Ⅱ 悪戯の代償(2)

 けっきょく、僕はジャックの計画に乗ってしまった……。


 それは、いつものことながら彼に押し切られたというところもあるが、ウラシマウ氏に対する恨みが少なからず募っていたというのも、その原因の一つではあったのだろう。


 僕はジャックとともに、準備をすましてウラシマウ氏の家へと向かう。


 この格好……人に見られるとマズイので、僕らはコソコソと、まるで泥棒ででもあるかのように自宅の裏の細い道を忍び足で渡った。


 ジャックの思い付いた計画……いや、悪戯と言った方がいいかもしれない。それは、ウラシマウ氏の信じる〝本物のヴァンパイア〟に扮して、彼を驚かそうというものであった。


 普段、何もしていない僕らをヴァンパイアだと言って追い払うウラシマウ氏が、もし、本当に恐ろしい姿をしたヴァンパイアに襲われたりなんかしたら、どんな態度をとるのだろうか?


 それが今回の見所である。


 それに、一度そうした怖い目に遭えば、もう、あんな風に善意の人々を攻撃してこなくなるかもしれない……。


 そんな好奇心と淡い期待に突き動かされ、僕はまんまとジャックの計画に乗ってしまったわけである。


 現在、僕とジャックは世間一般にイメージされるところのヴァンパイアの仮装…というか、コスプレをしている。


 まあ、世間一般のイメージと言っても、僕らには映画の『吸血鬼ドラキュラ』ぐらいの貧相なものしか思い浮かばない。


 なので、僕らは髪をジェルで固めると、白塗りの奇怪な化粧を顔に施し、口からは血のように赤い絵の具を垂らしたりなんかもして、衣装には黒いマントを羽織って出かけた。


 僕らとしてはもちろん本気なのだが、傍から見れば、けっこう間抜けに見えるかもしれない。


 しかも、暗く雰囲気のある真夜中ならまだしも、今はまだ明るい真っ昼間の昼下がりである。知ってる仲間にでも見られたら、後々までいろいろと言われそうだ。


 うーん…やっぱり間抜けだろうか? ……ま、二人とも八重歯はもともと尖っている方なので、ヴァンパイアを信じているウラシマウ氏にならそれなりに見えるだろう。


 そんな希望的観測に背中を押されつつ、僕らはウラシマウ氏宅を囲む鉄柵の陰に隠れ、辺りの様子を覗う。


 そして、周囲に人がいないのを確認すると、まるで秘密作戦を遂行する軍の特殊部隊のような仕草で玄関へと一気に忍び寄った。


 数秒後、玄関に到達すると、僕はドアノブに手をかけて静かに回してみる。


 すると、どちらへ回してもガチャガチャ…と金属の引っかかる音がして、昨日のように引き開けることはできなかった。


 今日は鍵がかかっている……だが、たぶん外出はしていないだろう。


「……よし。作戦通りに行くぞ」


「うん……」


 鍵の確認を終え、やはり部隊の指揮官の如く指示を出すジャックに僕は黙って頷く。


「さあ爺さん、いい顔見せてくれよお……」


 そんな僕を見て、ジャックが玄関のベルを注意深く押した。


「ちわーす! 郵便配達でーす!」


 ジリリリ…と、ベルの音が邸内に響くとともに、かねてよりの打ち合わせ通り、ジャックは変な抑揚をつけてポストマンの声色を真似る。


 前回のことがあるので、そうするように決めておいたのだ。


 さすがのウラシマウ氏でも、れっきとした郵便局のポストマンにまで聖水をかけるようなことはしまい……。


 まあ、僕らは“れっきとしていない”どころか、偽ポストマンだったりするんだけれど。


 もちろん、この格好を見られてはすぐに嘘とばれるので、ドアの覗き穴には小包に偽装した箱を押し当てて、中からこちらが見えないように細工している。その辺の悪戯に関する準備ならば、我が悪友ジャックにぬかりはない。


