番外編②

留守番老執事のひとりごと

 ベスキュレー公爵家の屋敷には、歴代当主の肖像画が飾られたギャラリーがある。

 本来なら客人をもてなす際に案内することが多いのだが、ここ数年客人などめったにない。

 しかし今、ベスキュレー公爵家に長年使える執事ゴードンは、当主のギャラリーをせっせと掃除していた。

 アルフレッドに命じられた訳ではない。

 それに、最近迎えたシエラも、まだ屋敷内をすべて把握できていないため、このギャラリーの存在は知らないだろう。

 ギャラリーの掃除は、十年前からのゴードンの日課だった。

 ここ数か月は忙しくしていたため、来ることができていなかったのだ。


「センドリック様、アルフレッド様はとても立派になられましたよ」


 ゴードンはとある肖像画の前で立ち止まり、目に涙を浮かべる。

 アルフレッドの父であり、前ベスキュレー公爵。

 女神ミュゼリアの加護を得た、造形師。

 金色の髪を片側に流して結い、穏やかな碧色の瞳に引き込まれる。

 ゴードンが約四十年間仕えた、大切な主。

 センドリックが生まれた時から側にいたのに、まさか自分の方が長く生きることになろうとは思っていなかった。

 十年前の事故で、大切な人たちを喪った。

 本当に悲しくて、他の使用人たちが去っていく中、ゴードンだけは一人、この屋敷に残った。

 十六で下働きになってからずっと、ゴードンはベスキュレー公爵家に仕えてきたのだ。

 今更、他に行く当てもない。

 国王ザイラックの厚意で、この屋敷が取り壊されることも、権利が別の貴族に移ることもなく、ゴードンに管理を任せてもらえた。

 この屋敷で一人過ごす日々はとても長いようで、あっという間だった。

 あまりにもこの屋敷には思い出がありすぎるのだ。どこを見ても、懐かしく、切ない思い出が蘇る。

 だからこそ、ゴードンはこの屋敷を自分ひとりになっても守り抜こうと誓っていたのだ。


「アルフレッド様が戻ってきてくださったあの日は、涙が止まりませんでした」


 突然、包帯姿で現れたアルフレッドを見た時には、さすがのゴードンも驚いた。

 しかし、話を聞いてすぐにアルフレッドだと分かった。

 アルフレッドにも色々あったようで、まったく笑わないし、顔も見せてくれない。

 他人を信じられなくなったアルフレッドに、ゴードンはかける言葉もなかった。

ただ、よく無事でいてくれた、と心の底から神に感謝をした。


「花嫁として嫁いでこられたシエラ様がそれはもうおかわいらしくて、アルフレッド様はメロメロなんですよ。最初はまったく素直ではありませんでしたがね。そういうところは、やはり親子で似るものなのでしょうなぁ」


 物言わぬ肖像画の主に、ゴードンはにんまりと笑ってみせる。

 センドリックも、妻アイリーナには一目惚れだった。

 それ故に緊張してうまく話せなかったり、思ってもいない言動をとって空回りしていた。

 その度にゴードンはセンドリックの背中を押したり、アイリーナにフォローを入れたりと、二人の仲をとりもった。

 一度心が通えばあとは周囲も驚くほどに甘々な空気を醸し出していた。

 アルフレッドとシエラも今頃、新婚旅行で甘い蜜月を過ごしていることだろう。


「センドリック様と同じように、アルフレッド様も指輪を作っていましたよ」


 かつて、地下の工房で指輪の台座を加工していたセンドリックの姿が重なった。

 ベスキュレー公爵の当主は皆、愛する人に贈るものは基本手作りのものが多い。

 もっとも丹精込めて作るのは、結婚指輪だ。

 アルフレッドが幸せそうに指輪を磨いている横顔に、ゴードンは涙せずにいられなかった。

 アルフレッドとシエラの幸せが、ゴードンの幸せだ。


「ようやく公爵としての責任を果たそうと頑張っていますし、そろそろこのギャラリーにも新しい肖像画を飾る頃合いでしょう」


 ちらりと目線を移した先には、ぽっかりとスペースが空いている。

 アルフレッドのために、ゴードンがずっと空けておいた場所だ。

 口元には自然と笑みが浮かんでくる。

 明るくて優しい花嫁が、自分を抑え込んでいたアルフレッドを変えてくれたから。

 きっと、今なら肖像画を断ったりはしないだろう。


「センドリック様、アイリーナ様、これからのベスキュレー公爵家は安泰ですね」


 目元をハンカチで拭い、ゴードンは微笑む。

 センドリックとアイリーナの間で、幼いアルフレッドがにっこりと微笑んでいる。

 あの頃のような笑顔と幸せが、もうこの屋敷には戻ってきている。

 五年間、一人で屋敷を管理していたから平気だと思っていたのに、早く皆の顔が見たい。


「では、わたくしはそろそろ仕事に戻りますね」


 ベスキュレー公爵家の人々に深く頭を下げて、ゴードンはギャラリーを後にした。

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