第10話 歯車は遥か昔に

 人が来る時間よりも三十分は早い、早朝の教室。そこに足取り重く成瀬はやって来ていた。彼女は自分自身の席に座ると、机に顔をうずめて、

「はぁ……。決意したのは良いけど、アレから結局三日もかかっちゃった」

自らの女々しさを悔いる言葉を誰にともなく口にする。また、付け足すように、

「それに、先輩に連絡したけど返事は無かったし、来てくれるかなぁ」

 言って、手持ち無沙汰で成瀬は待つ。すると片岡が俯き、そしてため息をつきながら教室にやって来る。一度教室の前で片岡は止まる。しかし首を横に振ると足取りを強くして教室の中へ歩を進める。

 教室に入った片岡は自分の席に目を向ける。するとその付近で暇を持て余している成瀬を見た。

「めぐ……ちゃん?」

 驚きで言葉に詰まりながら成瀬の名前を口にした。呼ばれた成瀬は振り返る。

「紀里? なんでこんな早い時間に?」

 成瀬は問いかける。しかし片岡は聞かず、その間に成瀬へと近寄る。そして成瀬の目の前に来ると、彼女を立たせて連れて行こうとする。

「めぐちゃん! なんで学校に来たの! 早く帰って!」

「え? え? 紀里? どうしたの。どうしてそんなこと……」

 連れて行かれぬよう、踏ん張り抵抗をする成瀬。それに、

「メール、見てないの⁉」

 声を荒げて片岡は言う。それに成瀬は首を傾げた。

「メール? 確かに来てたけど、それ所じゃなくて」

「ならとりあえず今日は帰って! 説明はメール見てくれれば分かるから!」

「ちょ、ちょっと!」

 片岡はさらに強い力で成瀬を引っ張る。だが成瀬は拒み、取られている手を振り解く。そして手を擦りながら、

「いきなりどうしたの、紀里。意味が解らないんだけど」

 困惑を問うた。だが片岡は、

「説明は後で! お願いだから早く!」

 また成瀬に近づき、手を取ろうとする。しかし、成瀬は取らせない。

「いや。私、これから用事があるの」

「もしかして、江原先輩関連?」

 動きを止め、片岡は聞く。核心を突かれて驚く成瀬。

「え、そうだけど。なんでわかったの?」

「なら余計早く帰って! お願い! お願いだから……」

 成瀬にしがみつく片岡。それに成瀬は優しく聞く。

「いったい何があったの?」

「それは……」

 顔を背けて片岡は言う。その時、伊藤を先頭に佐々木の二人が現れる。そしてそこにいる成瀬を伊藤が見つけて、

「お、成瀬じゃないかー。久しぶりだなー」

 棒読みとも取れる口調で、伊藤は成瀬に近づく。

 それに成瀬はバツが悪そうに顔を背けて返す。

「……久しぶり」

「おーおー。そうだな。今まで、どうしてたんだー? 心配したんだぜ?」

「少し、体調が悪くて」

「そっかー。体調が、ねー」

「めぐちゃん、早く行こ」

 片岡は再び成瀬の手を持ち引く。今度は成瀬も大人しく従う。そこに伊藤はゆっくりと振り向きながら言う。

「体調が悪くなったのは、江原って先輩に好きって聞かれたからかー?」

 その言葉に、成瀬は足を止め、伊藤を見る。

「なんで、知ってるの?」

「今じゃ学校中で噂だぜ? なぁ、望」

 伊藤は傍観をしていた佐々木に確認をする。その佐々木は伊藤、片岡、成瀬と目線を向けて、答える。

「えぇ。そこの片岡さんも知っていると思うのだけれど。聞いていないの?」

「紀里、メールの内容って」

 片岡は握っていた成瀬の手を放す。

「……うん。めぐちゃんが同性の事を好きだってことが学校で広まってるって。

 だから今、学校にいたら酷い目にあうと思って……」

「紀里……」

 目の端に涙を浮かべる片岡。言われた成瀬は嬉しそうな表情をとる。そこに、

「だけれど、よく片岡さんは成瀬さんと一緒に居れますよね」

「え?」

 平然とした口調で佐々木は言った。それに片岡は疑問の声をあげ、成瀬は体に悪寒が走るのを感じる。伊藤はニコニコとしながら、佐々木を見る。

 佐々木は片岡が自らに目線を向けるのを確認してから言葉を続ける。

「だってそうでしょう? 同性のことが好きな女性と共にいたら自分が標的になるかもし

れないじゃないですか」

「標的って……そんな言い方、あんまりでしょ!」

 食い掛かる片岡。しかし佐々木は不思議に首を傾げる。

「何をそんな怒ってるんです? 狙うと言う意味では一緒でしょう?

