誰も生きているとは思えなかった。果てしない、煉獄が視界の中で陳腐なパニック映画のように繰り広げられていた。

 相変わらず視界の中で、姫叶は下手なダンスを踊っている。妹は一度もダンスなんて習ったことはないし、兄妹揃ってインドアな趣味しかない。そんな子が、裸足であの日の悲劇を起こしたままの制服姿で飛んで跳ねてポーズをしている。


 「姫叶……これは……全部……お前がしたことなのか……」


 声は掠れて、炎をバックに楽し気にする姫叶の耳には届いていない。

 両親を失った時から、自分は何も変わっていないのか。あの時と全く同じ問いかけをしながら、結局は凄惨な光景にただただ立ちすくんでいる。

 どうして姫叶がここに居るのかという誰もが抱く疑問を思い浮かべる前に、ただただ己の無力さに涙がこみ上げてくる。


 また妹が大勢の人達を殺している、アメリア、ライナス、マハガドさん……みんな妹が殺してしまった。

 もし、ここで姫叶と止められるなら、俺はもう何もいらない。全てを差し出してもいい。この世界に精霊と呼ばれる不確かで絶対的な存在が居るというなら、異世界からやってきた迷惑な殺戮者を止める力を貸してくれ。


 「全てを差し出してもいい……救ってくれる精霊が居るなら……力を……」


 「――それは……本当か……」


 はっとして閉じかけた瞼を開いて視線のした先を見つめれば、血まみれで地面に這いつくばるライナスとアメリアの姿があった。

 二人が生きていたことが何より嬉しく、残された力で瓦礫をどかして転がるように声をかけてくれたライナスの元へ向かう。


 「良かった……本当に……生き……て……え?」


 堪えきれずに二人を抱きしめようと両手を伸ばしライナスとうつ伏せのままのアメリア二人の体を左右の手で触れる。そこで気付いてしまう、ライナスとアメリアの体温の差に。

 氷を触ったようなアメリアの冷たさに、真っ白になっていく思考のままライナスの顔を見た。


 「……俺が発見した時には、もう……」


 アメリアに触れた俺の指先にはねっとりとした赤黒い血痕が付着する。


 「ぁ……あああぁぁぁ……」


 大きな声を出すこともできず、みっともなく泣いた。その瞬間、全てが終わったような気がした。

 少なからず自分にも幸福なら未来が待っているのではないかと夢想した。あの幻想は、なんて儚いものだったのだろうかと堰を切ったように涙が溢れ出る。


 信じることの尊さを思い出させてくれた、俺に笑顔をくれた、短い間でも夢を語る意味を教えてくれた、忘れかけていた感情を思い出させてくれた心優しい女の子だった。それなのにまた――また、姫叶は奪った。


 「ライナス……ごめん……。アメリアの命を奪ったのは……俺の妹だ……妹なんだ……」


 躊躇なく氷塊のような体温のアメリアの体を抱きしめる。


 「顔は見ないでやってほしい。……アメリアはそれを望まない」


 どんな状態だろうとアメリアを突き放すつもりはなかったが、彼女がそれを望むというなら顔を見ることなく胸の中に受け止める。


 「俺のせいだ! ……全部、俺のせいなんだっ」


 あの炎に一瞬にして塵になれば、もうこんな苦しい思いはしなくてもいい。脳裏にそんな想像が横切るが、馬鹿げた発想を停止する。


 「しっかりしろ、タスクッ」


 ふらついた体のライナスは全身を傾けて、俺の頬を殴りつけた。

 最初は妹を奪った仇の兄だから殴られたのかと考えたが、真っすぐな瞳のライナスがとても憎しみだけで拳を出したとは思えなかった。


 仰向けに倒れた俺の上にライナスも膝から力を失うように馬乗りになると、今一度顔面を殴打した。

 痛みは無い、痛覚すら悲しみは奪っていた。


 「俺の目を見ろ、タスク。もしお前が本気で責任を感じているというなら、ここで死ぬのは単なる甘えだ。お前はまだ最後まで生き切っていない。死ぬまで生き恥を晒さす必要がある」


 「ライナス……あんた……」


 馬乗りになったことで初めて分かったが、ライナスの腹部は真っ赤に染まり、その血はズボンにまで浸透している。さらには、俺の位置からはどうして生きているのか不思議なぐらいぱっくりと裂かれてるのが見て取れた。


 「俺だって、もう長くはない……。魔法で一時的に傷の進行を遅らせているが、こうやって話しているだけでも、奇跡的なんだぜ……。最期の願いをお前に託そうとしているんだ、しっかりと話を聞いてほしい。……お前が持っていた魔法陣の書いてある布切れ持っているな、それを出せ」


 よく見れば深く大きな呼吸を繰り返すライナスの命が消えかかっているのは、すぐに気づくことができた。

 言われた通りに例の布切れを取り出せば、ライナスはそれをひったくるようにして俺の腹の上に広げた。


 「情けない顔をするな、お前には自分の妹を倒してもらわなければならないんだ。今はまだこの程度の虐殺で済んでいるかもしれないが、これから先にもっと大勢を手に掛けることになるはずだ」


 「何か知ってるのか……」


 「何も知らない、お前の妹だということも今初めて知った。……俺が知っているのは、お前の妹の持つ力とお前が持つ妹に唯一対抗できる力のことだ」


 「まさか、コレが……」


 視線の先には、強力な力があるなんて想像もできない一枚の血まみれの布切れが置かれている。そこに、ライナスは右手を重ねる。


 「ルキフィアロード。……この布切れは、世界で唯一の書物の形をしていない魔導書だ。ルキフィアロードは生者の命を奪い、それを己の力に変える。ただ奪うだけではない、契約する際に自分にとって強い絆で結ばれている者達を殺さなければいけないんだ。禁忌中の禁忌の魔道書を、どういう経緯で入手したかは知らないが、そんな禁忌の力をお前の妹も使っているのだろう。そうでもなければ、ここまで強大な魔法をいきなり使うなんて説明できない……」