 そのまましばらく玄関先で待っていると、中からこちらへ人の近付いてくる気配がようやく伝わってきた。


「……怪しいな。本当に配達の者か?」


 気配はドアの裏側に至ると、少しの間を置いてから皺がれた老人の声でそう尋ねてくる。


 おそらく覗き穴からこちらの様子を覗っていたのだろう。しかし、さっきも言ったように覗き穴は箱で封じられているため、外を見ることはできまい。


「怪しいだなんてひどいなあ~。ほんとに郵便配達に来たんですよう。ここ開けてもらえばわかりますって」


 疑るウラシマウ氏に、ジャックはポストマンのフリを続け、ドアの鍵を開けてくれるよう懇願する。


「そう言ってわしに鍵を開けさせておいて襲うつもりだろう? そんな言葉には騙されんぞ、ヴァンパイアめ!」


 だが、それでも老人は素直にドアを開けようとはしない。その疑り深さは相変わらずであるが……今回に限り、その疑惑はほとんど正解である。


「何言ってるんですかあ~。僕はヴァンパイアなんかじゃないですよう~。その証拠にほら、ドアにかかってるニンニクも平気じゃないですかあ~。この配達終えて早く帰らないと上司に怒られちゃうんでお願いしますよお~」


 芝居が上手いのか下手なのか判断に苦しむところではあるが、ジャックはひどく情けない声を出して、なおも偏屈な老人に頼み込んだ。このいかにもなよなよっとした感じは、とてもヴァンパイアのものとは思われないのでけっこういいかもしれない。


 ただ、その声が途中から鼻声に変わる。


 じつは「ニンニクも平気」と言いながら、僕ら二人は先程から鼻を摘まんでいたのだ。やはり、このニオイはキツイ……ドアにかかっているニンニクの束は、近づくとけっこう、臭いのだ。


「……フン!どうやら本当らしいな」


 そうした僕らの努力が実ったのか、また少しの沈黙の後、ドアの向こうからはそんな返事が返ってくる。


 そして、ガチャリ…と小気味良く鍵を外す音がすると、ついにドアは開き始める……。


 〝かかった!〟


 僕らは心の中で思わずそう叫び、密かに胸を高鳴らせる。


さあ、ここからがいよいよ本番だ!


「で、郵便とはいったいなんじゃ?」


 少なからずこちらを信用してくれたウラシマウ氏は、ドアノブを内側へと引きながら、偽ポストマンのジャックに問いかける。


 その問いに、開き始めたドアが充分な隙間を作り、ウラシマウ氏がこちらの姿を目の当たりにした瞬間、僕らは声を合わせて「待っていました」とばかりにこう答えた。


「はい。ヴァンパイアのお届けに参りました!」

 

 ウラシマウ氏の黄ばんだ瞳に、吸血鬼ドラキュラ風のメイクを施した僕らの姿が映る。


 さらに僕らはより演出効果を高めるべく、着てきた黒いマントの裾を蝙蝠の羽のようにバタバタと羽ばたかせてみたりなんかもする。


「…………う…うわあああああああああっ!」


 一拍置き、老人の老人とは思えぬ甲高い悲鳴が昼下がりの住宅街に木霊した。


 その尋常ならざる反応に、脅かした僕らの方が面喰ってしまう。


 まさか、これほどまでに驚くとは……僕もジャックもポカンと口を開けた間抜け面で、絶叫する老人の鬼気迫る顔をしばし呆然と見つめる。


「ひ、ひゃああああああっ…」


 その間に、いまだ言葉にならぬ奇声を発し続けていた老人は、突如、くるりとこちらに背を向けると脱兎の如き素早さで家の奥へと駆け込んで行く。


 老人が廊下を走り抜け、奥の部屋のドアの向こう側に消えるところを見届けてから、僕らはようやくお互いの顔を見つめ合った。


 まだ二人とも、想像以上の効果に目が点になっている。


「う、うまくいったな……」


 ジャックは成功の喜びよりも、驚きの方が勝っているというような声で言った。


「あ、ああ……」


 老人に復讐したかった僕も、成功した満足感よりも想定外の反応の良さに呆れ果てたというような表情で曖昧な返事を返す。


「よし、もっと驚かせてやれ」


 しかし、それでもこの悪友は逃げ去る老人に対しての攻撃の手を緩めず、追い打ちをかけるよう僕を屋内へと押し入れる。


 ジャックは物事がうまく行くと、すぐに調子に乗る性質なのだ。


「えっ? いや、ちょっと、あれだけ脅かせばもう充分なんじゃ……」


 一方、僕の方はというと、あそこまで狼狽するウラシマウ氏の姿を見られれば、もう昨日の恨みを晴すには充分だったし、逃げた老人を追って勝手に家の中まで侵入するというのもさすがにやり過ぎのように思えたので、背を押すジャックの手に抗いながらその場で足踏みをする。


