エピローグ


 王城前には馬車が停まり、出立の準備が進められている。

 ベスキュレー公爵夫妻の見送りには、王太子と王女が直々にやってきた。

「ベスキュレー公爵、色々と面倒をかけてしまったな。帰国後、ザイラック陛下に咎められるようなことがあれば僕が事情を説明しよう」

「お気遣いいただきありがとうございます。ですが、ザイラック陛下も、今回のことは問題にはしないでしょう」

「そうだといいんだが」

 今回の後処理に追われているエドワードが、どこか吹っ切れたような笑みを浮かべる。

 あの後、ようやくイザベラと前世の話も含めて、兄妹として話ができたという。

 今回のようなことがなければ、アルフレッドとシエラがいなければ、イザベラが前世の話をすることはなかっただろうと感謝された。

 まさか友情の証として、勲章を授けられるとは思わなかったが、おかげでアルフレッドはザイラックから「よくやった」との言葉をもらった。婚約解消となったことについても大目に見てくれるだろう。


「シエラさん、本当に……その、ありがとう……」

 まだ罪悪感と後ろめたさと後悔で複雑な心境のイザベラは、口ごもりながらもシエラに感謝の気持ちを伝える。

「こちらこそですわ。イザベラ様、またお茶会をしましょうね」

「え、えぇ。その時には、わたくしが育てた薔薇の紅茶をお持ちしますわ」

「それはとても楽しみですわ! イザベラ様の薔薇はとても素敵ですもの」

 シエラは満面の笑みで、イザベラの手を取った。そこには何の邪気もない。

「あんなことがあったのにわたくしの薔薇を喜んでくれるなんて、本当に……不思議な人ね」

「だって、すべてはその人の心次第ですわ。もうイザベラ様はあの美しい薔薇を憎しみで黒く染めたりしないと信じていますから」

「あなたと会えてよかったわ」

「わたしも、イザベラ様に出会えてよかったです」

 問題だらけの新婚旅行ではあったが、悪いことばかりでもなかった。

 互いの知らなかった一面を知ることができて、夫婦の絆はより一層深まった。

 シエラの新婚旅行の目的は達成している。一緒に過ごす時間が滞在期間でみると少しだけだが、二人だけで観光した時間はあまりに濃厚だった。

(あの光景は一生忘れられないわ)

 オレンジに染まるウィリーナ海岸での告白。

 今も、シエラの左手薬指には結婚指輪が輝いている。

 見る度にアルフレッドの言葉を思い出して、口元が緩んでしまう。

 ロナティア王国に来てよかったとシエラは心から言える。

 


 ベスキュレー公爵夫妻の乗る馬車は、王子王女に見送られてヴァンゼール王国へ向かう。

「アルフレッド様。初めての旅行、とても楽しかったですね」

 シエラは、隣に座るアルフレッドの肩に身体を寄せた。

 少し大胆すぎただろうか、とドキドキしながら。

「あぁ。だが、もう陛下の密命を背負っての旅行は懲り懲りだな。シエラと過ごす時は、シエラのことだけを考えていたいのに」

 少し拗ねたような口調で、アルフレッドはシエラの肩を抱く。

 より密着したことにより、甘く響く低音が耳だけでなく身体まで熱くする。

「また、二人で旅行に行こう。次こそは、何の邪魔も入らない場所へ」

 ちゅっと頭にキスを落とされて、シエラは心臓が止まるかと思った。

 夫婦になって、こういう甘い時間を過ごすことは初めてではないのに、まだ慣れない。

 ときめきすぎて言葉も出ないシエラの左手をとって、アルフレッドがかすかに笑みを漏らす。


「シエラ。リーベルトに帰ったら、結婚式を挙げよう」


 アルフレッドの言葉に、思わずシエラは顔を上げた。

 あまりに勢いよく動いたせいで、アルフレッドの顎におもいきりぶつかってしまう。

「あぁっ……ごめんなさい、大丈夫ですか?」

「問題ない」

「あの、聞き間違いではありませんよね? その、結婚式を挙げよう、というのは……」

 シエラがアルフレッドの言葉を聞き間違えるはずがない。

 しかし、予想もしなかった提案に確認せずにはいられなかったのだ。

 アルフレッドは、シエラを安心させるように頷く。

「本来の順番とは逆になってしまうが……ずっと、後悔していたんだ。シエラが私のところへ来たあの日、花嫁姿をもっとよく見ておくべきだったと。それに、私たちは愛し合う夫婦なのだと神の前で誓い合いたい」

 幸せで胸がいっぱいで、じわりと視界が涙で歪む。

「これは私の我儘だ、シエラが嫌なら――」

「もう、アルフレッド様の意地悪! 嫌なはずないじゃありませんか!」

「それはよかった。またシエラの美しい花嫁姿が見られるのだと思うと今から楽しみだ。そのためにも、早くクルフェルト伯爵のところへ挨拶に行かなければならないな」

 アルフレッドに愛されているだけで十分なのに、彼はシエラをちゃんと妻として大事にしようとしてくれる。

 家族のことも、指輪のことも、結婚式のことも。

 それが嬉しくて、幸せで、愛おしさが募っていく。

「どうしましょう、アルフレッド様。わたし、世界で一番幸せな妻かもしれません」

「奇遇だな。私も、世界で一番幸せな夫だ」

「ふふふ。それなら、私たちは世界で一番幸せな夫婦ですわね」

 二人で見つめ合い、シエラは幸せいっぱいの笑顔を浮かべた。


「あぁ。そのうち、世界で一番幸せな家族にする予定だ」


 アルフレッドが意味深に口角を上げた。

 数秒後、その言葉の意味に気づいた途端、シエラの顔は分かりやすく真っ赤になった。


 こうして波乱だらけの新婚旅行は無事に終わり、ベスキュレー公爵夫妻は終始甘い雰囲気を漂わせながら領地リーベルトへと帰っていった。

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