それに、友達と思っていた相手が全く違う気持ちで見ていたとなれば混乱すると思いま

すよ? 仲の良い先輩後輩と思っていた江原先輩と同じように」

「ちょっと言い過ぎでしょ!」

「言い過ぎ、と言うことは思ってはいるのですね」

「あなたねぇ!」

 揚げ足を取る佐々木に、片岡は殴り掛かる勢いで近づこうとする。が、途中で伊藤に両肩を掴まれて止められる。

「まーまー落ち着け。望も、ちょっと黙って見てようぜ」

「見てるって、何を?」

「成瀬と噂の江原先輩との会話を、さ」

 伊藤は出入り口指差す。そこから目の下にクマを作り、疲れた面持ちの江原が現れる。

 伊藤と佐々木、そして伊藤に無理矢理引かれて、片岡は成瀬から離れる。その逆に、江原は成瀬へと近づく。成瀬の前に止まると、江原は表情を険しくしたまま口を開く。

「久しぶり、なるちゃん」

「お久し……ぶりです」

「今日はお話があるから早めに来て欲しいってお願いだったわね」

 確認をとる江原。それに申し訳なさを感じた成瀬は頭を軽く下げる。

「あ、はい。わざわざすみません」

「その前に、私からお話、と言うよりもお願いかしらね。良い?」

「はい。大丈夫ですけど……」

「なら言わせてもらうけど」

 一拍を置く江原。そして口を再び開く直前、江原の眼光は鋭さをました。それは親の仇を見るような目。憎しみのこもるそれを成瀬に向けて、江原は、

「もう私に、近寄らないで」

 ハッキリと、確かに伝えた。

「え?」

 不意を打たれた成瀬。言いたいことを言った江原は何事もなかったかのように、

「それで、なるちゃんはどんな用事?」

 成瀬に用件を聞く。しかし納得のいかない成瀬は手を前に出し、制止をかける。

「ちょ、ちょっと待って下さい。近寄らないでって、なんで……」

「それはね、なるちゃんが私の事を好きだから。

ねぇなるちゃん。なるちゃんがいない間、何があったと思う?」

「それは……」

 聞かれた成瀬は、しかし答えられない。

「分からないでしょう? 私がなるちゃんに思われてるって知られて大変だったんだよ。

想っているなるちゃんだけじゃなく、対象の私にも白い目や興味本位の言葉をかけてくる

人が増えたり。いろいろ」

「ま、まず、なんで私が先輩を好きって知られたんですか!それがなければ……」

「たしかにそれは私が安田さんに相談していた時に聞かれたのが原因だけど、でもそれは

過程に起こったことで、原因にも結果にも知られたことなんて関係ないの」

「それに、どうして先輩がそんなさらし者みたいにされなくちゃいけないんですか。

 想っているのは私なのに」

「私が誘惑しているとか、部活の女子全員を手玉に取っているとか。

事実のない噂がたったからね。ねぇ知ってる? 誹謗中傷は当の本人だけじゃなくその関係者も対象にされるって」

「ごめん……なさい」

 俯き、謝罪をのべる成瀬。それをみて江原は首を振る。

「謝られてもしかたないの。いくら謝っても付けられた印象はなかなか戻らない。しかも

卒業まであと数か月。私はこのまま卒業するしかないの。

 皆から奇異な目で見られたり、ネタにされたり」

 江原は成瀬の肩を力強く掴む。

「知られてからずっとよ? たった二日間だけどずっとずっとずっと! あの娘に近づく