 ルキフィアロードと呼んだ布切れをまじまじと眺める。だから、ライナスはコレを下手に見せるなと指摘したのか。仲が深まれれば、自分達が契約者の餌になってしまう可能性だってある。だから、姫叶は魔導書と契約をする為に、両親を殺害したのか。

 謎が解明されると同時に、ルキフィアロードの出所は、姫叶はいつそれを手にした? などと次の疑問が浮かんでくるが、今はそれどころではないと強引に思考から切り離す。

 

 「だけど、それなら姫叶には……いや、何でもない……」


 ふっとライナスが笑うが、次に息を吐く時に血が混じった咳をした。


 「言いたいことは分かるさ。奴は既に大勢の人魚族を殺した。なら、勝ち目が無いと言いたいのだろ? ……お前の妹も狂っているが、瞬時に命を数で考えた時点でタスクも狂人の一種と呼べるな」 


 「ごめん」


 「あーくそ、魔力が抜けて力が……時間がない……。二度は言えないから、よく聞いてくれ。……奴がどれだけ大喰らいでも満たされることはない。……ルキフィアロードは、互いの絆や関係に比例して手に入る力に影響を与える。……ここまで言えば分かるだろ、俺たちの命を奪え、使え」


 「俺に……二人の命を喰らえと言うのか? その理屈で言うなら、アイリスはもう……。それに俺はそんな人を食うような真似したくはないっ」


 呆れたように薄く笑うライナス。事実、呆れているのかもしれない、半端な覚悟だと。


 「アメリアの体内にはまだ魔力の流れを感じる。心も肉体も死んではいるが、まだ魂は活きている。魂が残っているなら、まだアメリアは死んではいないさ」


 それに、とライナスは唇の端から血を吐きながら言葉を続けた。


 「俺達、兄妹とお前はもう家族も同然の絆を持つ。俺達を喰らえば、お前はきっと魔導書の力を使えるはずだ」


 「俺に……家族を殺せと言うのか……! もう、家族には死んでほしくないんだ!」


 「泣くな、兄弟。奴のように命を喰らう化け物になるな、お前は絆を喰らうんだ。しかし……お前はそれでいい……。この先は人の境界を超えた道になるが、泣きながら進んでいくんだ。そうすれば、きっと……お前なら、きっと……」


 嫌だ、そう駄々っ子のように叫んで拒絶したつもりだったが、言うことはできなかった。

 体の自由が利かないと気づいた。――ライナスが、俺に魔法を掛けて ルキフィアロードと契約をさせようとしている。

 気持ちの中で必死に抵抗を心がけてみるが、意思が肉体へ信号を送らない。それほどまでに、ライナスが死の間際に使う魔法は強力なのだ。

 内心での葛藤なんて全くないかのように、俺の右手は腹部の魔法陣に置かれる。


 「黄昏の底よりも、昏く、凍てつくような悠久の棺の中、久遠の果てに待つのは絢爛たる祝福の王座」


 口が勝手に動き出す。ライナスに操られるままにルキフィアロードと契約を交わそうとしている。

 仰向けのままのライナスの方を窺えば、既に瞳からは光は消え、虚無を映していた。


 アメリアが肉体と精神を失っても魔力だけは残っているとライナスは言っていたが、おそらくライナスもアメリアと同じ状態なのだろう。

 ライナスは残された力で、最愛の妹を抱きしめることもなく、残された両親への言伝を頼む訳でもなく、俺を生かす為に最後の力を振り絞ろうとしている。

 短い間でも分かる、ライナスはそういう奴だ。例え自分が非難を受けようとも、先の未来で生きる者達の為に命を燃やすことのできる男なんだ。


 (だから、これは――未来の為に必要な行為)


 その時には、ライナスの魔法に身を委ねていた。

 アメリアを想う、ライナスを想う、マハガドさんを想う、当たり前の関係性が絆こそが強くなる方法なんだ。

 苦しくても辛くても、大切な仲間達に思いを募らせた。


 「我は魔道にして、唯一にして全なる魔力の脈動。亡者と契り、生者と結ばん。――ルキフィアロード! 万物の精霊よ、我と契約せよ!」


 腹に乗せられたルキフィアロードから身を貫くような光が伸びると全身を貫通した。そのまま、背中から伸びる光は無数の束となり、肉体を包み込み、体内に浸透する。

 空っぽだった肉体にエンジンを取り付けられたように、肉体に息吹を感じる。

 本当なら知るはずのなかった大量の魔法の知識が頭を埋め尽くす。なるほど、これがライナスとアメリアの知識。

 そして、これが生者を喰らう――ルキフィアロード。


 「この俺に、力を貸してくれ。異世界の……兄妹達よ」


 呼びかけに応じるように、契約の光は一際は大きく発光したかと思えば、触れていた布切れからは歪な魔法陣は消えていた。

 違和感を感じ、服をめくってみれば、自分の腹にはあの不気味な魔法陣が刻まれて煌々と輝いていた。

 倒れこんでくるライナスの体を支え、アメリアの隣にそっと寝かせれば、二人の手を二度と離れないように繋がせる。


 「いってきます、大切な家族達よ」


 ルキフィアロードとの契約の光に、間違いなく姫叶は気付いている。

 俺が行けばどんな顔をするだろうかと少しだけ考えたが、もうこれ以上の思考は止めることにした。

 例え、姫叶にどんな理由があろうとも迷わない。姫叶を――殺す。

 待ち構えているであろう姫叶の元へ、全力で駆けだした――。

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