勇者が魔王だったころ

@musclemarriage

まおう lv.99 / くそがき lv.1

 魔王は激怒した。必ず、かの邪智暴虐の勇者を除かなければならぬと決意した。

 魔王にはTSジャンルがわからぬ。魔王は、魔族の頭である。人間を虐げ、世界の4割強を一生懸命支配し、愛竜ピッピ(全長2km)と遊んで暮して来た。けれども破滅フラグに対しては、人一倍に鈍感であった。


 魔王の体はとても大きい。人間の男の3倍はありそうな体躯を、どこもかしこもゴツゴツとして棘だらけの鎧ががっしりと包む。常時ボイチェンを使っているかのようなドスのきいたド低音の声に、血の臭いが染みついた大剣を引っ提げ、頭蓋骨の面をいついかなる時も外さずにいるその姿は、魔王以外の何のジョブにも就けそうにない。

 1000年に1人と言われる光の魔力を持った男児が、爺さん婆さんばかりの小さな村に産まれたという。ニュースを聞いたとき、魔王はちょっとうざいなと思ったものの、この屈強な王に赤ん坊が何をできるかと軍も差し向けずほったらかしにした。そんなことは露知らず、枯れ枝のような足腰をガクガクさせて、赤ん坊の生家の前で鍬や自宅の閂を構えていた心優しい年寄り達。しかし極限まで張り詰めた緊張感の中で三日三晩の肩透かしを食らい続けた結果、4日目には村長の足下でダンゴムシが丸まったのをきっかけに、連鎖して皆仲良くぶっ倒れたらしい。魔王はお年寄りが寝不足で体とか壊しても気にしない。ピッピが便秘だと気にする。

 そんな間抜けな出来事が、まさか世界の覇権を塗り替える契機になろうとは、一体誰が予想できただろう。


「今日こそその罪、命で償って貰うぞ!」


 十数年前に見逃した赤ん坊が見違えるほどに強い力を携え、厄介な仲間達を引き連れて居城へと乗り込んできた。

 小手調べに向かわせた下等兵達は剣の一薙ぎで吹き飛ばされ、隊長格の者達も洗練された上級魔法であしらわれる。勇者以外の面子は四天王が食い止めているようだが、やつらとでさえも実力はほぼ互角。蹂躙するばかりが常の人界への進軍とは異なり、まさに食うか食われるかといったところだろう。

 玉座にどっしりと腰を下ろしたまま、身じろぎ1つせず、ただ襲撃者を万全の状態で待ち受けていた魔王。対称的にあちこちに傷を作りながらも、凜とした表情の勇者がとうとう王の間の扉を開け放った。そこで漸く、沈黙を守っていた魔族の王は、頑強な鎧をガチャガチャと響かせながらゆっくりと立ち上がる。灯りを背にしてぬらりと伸びた巨大な影が、まだ子供と呼べる年頃の勇者の体をあっさりと覆い隠した。

 棘だらけの手甲で覆われた大きな掌が、禍々しい装飾を施された大剣の柄にかかる。最強の魔王が初めて戦闘態勢を見せたことに、場の空気は一気に張り詰めた。それでも少年は一歩も後ろへ引くことなく、敵を愚直に睨み据える。何故なら、彼を手助けしてくれた仲間がいるから。送り出してくれた母を、世界を救いたいから。あの日自分を守ってくれた、村の皆へ恩返しがしたいから!






