第5話 風呂掃除編〜クエン酸スプレー〜

ここまでのあらすじ。

掃除用具の買い出しついでに、少年たちとアイスをわけっこしました。

何だかえらく牧歌的な一幕だった。

そんなわけで我が家に戻ってきたわけであるが、鍵を使って中に入ったはずなのに、少女たちの姿は見えなかった。靴がなくなっていたので一目瞭然である。まさかアクロバティックに窓からの脱出を試みたわけではないだろうな。

慌ててリビングの方に向かうと、卓袱台の上に可愛らしい丸文字で『ご飯を買いに行ってきます』というメモが残されていた。確かにたからちゃんには晩御飯代という名目でお金を渡したような気がしないでもない。

彼女たちの脱出方法はひとまず脇に置いておいておこう。帰ってから本人達に聞くのが一番手っ取り早い。

改めて少年たちの待つ風呂場へ向かうと、彼らは脱衣所で何やらお着替え中である。着替え、とはいえ服を脱いでいる訳ではなく、何やら白いものに腕を通して

「ってそれ、割烹着じゃないか?」

お母さんか。

いや、今時のお母さん像はは割烹着姿ではないな。ならばおばあちゃんか。

もしかしたら僕のあずかり知らぬところで、空前の割烹着ブームでも到来しているんだろうか。若者向けのスタイリッシュ路線で。

とはいえ彼らが着用しているのは、オーソドックスかつスタンダードな割烹着のように見えるのだが。目を白黒させている僕に、何故か呆れ顔のともるくんが、

「掃除するのに割烹着は必須だぞ」

と宣ってくる。

そんな条件があってたまるか。

「割烹着じゃなくても、汚れても良い服に着替えた方が良いですよね。お兄さん、エプロンとか持ってないんですか?」

「持ってたら、良かったんだけどね」

本当のところ、この家にだってエプロンはあるのだ。ただそのエプロンを僕が身につけることができない理由も勿論存在するわけで。なのでここは少しばかり心苦しいが、知らぬ存ぜぬを通させて貰おう。

「この服が汚れても問題はないし、始めようか」

少年たちに一声掛けると、彼らは嬉しそうに頷きながら購入品のゴム手袋をつけた。

「はい、お兄さんもどうぞ」

「水回りの掃除をすると、手がめちゃくちゃ汚くなるからな!」

「うん、ありがとう」

のりとくん、ともるくんからゴム手袋を受け取りながら、改めて我が風呂場の惨状を確認する。

「これ、どこから手をつければ」

「そんなん、天井からに決まってるじゃん!」

僕の落胆に即答するともるくん。

「いいか、掃除は基本的に上から下に、だぞ」

小学校の時やった階段掃除と同じ理屈なのか。

「とりあえず、3話で撒いたカビ取り洗剤を洗い流すところから始めましょう」

のりとくん、君今躊躇いもなくメタいことを言ったような気がするんだけど。

シャワーヘッドを高めに掲げると、わだちくんが蛇口を捻ってくれる。

「洗い流すのに、コツとかないよね」

「ちゃんと洗剤が流れてれば大丈夫だぜ」

洗剤を流すだけでビクつくアラサーも如何なものかとは思うが、そんな僕に呆れることなくともるくんが笑顔で答えてくれる。

さっき言われた通り、高いところから順番に、天井、壁、床、とカビ取り洗剤を洗い流していく。天井のカビは、淵に溜まっているようなだけで、床と違って一面ビッシリ、みたいな最悪の事態にはなっていないのが有難い。

「黒さはマシになりましたね!お兄さん」

「本当だ。お風呂掃除って身構えていたけれど、案外簡単なのかも」

「黒くないってだけで水垢はまだまだビッシリだけどな!」

のりとくんの言葉に達成感を嚙みしめようとした矢先にこれだよ。絆創膏くんめっ!

しかし、こうも簡単に汚れがなくなると、気分が前向きになるとまでは行かなくても、幾分スッキリした気持ちになるのは確かだ。何せ洗剤を撒いて放置して洗い流しただけなのである。

「それじゃあ洗剤開けようぜ!」

ともるくんは元気に片手で重曹とクエン酸の袋を鷲掴んでいる。

「なら先にクエン酸スプレーを作りましょうか」

「クエン酸スプレー?」

のりとくんは買ってきたスプレーボトルを、ともるくんは洗剤をニコニコと機嫌良さそうに開封している。わだちくんはといえば、割烹着のポケットから計量スプーンを取り出して僕の方に手渡してくれた。

「クエン酸は粉状でももちろん使えますが、水に溶かしてスプレーするのも効果的で経済的、なんですよ」

やっぱりのりとくんは、経済的という言葉を主張し過ぎるきらいがあると僕は思う。

「クエン酸スプレーの作り方を俺が説明するぞ。簡単だから使う前にパパッと作ってくれよな。


1.スプレーボトルと粉状のクエン酸洗剤に水、出来れば計量スプーン、カップを用意する。

2.200mlの水にクエン酸小さじ一杯1杯を溶かす。これはあくまで目安だから、きっちり計量しなくても適当で大丈夫だぞ。

3.混ぜたらスプレーボトルに入れて完成だ!」

えらく見易い説明をありがとう、ともるくん。

「このスプレーボトルは400ml入るので、大体クエン酸小さじ2杯ってところですね」

のりとくんにせっつかれ、クエン酸の袋にスプーンを突っ込む。すりきりで1杯掬ったところで、横からぬっと水の張ったスプレーボトルを手渡された。気遣いの鬼、わだちくんである。

少年3人に囲まれてこんな理科の実験じみたことをしていると、童心にかえるというより罪悪感が疼いてくるのは、僕が大人としての矜持をまだ忘れていないからだと思いたい。

「それじゃあやっと!やっと掃除だな!」

スプレーボトルの蓋が締まると同時に、僕を見守ってくれていたともるくんが量の拳を天に突き出しながら伸び上がった。

ああ、カビ取り洗剤撒いて、買い出しに行って、掃除準備して、と慣れないことのオンパレードだったからか、もう体力は赤ランプが点滅を始めているんだけど。

「もうこれ明日からじゃダメかな」

「何言ってんだ!!掃除はいつ始めたって良いものなんだぞ!?」

あからさまにやる気のない僕の言葉に反応して、ともるくんが物凄いテンションでバッタバッタと飛び上がる。やめてくれ、ここは2階なんだぞ。

「ともるくんは掃除が大好きだから、ここでやめるとか言っちゃダメですよ、お兄さん」

のりとくんが苦笑いを浮かべながらそんなことを言うが、なるほど、掃除のことになると声を張りがちだったのは、そういうことか。

鼻の頭に絆創膏をくっつけている、如何にもヤンチャそうな少年が掃除が好きだなんて、世の中とは小説より奇なりと言われるわけだ。当のともるくんといえば、わだちくんから羽交い締めにされ動きを封じられているのにも関わらず、めげずに足をバタバタとさせている。見た目通りのヤンチャさを相応に発揮している最中である。

「それに、今日お風呂に入れるようにしておかないと、たからちゃんが物凄く怒ると思いますよ」

のりとくんのその一言に、僕は袖をたくし上げた。

「さて、さっさと掃除始めよっかな!」

女の子の怒りというのは、時に般若より恐ろしいということを僕は知っているのだ。

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くらしってムツカシイ! 昼間あくび @Akubi_

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