第5話 夫婦円満の秘訣


「なぁ、アル」

「何でしょう?」


 第一王子の執務室で、静かに書類に目を通していたアルフレッドは、自分を呼ぶ声に顔を上げる。

 執務机で頭を抱え、クリストフはすがるような目でアルフレッドを見つめていた。

 そして、勢いよくバンっと机を叩き、口を開いた。


「夫婦円満の秘訣ってなんだ!?」

「……は?」


 聞き間違いだろうか。

 魔女の呪いで失われた聴力は戻ったはずだが。

 言葉の意味を理解できていないアルフレッドのために、クリストフはもう一度口を開く。


「だから、どうやったらお前たちみたいにラブラブになれるんだ?」


 聞き間違いではなかった。

 まさか先ほどからずっと真剣な顔で溜息ばかり吐いていたのは、そのことで悩んでいたからなのか。

 クリストフが誰のことを思い浮かべているのかは、さすがのアルフレッドでももう分かっている。


(イザベラ王女と何かあったのか……?)


 先日の音楽会で二人を見かけた際は、そこまで雰囲気は悪くなかったように思う。

 イザベラが従者の格好をしていた、ということを除いては。

 なんと答えるべきか、アルフレッドは思案する。

 王族であるクリストフの結婚は、自分の意思とは関係のないところで結ばれてしまうものだと理解はしている。

 しかし、できることなら、愛する人と幸せになってほしい。

 アルフレッドがシエラと出会い、幸せを感じているように。

 そのためにアルフレッドの経験が役に立てるなら、いくらでも協力しよう。


「そうですね……私の場合は、シエラがずっと私のことを想い続けてくれたおかげです。シエラがいなければ、私はずっと幸せを拒絶していた。それに、もう一度誰かを愛そうとは思えなかった……だから、たくさんの愛を伝えてくれた彼女を私の持てるすべてで幸せにしたいと思っています。つまりは、互いを想い合う心があればこそ、なのではないでしょうか」


 シエラのことを思い浮かべるだけで、アルフレッドの表情は柔らかくなる。

 逆にアルフレッドの幸せオーラにあてられて、クリストフは何やら胸をぐっと押さえていた。


「うっ……俺はやはり嫌われているのだろうか……エスコートの申し出も断られ、贈り物をしても何の進展もないなんて……」


 ショックを受けているクリストフを見て、アルフレッドは大きなため息を吐く。


「私の話をちゃんと聞いていましたか? シエラは、ずっと避け続けていた私に対して好意をぶつけてきてくれたんですよ。自分が傷つくことも恐れずに」


 シエラの勇気と愛があったから、アルフレッドは自分の心に素直に向き合うことができた。

 自分と離れることがシエラの幸せだと勝手に決めつけていたアルフレッドに、それは違うと教えてくれた。

 彼女と一緒に幸せになりたいと思えるようになったのだ。

 だからこそ、クリストフにも諦めてほしくない。


「イザベラ王女のことが本気で好きなら、殿下も気持ちを伝えるべきです」

「なっ、お前、俺は別にイザベラ王女の話はしてないだろ……っ!」


 慌てて否定しようとするクリストフに構わず、アルフレッドは続ける。


「そうですね。仮にイザベラ王女との関係が今のままで満足だというのなら、何も言いません。ですが、執務中に夫婦円満の秘訣について聞いてくるということは、少しでも関係を深めたいと思っているのでは?」

「……それはっ」

「好きだという気持ちを伝えられないまま婚約を解消し、何事もなかったかのように振舞おうとするから複雑になってしまうんですよ」

「……っ!」


 図星を刺され、クリストフはぐうの音も出ない。

 ぐぬぬ……と唸っている主に、アルフレッドはさらに追い打ちをかける。


「せっかくイザベラ王女がこの国にいるのです。今、伝えなくていつ伝えるのですか?」


 アルフレッドには見えていないが、クリストフに憑りついているラリアーディスも全力で頷いていた。


「それができればこんなに悩んでいない……」


 もう否定することは諦めたのか、クリストフはガクンと落ち込みながら言った。

 その様子に、アルフレッドの胸も締め付けられる。


「今回の婚約解消に至った経緯については、私にも責任があります。ですから、私にできることなら、なんでも協力しますよ」

「いや、ロナティア王国で色々と複雑な事情があったのだということは俺にも分かっている。アルのせいではない。婚約期間に気持ちを伝えられなかった俺が悪いんだ……」


 手紙の返事もなく、会いに行っても会えなかった婚約者。

 ようやく会えたと思ったら、もう婚約者ではなくなっているなんて、皮肉なこともあるものだ。

 クリストフは脱力し、背もたれに体を預けて天を仰ぐ。

 なんのしがらみもなく、ただ己の気持ちを伝えること。

 ただそれだけのことが、次期王太子である彼には非常に難しいことだということは分かっている。

 それでも、胸のうちに芽生えた愛情を閉じ込めることはできない。

 アルフレッド自身、シエラへの想いを何度もかき消そうとしたが、彼女を知る度に増えていった。

 愛情を消すための苦しみは、愛情を伝えることへの不安よりもきっと大きい。


「殿下。想っていても、言葉にしなければ相手には伝わりません。そして、行動で示さなければ何も始まりません。数百年前の”呪われし森”の悲劇は、恋人たちのすれ違いが発端であることをご存知でしょう?」


 グリエラは、ラリアーディスの愛情を信じ切れなかった。

 ラリアーディスも、グリエラに会うことができず、結局は魔女を森に閉じ込めた魔女殺しの王として英雄になった。

 愛する者とのすれ違いはどれほどの苦しみと痛みを伴っただろう。


「そう、だな……ラリアーディス陛下もお前と同じようなことを言っている」

「大丈夫です。殿下が振られたら、私とシエラで慰めますから」

「傷心のところにお前たち夫婦のいちゃつきを見せられるのか?! 傷口に塩を塗るだけだろ、それは」


 クリストフは力なく笑った。

 そして、ひとつ頷くと立ち上がる。


「逃げてないで、ちゃんとイザベラ王女に告白することにする」


 クリストフが覚悟を決めた表情でそう言ったとき、不意に執務室の扉が開いた。


「あら。奇遇ですね。わたくしもクリストフ殿下に告白したいことがありますの」


 扉の向こう側には、薔薇の香りをまとったイザベラが立っていた。

 その後ろにはハラハラした様子のシエラがいる。

 ごめんなさい、と口だけを動かしているシエラが可愛い。

 ピンと張りつめた空気の中、シエラを見つめるアルフレッドだけが微笑んでいた。

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