と襲われるとか、レズが伝染するとか! 行動にしてもそう。汚い物がそこにあってそれ

を遠巻きに見る様な感じ。友達と思ってた子も、仲良くやっていたクラスメイトも避ける

ようになったのよ?」

「そんな小学生みたいな……」

「ええ。えぇ。私もそう思うわよ。だから、さらに思ったわ。小学生だったらどれだけよ

かったかって。私が好きな他校の男子にまで噂を流して疎遠にさせたりしなければね」

「先輩、好きな人がいて……」

 さらりとされた発言に成瀬は言葉を詰まらせる。江原は肩掴む力を強くして、答える。

「いたわ。いたわよ。でも彼にもう近づかないで、って。不潔だからって」

「先輩……」

「ちょっと待って下さい。だからってめぐちゃんに二度と会わないと言うのはおかしいん

じゃないですか」

 言葉の端々を強くして、片岡は文句を言う。すると江原は成瀬の肩から手を離す。そし

て下を見る。

「そうね。すでに起こったことだから意味がないわね」

 でも、と江原は言うと、片岡を真っ直ぐに見つめる。

「何もせずにこのままでいれば、ずっとそのことについて言われるかもしれない。それよ

りも一緒にいないで疎遠になれば噂が落ち着くと思わない?」

 言い終わり、江原は成瀬を見る。

「だからもう会わないで。私は普通に男の人が好きなの。男女の恋愛が好きなの! 

女友達と一緒に男女の恋バナがしたい。あなたとは違うの!

 あなたなんかと、出会わなければよかった……」

 成瀬は一歩下がる。江原は膝から崩れ落ち、両の手で顔を覆う。そして泣き出してします。それを見て、成瀬は泣き顔で駆け出し教室から出て行く。

「めぐちゃん!」

 叫び、片岡は追おうとする。しかし途中にいる江原の横で立ち止り、見下げて言う。

「最低」

 片岡は成瀬の後追う。教室から出るとき、入れ違いで荷物を持った安田と大江田と片岡はすれ違う。

「なんかさっきの光景、ちょっと前にもあったような……」

 言って安田は前に進む。すると江原が崩れ落ちているのを見つける。また近くに伊藤と佐々木がいることを見受けられ、そして、

「おい。何があった」

 鬼の形相で安田は、伊藤の方を向き、率直に聞いた。

「いや……」

「佐々木」

 言うことを拒んだ伊藤から目線を外し、今度は佐々木へと問う相手を変える。

「伊藤が成瀬さんをからかっていたら江原さんが来て、口論の後に成瀬さんが走って行っ

たと言う所ね」

「伊藤……!」

「いや、ウチは……その……」

「あれほど言ったのに! ちっ。仕方ねぇ!」

 安田は荷物を下に落とし、成瀬達を追う。その姿を見た大江田は困惑した表情をとる。

「お、おい! 安田! いったいなんなんだ」

「先生も追った方が良いと思いますよ?」

「ん?」

「考えてみても下さい。今まで登校拒否していた人がいきなり登校してきて、口論の末に

どこかに走って行ったんですよ? 何をするか、わかりませんよ?」

「そんなことは……。いや、そうだな。教えてくれてありがとう。すまないがこの荷物と、

彼女を頼む」

「わかりました」

 大江田は安田が落とした荷物の近くに自分が持っていた荷物を置くと、成瀬ら三人追い、駆けだす。

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