 と、その時である。


 バダンッ…! と、先程、老人が逃げ込んだはずの廊下の奥にある部屋のドアが勢いよく開いたのだ。それは「勢いよく」というよりも「乱暴に」といった方が適切な表現だったかもしれない。


「このっ、ヴァンパイアめっ!」


 そして、激しい音を立てて壁にバウンドするドアの後からは、目を血走らせたウラシマウ氏が今度は言葉として聞き取れる雄叫びを上げながら、異様な威圧感をその老体に帯びて飛び出して来る。


 その威圧感の原因がなんであるのかを、僕らは数秒の後に理解する……。


 彼は、その手に何かを持っている。


 長細い、筒のような、黒光りする金属とニスの塗られた木でできた物体……それは、見紛うべくもなく猟銃だ!

 

 その物体を認識した瞬間、僕とジャックの顔は凍りついた。


「ただの猟銃と思うなよ! この中にはな、わしが銀を溶かして作った特注の弾を仕込んであるんじゃ! そうじゃ。人狼ワーウルフとともに貴様らヴァンパイアが苦手としているアレじゃ! わしは貴様らの弱点を隈なく調べとるんじゃよ! さあ、銀の弾シルバー・バレットをたっぷり味わうがいい!」


 老人は高揚した声でそう叫ぶと、反面、やけに冷静な手つきで銃口を僕らの方へと向けて構える……否、違うな。その銃口が向いているのは“僕ら”にではなく、もっと限定的に言うと“僕”にである!


「ちょ、ちょ、ちょっと落ち着いてください、ウラシマウさん! ぼ、僕らはけしてあなたが妄想してるようなヴァンパイアなんかじゃ……」


 僕は震える両手おまえに突き出し、老人の説得を必死に試みる。


 しかし、その弁解とは裏腹に、僕らの格好は世間一般でイメージされるところのまさにヴァンパイアそのものである。


「フン! やはりヴァンパイアも銀の弾は怖いとみえるな! こいつを用意しておいて正解じゃったわい」


 いや、別に銀の弾じゃなくたってそれは怖い。僕らも含め、この世界に生きとし生きる生物は皆、普通、銃で撃たれたら死ぬか、運が良くても重傷を負うのである……などと、冷静にツッコミを入れている場合ではない!


 予想通り、僕の言葉は老人の暴挙を止めるなんの役にもたたない。このままでは本当に、映画のヴァンパイアや狼男よろしく銀の弾で撃ち殺されてしまう。


背後に気を向ければ、お調子者のジャックも今や一言も口を利かずに固まってしまっている。


 洒落にならない悪戯をしたとはいえ、いたいけな少年二人に銃を向けるとは狂気の沙汰である。とても正気の人間のすることとは思えない。


 ……いや。ウラシマウ氏にとって、僕らはあくまでも自分を襲いに来たヴァンパイアなのだ。けして無害な少年でも、親交を深めるべき隣人などでもないのである。


おまけにその格好は、吸血鬼ドラキュラ以外の何者でもない。


 ああ、やっぱり僕の嫌な予感は正しかった。ジャックの誘いになんか乗って、こんなことしなければよかったのに……。


 そうやって、僕が軽はずみにジャックの計画に賛同してしまった自分を苛み、今までの経験をまるで生かせなかった己の愚かしさを深く反省したその瞬間。


「神のもとへと帰れっ!」


 パァァァーンッ…!


 老人の持つ凶器から、乾いた爆発音が鳴り響いた。


「…っ!」


 その空気を震わせる音の衝撃波に貫かれ、僕はその場に尻餅を搗く。


 と、同時に、老体には耐えきれぬ衝撃だったのか? 銃を撃ったウラシマウ氏本人もそのままの恰好で後方へとひっくり返る。


「う、うわああああっ!」


 ジャックも僕が撃たれたのを見て、ひどく情けない声で悲鳴を上げながら、ほうほうの体で外へと逃げ出して行く。


 ジャックの悲鳴が遠ざかるにつれて、辺りは一時の静寂に包まれた。


 ……こ、こんなとこで、こんなことのために、僕の人生は終わってしまうのか?


