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 彼女がいなくなった。


 僕が仕事という極めて無味乾燥な作業を終えて家に帰ると、彼女の姿はどこにもなかった。家じゅうを散々探し回った末に、まさかここにはいないだろうと思いつつもこんにゃくゼリーの戸棚を開くと、ひらりと一枚の紙片が舞い落ちた。紙片には彼女の手書き文字でこう記されていた。


『突然いなくなってしまい、申し訳ありません。これには理由があるのです。

 実は私は地球人ではなく、惑星プルプルにあるこんにゃく王国の王女だったのです。父はこんにゃく王国の国王で、母はゼリー帝国の王女でした。父は母と結婚することによりゼリー帝国をまんまと併合し、そして利用価値のなくなった母と私は父に捨てられたのです。

 王宮を追い出された母と私は地球に移り住み、ずっと二人で暮らしてきました。そしてあなたに出会ったのです。

 しかし今、再び領土拡大に執心している父は、唯一の子供である私をプリン王国との政略結婚の道具に使いたがっています。帰ってくるよう再三要求するだけではなく、ついには「私が帰らなければあなたをこんにゃくに変える」とまで脅されました。

 帰りたくはありませんが、私のせいであなたを危険にさらすわけにはいきません。もしもあなたがこんにゃくになってしまったら、私は自分が許せなくなるでしょう。あなたさえ無事なら、私はどんなことにだって耐えられるのです。

 さようなら。私のことは忘れてください。

 あなたと過ごした日々、楽しかったです』


 僕はしばし呆然としていた。


 つまり、彼女は自分の意志でいなくなったのだ。父親の元へ行けばきっとつらいことが待っているというのに、僕を危険から守るためにその身を捧げたというのか。


「そんなこと認められるものか」


 僕は吠えた。憤怒のあまり、そこらじゅうのこんにゃくを踏みつけて怒りのタップダンスを踊った。家全体がぶるぶる揺れて、床のこんにゃくたちがリズムに乗って躍り上がった。彼女を取り戻しにゆかねばならぬ。そうだ、たとえ我が身がこんにゃくと化そうとも、この愛は不滅なり!


 そして電話をかけた。


「はい。こちら天文台です」


「もしもし。お尋ねしたいことがあるのですが」


「はい、何でございましょう」


「惑星プルプルへの行き方を教えてください」


「惑星プルプルですね。惑星プルプルは極めて特殊な惑星でして、地球との行き来は『プルプル・トランポリン装置』によってのみ可能です。よろしければプルプル・トランポリン装置の設計書をファックスで送信いたしますが」


「ぜひお願いします」


 親切な係員の方に感謝を告げてから電話を切った。ほどなくして電話機がピーとかガーとかやかましい音を立て始め、続いてバリバリバリと紙が吐き出された。


『プルプル・トランポリン装置の作り方……図面の通り。材料はプルプルしたものならば可』


 図面を見ると、なるほどトランポリンである。プルプルした材料でできたトランポリンの弾力で人間を弾き飛ばし、惑星間を飛び越えて着地させる仕組みのようだ。最近の技術革新は目覚ましいと聞くが、なるほどよくできている。


 続いて、僕は国内最大手のこんにゃくゼリー・メーカーに電話をかけた。


「はい。こちら国内最大手のこんにゃくゼリー・メーカーです」


「もしもし。プルプル・トランポリン装置についてお聞きしたいことがあるのですが」


「プルプル・トランポリン装置ですね。しばらくお待ちください、プルプル・トランポリン装置に詳しい人にお繋ぎいたします」


 受話器からこんにゃくゼリーの歌が流れてきた。コマーシャルで聞き覚えのある軽快なメロディである。「♫こんにゃくにゃくにゃくゼリゼリ〜〜こんにゃくにゃくにゃくゼリゼリ〜〜」僕も一緒に口ずさんだ。「♫こんにゃくにゃくにゃくゼリゼリ〜〜こんにゃくにゃくにゃくゼリゼリ〜〜こんにゃ」ガチャリ。「お電話ありがとうございます。私がプルプル・トランポリン装置に詳しい人です」


「あっ、どうも」


 僕はやや赤面しながら質問した。


「ひとつ質問があるのですが、御社のこんにゃくゼリーを用いてプルプル・トランポリン装置を製作することは可能なのでしょうか?」


「プルプル・トランポリン装置ですね。はい、可能です。我が社のこんにゃくゼリーは優れた弾力性を持ち、その反発係数は……(中略)……耐久性にも富み、手っ取り早く老人の息の根を止めたいときにも……(中略)……徹底した品質管理によって実現した価格と……(中略)……であるからして、惑星プルプルまでの快適な旅路を演出してくれるでしょう。事実、故障したなどという苦情は一件も寄せられておりません」


「なるほど、素晴らしい」


「いえいえ。生きて帰ってこられましたら、今後とも我が社をご贔屓に」


「ええ、もちろん。ありがとうございます」


 僕は電話を切った。もし惑星間航行の途中で故障した場合はどうやって苦情を寄せるのだろうという疑問が浮かんできたが、あまり気にしないことにした。深く考えすぎるのはよくない。こうしている間にも、彼女は顔も知らぬ男との結婚を迫られているかもしれないのだから。


 僕は早速プルプル・トランポリン装置の作成に取り掛かった。彼女が残していった大量のこんにゃくゼリーを煮溶かし、ゼラチンと秘伝の粉を入れてかき混ぜた。冷え固まったら円柱型に成形し、目的地を入力した。目的地、こんにゃく王国。完成だ。


 続いてプルプル宇宙服の作成に取り掛かった。僕は一張羅のスーツに秘伝の粉をまぶし、煮溶かしたこんにゃくゼリーに浸して三十分待った。それからスーツを引き上げれば、真っ黒だったスーツはピンク色のぷるぷるに覆われた宇宙服になっていたではないか。素人の僕でもこんなに簡単に作れるとは思わなかった。まったく秘伝の粉というのは素晴らしいものである。


 僕は完成したプルプル宇宙服を着用し、プルプル・トランポリン装置を押したり引いたりしながら、えっちらおっちら表の道路に運び出した。


 空は高く青く澄んでいる。この空の向こう、遥か彼方に彼女がいるのだ。僕の助けを待っているのだ。たとえ彼女が身を引くならば、僕はこの身を乗り出そう。これから彼女との距離が縮まることはあれど、もう離れることなどありはしない。


「今行くぞ!」


 僕はプルプル・トランポリン装置に飛び乗った。

 ぷるん。

 僕は飛び上がる。

 ぷるん。

 また飛び上がる。

 ぷるん。

 さらに飛び上がる。一回ごとに僕の跳躍は高度を増していく。

 ぷるん。

 飛び上がる。人が小さな点に見える。

 ぷるん。

 飛び上がる。街がミニチュア模型のように見える。

 ぷるん。

 飛び上がる。雲がはるか下に見える。

 ぷるん。

 飛び上がる。宇宙ステーションに手を振る。

 さあ、最後の跳躍だ。宇宙に飛び出すぞ。僕は両足に力を込める。プルプル・トランポリン装置がひときわ大きく僕を飲み込んで弾性変形し、そして吐き出す。

 ぷるるるん!


 僕は一本の矢になり、空を突き抜けて宇宙へと飛び出した。

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