第2話 闇~ニクラス~

ーー「俺、大人になったら父さんみたいに強い奴になって悪い奴らぶっ倒すんだ!」


ニクラス・類・マーフィー。

彼がまだ幼かった頃、毎日のように言っていた言葉である。


ニクラス(通称ニック)の父、ブレイデン・マーフィー(通称ブレイド)は

海兵隊であり、ほとんど家にいなかった。

月に1度か2度ある休みにしか会うことができなかった。


「こら、ニック。父さんは人を倒すために海にいるんじゃないんだ。人を守るために海にいるんだ。忘れちゃいけないよ。」


まだ幼いニックに必死に訂正する母

キャロライン・岬・マーフィー。

元の名は、矢澤岬。

長期休暇中のブレイドが日本へ旅行に行った際、2人は出会い交際。

岬はブレイドとアメリカで暮らすことを決め

ニクラスを出産した。


元々気の強い女性であった岬は

国際結婚においての言葉の壁や文化の違いを物ともせず

月に1度か2度帰ってくるブレイドに代わり、女手一つでニックを育ててきた。


「へへっ。そーだった!」

そんな岬のことがニックは大好きだった。

人を守るために闘っている父ブレイドのこともまたニックは大好きだった。


そんな中入った一報。

岬のケータイの着信が鳴る。

明日はブレイドの休日。

岬と当時5歳だったニックは2人でブレイドの帰りを心待ちにしていた。


着信相手はブレイドの同僚からだった。


ーー内容は、ブレイドが事故で亡くなったというものだった。

ブレイドが巡回していた船が炎上し爆発、沈没したとのことだった。

遺骨は見つかっていないという。


突然の訃報を受け、岬はしばらく呆然としていたが

不思議そうに岬をみつめ

「どーしたの?」と聞くニックの姿を見て我に返った。


「父さん、海の仕事が忙しくてしばらく帰って来れなくなったんだってさ。」

咄嗟に笑顔で嘘をついた。まだ幼いニックにはとてもじゃないが言えなかった。


「えー!せっかく楽しみにしてたのに!」

駄々をこねるニックに対し岬は

「仕方ないだろ。仕事なんだ。」

と頭をなでることしか出来なかった。


ニックが真実を知ることになったのは

10年後、ニックが15歳になった時のことだった。


10年もの間、1度も帰ってこない父に違和感を覚えないはずもなく

ニックは何度も岬に問い詰めた。

しかし岬は「隊長に昇格したから休む暇がないんだよ。」とはぐらかし続けた。


いずれは話そうと思っていた。

しかし思春期で心が不安定だったニックに

岬はなかなか言い出せずにいた。


ある日のこと、学校から帰宅したニックが物凄い形相で岬に詰め寄った。


「どういうことだよ!これ!」

ニックの手に握られていたのは

「Brayden♡Misaki」と彫られた、紛れもないブレイドの結婚指輪だった。

「ニック…それどこで…」

驚きと動揺を隠せない岬がニックに問う。

ニックが学校帰りに父とよく遊んだ海の浜辺に寄ってみると

浅瀬にこの指輪が流れ着いていたと言う。


10年かけて、ブレイドの指輪が浅瀬に流れ着いた。

その事実に岬は涙を堪えずにはいられなかった。


「おかしいよなぁ?!10年も帰ってこないなんて!俺は連絡すら取らせてもらえない!指輪だって、海に捨てられてたじゃないか!本当のこと言ってくれよ!父さんは、母さんを置いて逃げたのか?!そうなんだろ?!」


「違う!!!」

声を荒らげていたニック。それ以上に声を荒らげて岬はニックの言葉を否定した。


「父さんは…10年前に…死んだんだ…。」

震えた声でポツリポツリと言葉を紡ぐ岬。

ニックの顔を見ることはできなかった。


「父さんが…死んだ…?」

確認をするようにゆっくりと復唱したニック。

少しの間呆然としていたが

すぐに怒りの篭もった表情に変わった。


「そんな大事なことを!10年も隠してたのかよ!ずっと嘘をつき続けてきたのかよ!!!」



「言えなかったんだ…!ニックに…悲しんで欲しく無かった…。」


必死に、しかし説得力のない言い分を述べる岬。

ニックの胸には響かなかった。




「信じられねぇ。俺はもうあんたを母親だと思いたくもねぇ!信用出来ない人間を親と呼べるかよ!!!!」


そう吐き捨て、ニックは自室に入っていった。


「…ごめん、ニック…ごめん…ブレイド…」

残された岬は、指輪を握りしめ1人、静かに泣き崩れた。


その日からニックは

岬と言葉を交わさなくなった。

毎日食事を用意してくれる岬。何も言わずに自室で食べるニック。

岬は必死にニックとコミュニケーションをとろうと、毎日声をかけた。

今日のご飯はなんだの仕事がどうだの言う岬の言葉を、ニックは全て無視し続けた。


ニックは心のどこかで

素直になりきれない自分に苛立ちを覚えていた。

岬は紛れもなく自分の母親だ。10年間嘘をつかれてきたことで熱くなり、暴言を投げたが

実の所は仲直りの機会を見失っていた。

だからせめてものコミュニケーションとして

岬の作るご飯だけは残さず食べていた。


そんなある日

「母さんさ、今日職場の人が血を流して倒れちゃって、びっくりしたんだ!母さんが近くにいたから手当したけど血が止まらなくてね。病院に搬送されたけど、大丈夫だったかな。」