 その静寂の中、尻餅を搗いたままの僕の脳裏に、走馬灯の如くこれまで生きて来た間の記憶が蘇っては消えてゆく……。


 だが、しばしの後。


「…………あれ?」


 そこでようやく、僕は自分の身体がどこも痛くないことに気づく……ということは、つまり、僕が撃たれたわけではないということか?


 それでも念のため、身体をあちこちまさぐって調べてみたが、やはりどこも怪我していないどころか、衣服も破れてすらいない。


 不思議に思い、目の前でひっくり返ったままになっているウラシマウ氏の方を覗ってみると、彼の手にした散弾銃の筒先はウインナーで作る蛸の足の如く八方に裂けていた。


 ……どうやら、暴発したらしい。


 さっきのウラシマウ氏の言葉を思い出してみると、なんでも銃に込めた銀の弾は自分で作ったお手製のもののようである。


 そんな素人の作った弾を撃つなんて、そりゃあ無謀極まりない行動だ。暴発の恐れは十二分にあり得る。


 彼が後ろにひっくり返ったのは弾丸を撃ち出した反動のためかと思っていたが、じつはその暴発による衝撃だったみたいである。


 ウラシマウ氏は大丈夫だろうか?


 不意に、いまだ倒れ込んだまま起き上がろうとしない老人のことが心配になってきた。


 僕は老人のもとへと恐る恐る歩み寄る……。


 ウラシマウ氏は銃を放った時とまったく同じ格好のままで気を失っていた。


 しかし、頭から足の先までざっと調べてみたが、怪我はおろかかすり傷一つ負ってはいないようだ。


「ホッ……」


 それを確認し、僕は安堵の溜息を吐く。


 普段から僕ら近所の者との諍いが絶えないし、昨日は僕自身あんなひどい目に遭わされたというのに……いや、今なんか危うく銃で撃ち殺されそうにまでなったというのに、こうして力なく倒れている姿を見ると心配になってしまうのだから、なんとも心とは不思議なものである。


 まあ、そもそもこの状況は自分達の悪戯が招いたことでもあるので、その負い目というのもあるのだろうが、それ以上にやはり僕も人がいいというか、なんとやらだ。


 ま、ともかくも銃が暴発したわりになんの怪我もなくすんでよかった……が、このままここに放置しておくわけにもいくまい。


 僕はやむなく、老人を起こしてベッドまで連れて行くことにした。


「ウラシマウさん! ウラシマウさん!」


 少し大きな声で老人の名を呼び、二、三度、彼の肩を揺る。


「う…うう……」


 すると、どうにか意識を取り戻したらしく、彼はわずかに開いた口から低い唸り声を上げる。


「ウラシマウさん! 大丈夫ですか!?」


 さらに僕がそう呼びかけ、まおも身体を揺すり続けると、老人は目を瞑ったまま苦悶の表情を浮かべて呟いた。


「こ、腰が……」


「こし? ……腰が抜けたんですか?」


 僕は再び問いかける。


「こ、腰が…あ痛たたたたた……」


 老人は短く答え、そこでまた苦痛に顔を歪めた。


 おそらく今の暴発のショックで腰を打ったのか、あるいはぎっくり腰にでもなったのであろう。


 これでは一人で起き上がれないか……。


「とにかく、こんな所じゃなんですからベッドに行きましょう。さ、僕の肩に捕まって……」


 そう言って僕が手をかけて老人を引っ張り起こすと、普段は決して他人の好意を受け入れないウラシマウ氏には珍しく、わりと素直に僕の肩へその身を預けてきた。


 よっぽど腰が痛かったのか、それともまだ意識が混濁しているのか……。


 ま、本当のところどうだったのかは僕にもわからない。いずれにしろ、こうして思いもよらぬ成り行きから、僕はこの偏屈な老人を介抱する羽目になったのである――。

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