第1章 絶望が希望だと君は語る

第1話 人魚族アイリスとの出会い

 万華鏡を覗き込むのが好きだった。

 カランカランと音を立てて、自分の手の動きで世界は彩を色を形を変える。

 自分次第で世界は変わるのだと万華鏡から学んだ。何の変哲もない、一人の人間の大したことのない行動でも世界は変容してしまう。


 覗き込むだけじゃなく、そこに触れてしまえば、簡単に世界は変わってしまうのだろう。

 美しい世界を求めれば色鮮やかに輝き、憎悪のままに世界を求めてしまえば色も輝きも失ってしまう。


 なあ。

 そんな色の無い世界で生きていくのは、そんなに楽しいのか。


 色の無い世界で、鮮やかさを求めるだけの少女の夢を見た――。



                ※


 「――げほっ! ごほっ!」


 口から大量の海水を吐き出しながら、目が覚めた。

 海水?

 何度か咳き込めば、動悸が静かになっていきながら自分の身体の状況が少しずつ理解できてくる。

 どうやら海水をいっぱいに飲んだらしく、胃袋がやたらと重たい理由は判明した。


 「あぁ……」


 高い声が聞こえてはっと顔を上げつつ反射的に名前を呼ぶ。


 「姫叶っ!?」


 しかし、そこにはライトブルーの髪色をした半裸の少女が不思議そうにこちらを見ているだけだった。

 年齢は姫叶よりも若干年上だろうか、ただ澄み切った海を連想させる綺麗な瞳に目を奪われる。しばらく見つめ合っていれば、少女の目が潤んでいることに気付けた。


 「えとぉ……そのぉ……あまりまじまじと見られていると恥ずかしいです……」


 「あ……ああ、ごめん!」


 女性が恥ずかしがるのも無理はない。こちらは相手の顔を見つめているつもりでも、あちらからしてみればほぼ裸の格好を初対面の人間に見られているようなものだ。

 慌てて背中を向ければ、一瞬、視界の中に本来はあるはずの無い物が見えた気がした。


 ほぼ半裸、なんて自分でもおかしなことを考えてしまったと思う。恐らく、今チラっと見えたものこそ、俺がほぼ半裸なんて思ってしまった原因なのだ。

 自分が居る場所を確認する。

 真っ白い砂地に満ちては引いてを繰り返す海、髪の毛からはパラパラと砂が零れ、指先にごつごつと触れるのは貝殻。どうやら、どこかの砂浜に居るらしい。

 はて、ここはどこなんだ。なんて間抜けな発想は出てこない。


 ここは異世界で、その異世界のどこかの海岸で、俺は――両親を惨殺した妹を追いかけてここまできたのだ。


 「……もう、いいですよ」


 言われた通りに元の方向へ向きなおれば、目立つ顔とは反対に地味なベージュのワンピースに何かの動物の毛皮と思われる上着を羽織った格好をしていた。


 「さっきは、悪かった。綺麗な顔をしていたから、つい……」


 「なっー―ほっ――へぇ――?」


 湯気でも出そうなぐらい瞬く間に顔を赤くする女は、まるでやかんを想像させる。口をパクパクとさせながら、足をぷるぷると震わせれば前方に倒れこむ。


 「危ない」


 すかさず倒れこむ女を支える。


 「ほ、抱擁なんてぇぇ……! わ、私、人魚なんですよ! に、人間は人魚はお嫌でしょ!? 本気なんですか!? で、でも、愛の言葉を囁き、ましてや、だ、だきぃ……ふわわぁん」


 人魚、という言葉に、さっきの自分の彼女の抱いた違和感が解消される。

 先程、目を逸らす時に偶然見かけた”魚の尾びれ”のような物のは、やはり”彼女の足”だったのか。何らかの方法で人魚の彼女は、人間の足に変身しているのだろう。


 顔を赤くした女の震えていた両足は光の粒子を吐き出すとみるみる内に輪郭を太く変化していく。


 「ああ! ああ! ああああ! 私の足が、戻っちゃうぅ!」


 必死にスカートの裾を伸ばして足を隠そうとするのも意味はなく、女の足は魚の尾びれに完全に形を変えた。

 異世界に来たという認識はあったものの、本物の人魚を目にするとで異世界に来た実感を得られた。全く違う世界のはずなのに、会話が通じるのは意外だが。


 「……そうか、やっぱり人魚だったのか」


 「そうです! そうですよ! 最初に見ていなかったんですか!? おバカ、おバカさんです! うぅ……変なことを言うから、魔法が保てなくなったんですよぉ……しくしく」


 「泣くなよ、原因は俺にあるんだよな。妙なことを言って、動揺させてしまったのは本当に悪いと思ってる。だが、正直に言っただけの話で……どうした?」


 バランスを崩して腕の中で上目遣いで見つめる女が言い辛そうに喋る。


 「気持ち悪く……ないんですか?」


 「はあ? なんでだ?」


 「人間は人魚族を気持ち悪いていう人もたくさんいます。人の体なのに足は魚で……気持ち悪いって……」


 一つ、元の世界とこちらの世界での認識の違いを発見した。

 元の世界では金を払ってでも人魚の真似をする女達が居たが、こちらの世界では差別の対象らしいということだ。

 嘘をつくことが苦手だ、回りくどいフォローは得意じゃない。

 