 とかそういうモノローグが流れていそうなわけだが、そろそろピッピのウンコ掃除に行っても構わないだろうか。


「俺がお前を倒すという預言を詠まれた数ヶ月前の誕生日、村の皆はお前が攻めてくるんじゃないかと、危険を顧みずにまた三日三晩見張りをしてくれた。なのに……なのに!」


 強い眼差しでこちらを見上げていた子供の両目が、唐突に潤む。魔王が壁に掛かった時計をチラ見すると、いつものお掃除タイムまで結構時間が押していた。


「お前のせいで、4日目にお隣の爺ちゃんが関節をやったんだ! 斜向かいの斉藤さんなんか、骨を3本も折った!」


 あいつらまた寝落ちしたのかよ。年寄りの癖に夜更かしするからだよ。魔王はそんなことを呟いた。分針が1つ進む。


「うるさい! 大体、自分の死の預言をスルーするか普通?! お前もっと俺に興味持てよ! 勇者だぞ!」


 気持ちが悪いことを言うな。うちのピッピがマタニティブルーになってたんだ。最重要事項だ。


「くっ……もういい! 魔王の角はあらゆる病や怪我に効くという。お前を殺して、皆のためにその角持ち帰る!」


 魔王城を襲撃するよりカルシウム摂らせて安静にさせとけよ。


「仕方ないだろう! 爺ちゃん達は煮干しも牛乳もひじきも嫌いなんだ!」


 魔王の角も好きじゃないと思う。

 勇者よ、余の勝ちでも負けでも良いから巻きで頼む。うちのピッピは時間にうるさい女なんだ。マタニティブルーは脱したが今は子育てノイローゼで本当に情緒不安定なんだ。


「……何を言ってるんだ?」


 お前こそさっきから何を言ってるんだ? もういい。子供だからと少し大目に見てやっていたが、こんなものさっさと殺してピッピの元へ――……



「お前の飼っているドラゴンなら、城に入るとき1番最初に倒したけど。見てなかったのか?」




 ――烏合の衆と化した魔族を狩ることは容易く、人間達は奪われた土地を徐々に取り戻してゆく。世界には平和が訪れ、かつての魔王城は廃墟となって風化し、苔や蔓草、どこからか種の飛んできた小さな花々に覆われ始めた。近づくことこそできないものの、美しくすらあるその光景は観光名所の1つとなり、今でも見る者全てがその廃城に心を奪われる。絵描きは喜び勇んで筆を滑らせ、詩人は涙を流して瞼に焼き付く景色を唄った。


 おお、勇者、勇者よ! 若く、恐れを知らず、人情に富み、心優しく、逞しき勇者よ!


 王が、姫が、母が、友人が、乙女たちが、揃って頬を薔薇色に染め、生きて戻った勇敢な少年に手を叩き、言葉を尽くして褒めそやす。けれどどんな褒美をとらされても、美しい娘に武勇伝をせがまれても、謙虚な勇者はその功績をひけらかすことはしなかった。まるで、それを自分の手柄とは認められないとでも言うように。


 人民を長年苦しめ続けてきた魔王が死んだ。ショック死であった。



 魔王は激怒した。必ず、かの邪智暴虐の勇者を除かなければならぬと決意した。

 魔王にはTSジャンルがわからぬ。魔王は、魔族の頭である。人間を虐げ、世界の4割強を一生懸命支配し、故・愛竜ピッピ(全長2km)と遊んで暮して来た。けれども破滅フラグに対しては、人一倍に鈍感であった。


 光の勇者生誕をスルーし、勇者がなかまあつめを開始してもスルーし、アプデによりしろまどうしさんが追加されてもスルーし、勇者が伝説の剣を手に入れてもスルーし、かつて自分を倒す4歩手前くらいまで来た伝説の傭兵が勇者のパーティに加わってもスルーし、代わりに国政に関わる書類かピッピの抜け鱗のどちらかに埋もれて生活していた。仕方が無かった。愛と勇気だけが友達の勇者様ご一行とは違い、魔王は社会の歯車だった。

 何がいけなかったのだろう。勇者が旅立つよりも前、例の誕生日から数日後、家庭裁判所から送られてきた出向命令をこれまたスルーしたのが悪かったのか。何もしていない場合、一体何を弁明すればいいのだろう。逆に分からない。


 屈強な巨躯のどこかに残っていたなけなしの愛情を注いできた愛竜も、とうとう自分を置いて死んでしまった。いつもならば城の窓から悠々と飛行しているその姿がどこにも見当たらず――視線を下げれば外界と城を繋ぐ橋の上に、深紅の怪物がぐったりと横たわっているのが見え。勇者の言が偽りなどではないことを思い知る。

 怒りを覚えるよりも先に、深い悲しみでふらりと意識が遠のく。すぐ傍に命を狙う敵が居るのにも構わぬまま、視界を侵食する暗闇に自暴自棄ともいえる潔さで身を委ねた。




 ピー、チチチチチ。

 いつもより強く耳に響いてくる小鳥の囀り。ふとすぐ傍にある窓を覗けば、どうやら昨夜寝る前にカーテンを閉め忘れたようだった。睡眠の余韻に浸り、少しばかりゆらゆらしながら瞼を開け閉めしていたが、ふとあることに思い至ってカッと両眼を見開く。