いつものように顔色を伺いながら引きつった笑顔で話しかけてくる岬。


血を流して倒れるなんて物騒な話だな、なんて思いながらも返事をせずにテレビをつける。


ーー『続いてのニュースです。本日未明、区域内に住む3名の女性が、突然身体から血を流して死亡するという変死事件が起こりました。』


テレビで流れ始めた物騒なニュース。

内容は先ほど岬が話していたものと同じものだった。

報道されている3人の死者の中には

ニックも見覚えのある、岬の職場の同僚が映っていた。

岬はこの人を手当したのだろう。

結局亡くなってしまったようだ。

岬も小声で「亡くなった…?」と呟き呆然としている。


そしてキャスターが告げた言葉にニックは耳を疑った。


『数日前にも2件、今回と同じような変死事件について報道致しました。

専門家によるとこの変死事件は、ウイルスによる重大な感染症の恐れがあるとされています。詳細は定かではありませんが、もし身近で似たような症状を確認した場合は決して患者には触れず、直ちに病院へ連絡するようお願い致します。

繰り返します。専門家によるとーーーー。』



「…感染症…?」

ニュースの内容を聞き、ニックは恐る恐る岬を見る。

岬は先程「自分が手当した」と言っていた。

岬がもし、感染していたら…?

そもそもこの感染症に治療法はあるのか?

岬が発症すれば自分の命だって危うい…。

しかし、感染症であるとまだ決まったわけでは…。

色々な思考が頭を回り、ニックは表情が固まってしまう。


そんなニックを見て岬は慌てて笑った。

「だーいじょうぶだよニック!母さんは強いの知ってるだろ?」



ーーそれが、最後にみた岬の笑顔だった。


夜中、なんとなく寝付けなかったニックは

冷蔵庫にある牛乳を飲みにキッチンへ降りる。

するとキッチンで横たわる、岬の姿があった。

苦しそうに悶える岬は

鼻、耳、目、爪、手足…身体中から出血を起こしていた。


「かあ…さん…?」

ニックがパニックになり岬へと駆け寄ると

岬の息は虫の息となっていた。

ニックは慌てて病院へ電話をする。


「もっもしもし!母さんが!母さんが…!血を流して…!はやく、はやく!!!」


すると背後で何かが吹き出す音がした。

振り返ると、岬は首の頚動脈部分から血を吹き出していた。

恐ろしく、おぞましい光景。

小さなうめき声をあげた岬はその後、動かなくなった。


「あ…あ…」

ニックは手に持っていた電話機を落とし、尻もちをつく。


「あああああああああああ!!!!!!!」

そして部屋中に響き渡る叫び声を上げた。



ーー岬の葬式の日。

日本人だった岬は知り合いも少なく

身内ばかりの式となった。

岬が死んでから数日だったが、ニックの身体には感染症状が一切現れなかった。

あれほど近くにいたというのに…。


ニックが最後に岬に投げかけた言葉。

“信用出来ない人間を親と呼べるかよ!”

あれが岬にかけた最後の言葉だと思うと

ニックは自分を責めずにはいられなかった。

もっと、もっと早く素直になっていれば…



「ニック。大丈夫?」

呆然と遺影を見つめるニックに声をかける少女。

彼女はいとこのサラ・ローレンスである。

後ろには弟のセシルローレンスも顔を覗かせている。


「大変なのはお互い様だろ…。」

死んだ魚のような目をしたニックが2人に言う。

言葉の通り、つい昨日、サラとセシルの母親の葬儀だったのだ。

2人の母親、アニータ・ローレンスも

岬と同じく身体から血を流して死亡したのだと言う。

ちなみに、2人の父親、チャーリー・ローレンスは1年前に心筋梗塞で他界している。


「…みんな、パパもママもいなくなっちゃったね。」

サラが下を向き呟く。

「感染のリスクがある俺らを誰も引き取ってはくれないだろうな。」

案の定、ブレイドの両親はニックを受け入れなかった。

サラとセシルも、引き取り手が見つからないという。


「だ…だったら…」

いつもびくびくしているセシル。

この時唐突に彼が言葉を発したのだ。

「3人で暮らせばいいじゃん…。僕、ちゃんと働くよ…!」


3人の中では最年少のセシル。

彼の口から「働く」という言葉がでてきたことに

サラとニックは思わず笑ってしまた。


「な、なんで笑うのさ…!」

至って真面目だったらしいセシルに

笑いの止まらない2人。


ニック、サラ、セシル

両親を失った3人は

こうして一緒に暮らしていくことを決める。

3人には確固たる絆が芽生えていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る