 「何を言ってんだ。俺はお前の顔にも見惚れたし、太陽の光を浴びてキラキラ輝く魚の足だってある種の美術品のようだ。正直言うが、美しいという言葉しか思い浮かばなかったよ」


 「そそそそ、そこまでわたっ、私を――ふわわぁん……」


 白い肌が熟したトマトのように赤く染まった人魚の女は、そのままなだれ込むように気を失った。


 「おい、どうした。こっちはいろいろ聞きたいことがあるんだ、起きてくれよ。まだ寝るには早い時間のはずだろ? それとも、こっちではこんな昼間から寝るのが普通なのか? おーい」


 「し、しばらく、お待ちくださいませぇ~。海辺に転がしていただければ、元気になりますのでぇ~」


 普通に人魚と会話しているのもおかしな話だが、このことよりもショッキングな体験をしているせいで、自分でも驚く程冷静に今の状況を受け入れていた。


 失ったはずの右手は当たり前のように動き、前の世界での出来事なんて無かったかのようだ。仮説としては、この世界に来る際に何らかの影響を受けて右腕が再生、もしくは、新たに生成したのか……。この世界に来た際に、新たに作られた右腕を取り込んだことで、言語を理解できるようになったのなら一応は説明はつく。いずれにしても、右腕が復活したからといって、当たり前の日常は戻ってくることはない。


 ふと自分の左手が何かを強く握りしめていることに気付けば、それを持ち上げて広げてみる。


 「これは……」


 魔法陣の描かれた布切れ。前の世界から飛ばされる直前にから持ち込んだものだ。

 円の中には竜らしき怪物が枠内をぐるりと覆うように書かれ、竜の中にはいくつもの十字架にも見える×印が書かれている。ずっと見ていると、先程惨劇を思い出し気が触れそうになってくる。


 すぐにアメリアが砂浜でのたうち回っている間に、魔法陣の布切れを折りたたんで学生服の胸ポケットに直す。

 禍々しい魔法陣の書かれた布切れだが、これは現場で拾った姫叶への手がかりにもなるはずだ。

 幸運を引き寄せるか不運を呼び集めるか、自分では理解のできない布切れだとしても、姫叶と俺の運命を導く重要な鍵になるのだと奇妙な直感があった。


                ※


 目を回した人魚女を海辺に転がして、五分ほど経過しただろうか――。


 巨人が手を広げたように大きな枝葉の木の下が日陰になっていたのでそこで休んでいると、すっかり元気を取り戻したらしい人魚女が人間形態の二足歩行でこちらまで向かってくる。


 「すいません、お待たせしましたー」


 「元気になったなら、良かったよ。……この木、変わっているな」


 もたれかかって座っていた木を手で触れながら聞いてみる。


 「それ、ヒトデックの木ですよ? 葉っぱを使ってスープの出汁とかで使ったことありませんか? この辺の海沿いならどこにでも生えていると思うのですが……。もしかして、遠くからやって来た方ですか?」


 ヒトデック、と言われて頭上の枝歯を見上げれば、巨人の手というよりもヒトデに見えてくる。まさか別世界のヒトデは、木になるとは因果なものである。


 「ああ、遠くから来たんだ。お陰で、この辺のことは全く分からない。……と、その前に俺はどうしてこんなところで倒れていたのか知っているか?」


 予想していなかった質問をされたのか、言葉が理解できていない表情で俺の質問を聞いた人魚女は握手を求めて右手を伸ばした。

 今度は反対にきょとんとする俺に人魚女は微笑む。


 「自己紹介がまだでしたよね、私の名前はアメリア。強い魔力の波動と共に貴方が空から落ちてくる貴方を見かけ、溺れかけていたところを救った者の名前です」


 「だったら……恩は返さないといけないか?」


 「ええ、貴女のお名前でお返しください」


 アメリアの手を握ると、どう名乗っていいものか思案する。そして、答える。


 「俺はタスク。……ただのタスクさ」


 この世界で苗字は必要はない。だったら、俺は俺として家族の証を継ぐ。

 いらないのだ、苗字は。

 俺の中で終わってしまった元の世界の鎖など。


 「よろしくお願いします、タスク」


 「ああ、お前の世話になる奴の名前だから覚えといてくれよ、アメリア」


 憎しみの心を胸に抱き、俺は彼女と握手を交わした。

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