「卵だ」


 今の吾輩は人間である。名前はもうある。太宰治で統一しろとかそういう苦情は受け付けていない。

 かつての自分の寝所とは比べるべくもない粗末な木製ベッドから飛び降りれば、ぎしぎしと不吉な音が鳴る。耳ざとく聞きつけた母親からの叱責が飛んできたが、構わず興奮しきった息づかいのままバタバタと居間へ駆け込んだ。


「卵だ」


 洗面所を通り過ぎれば、その鏡にはかつての自分とは似ても似つかぬ、人間族の子供の姿。おまけに簡素な服の下ではかつて有ったものが無く、無かったものが……まあ、これから生えてくることだろう。魔王は形の良いものが好みだ。

 枝切れのようにしか見えぬ頼りない肢体は、魔王でなくとも魔族であれば片手で握りつぶせてしまえそうなほどである。今はまだこれぞ幼児体型とでもいうようなぽっこりとした小さな腹から、しかしどうやって出したのかと問いたくなるような大声が飛び出した。


「――女ァ! 余はピッピの卵を取りにゆくぞ!!」

「産みの親に向かって何て口聞くんだいこの馬鹿娘!!」

「フガァ」


 台所から恐るべき速度で飛来したお玉が、素晴らしい正確さで小さな頭にクリティカルヒットした。間の抜けた悲鳴が口から漏れる。


「ったく……その変なごっこ遊び、もうやめなって何遍も言っただろう。まあ、アンタが卵獲りに行くと鶏が何でか皆ケツまくって逃げ出すから、確かに楽だけどね」

「鶏小屋ではない。魔王城の頂上に卵を隠したのを失念しておったわ」

「どういう設定?」


 ピッピの種の卵は、ドラゴンの中でも孵化するまで特に長い年月を要するものだ。前の自分の死期から逆算して、卵が無事であればそろそろ孵ってしまってもおかしくない時期である。あの愛らしい(全長2km)友の仔を飢え死にさせるわけにはいかない。

 台所から朝食を乗せた皿を持って現れた母親は、娘の決意に燃える瞳を見て、呆れたように溜め息を吐いた。


「……何だい、要するに魔王城跡までピクニックに行きたいってこと? 別に良いがね、遠くから眺めるだけにしな。絶対に近くまで寄るんじゃないよ」

「よかろう」


 近寄るどころか最奥まで踏破する気満々である。

 老いた母のために痛める良心があれば、魔王などというジョブには初めから就いていない。この魔王、親不孝である。

 小さな脳味噌の中は、既に意図せず置き去りにしてしまった遺児のことでいっぱいだ。まだ守る者も居ないというのに殻を割ってしまってはいないだろうか、そもそもあの野蛮な勇者共に見つからずに済んでいるだろうか、ゆで卵になどされていたら2度目のショック死を迎えない自信が無いが大丈夫だろうか、殺しても死なぬドラゴンとはいえ卵の中で弱ってはいないだろうか、母の死を感じ取って寂しがってはいないだろうか。

 無意識に俯きだす娘の心情の欠片でも察したのかそうでないのか。母親は食卓に2人分の食器を並べながら、いつもと変わらぬ軽い口調で尋ねる。


「魔王城跡ねえ、ちょっと歩くね。お弁当要るかい? 何か食べたいものある?」

「――うむ。弁当に唐揚げを入れることを許すぞ」

「残念、言い出すのが遅かったね。中身は朝ご飯の残りだよ」

「何故聞いた?」


 母親から聞かれる食事のリクエストは、質問であって質問でない。ご家庭あるあるを片っ端から魔王の生まれ変わりに体験させるこの中年女性こそ、ある意味世界最強の存在なのかもしれなかった。



 これは、10歳にして魔王城への侵入を成功させ、かつての可愛いペット(全長2km)の子供を取り戻し。今はおっさんと化した元勇者の首を掻っ捌くために、子育て、いや仔育ての片手間に己を鍛え。しろまどうしさんを初めとしたパーティを引率して絆を深め。

 最終的には成りゆきで次代魔王の首を掻っ捌いた、魔王の転生体の物語である。



 ちなみに朝ご飯はスクランブルエッグだった。

 魔王は卵料理が並んだくらいで動じたりしないし、未来の勇者は前世を言い訳に好き嫌いしたりしない。ゆで卵だったら泣いていた。

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