第46話 王女の贖罪


 イザベラの黒髪が床に広がるのを見て、シエラがあっと口を押える。

 その目は、もう止めましょう……とアルフレッドに訴えていたが、可愛い妻の頼みでも聞くことはできない。

 今は、まだ。

 本来であれば、謝罪だけで終わらせられるものではないからだ。

 そして、イザベラの落ち着いた謝罪の言葉を聞いて、頃合いかとアルフレッドはシエラに微笑む。


「さあ、一体何のことでしょう? シエラ、心当たりはあるか?」

「いいえ、アルフレッド様。わたしはイザベラ様に傷つけられた記憶はありませんわ」

「あぁ、私もだ」

 アルフレッドとシエラがにこにこと笑みを交わすのを、イザベラはぽかんと見つめている。

「え、あなたたち、何を言って……」

「だって、ですよね?」

 有無を言わさぬ笑みで、アルフレッドはイザベラに問いかける。

 何も――イザベラが望んでいた最悪の未来は、起きていないのだから。

 呆気にとられるイザベラの隣で、エドワードも目を見開く。

「ベスキュレー公爵! それはいくらなんでも無理がある。ヴァンゼール王国からの使者に対して、イザベラは問題を起こした。これは立派な外交問題だ。僕からザイラック陛下に謝罪に行くと言ったはずだ」

「いいえ、エドワード王子。私たちの目的はロナティア王国への新婚旅行です。そこで外交問題など起きようもありません。私たちは互いのことしか見えていませんから。それに、うちの陛下は両国の友好関係が崩れることを望んでおりません」

 アルフレッドはにこりと笑う。

「君たちは、本当にお人好しだな……」

 呆れたようにエドワードが苦笑を漏らす。

「だが、イザベラには罰を受けてもらうつもりだ。たとえ問題が公にならなかったとしても、王女としての責務を忘れてもらっては困るからな」

 エドワードの鋭い視線に、イザベラは黙って頷く。

 彼女も、無罪放免を喜べる心境ではないのだろう。

「ですが、公にならない罪でどのように罰するというのでしょう。わたしたちが何も言わなければ、“魔女殺しの国”の呪いの噂だけですわ」

「あぁ。どうしてもイザベラ王女様が罰を受けなければならないのなら、この噂を消していただきたい。そうすれば、本当に何もなかったことになります」

 シエラとアルフレッドは、今回の件を騒ぎ立てるつもりも問題を大きくするつもりもなかった。

 それこそ、友好関係に亀裂を入れることになってしまう。


(ここで失敗して、ザイラック陛下に仕事を増やされても困るからな)


 国王からの密命を受けて、アルフレッドはこの地に来ている。

 もとより、新婚旅行というのは名目だけだと分かっていた。

 重要なのは今後のヴァンゼール王国にとっての有益な情報と手土産。

 あわよくば、シエラといちゃいちゃしたいという煩悩と欲望が理性を食いつぶそうとしていたけれど。


「ベスキュレー公爵の考えは分かった」

 はあ、と長い溜息を吐いて、エドワードが頷いた。

「イザベラ、自分で蒔いた種だ。最後までお前が責任を持て」

「……はい、お兄様。必ず、噂は消してみせます」

 赤い瞳に涙を浮かべて、イザベラが力強く頷く。そして、イザベラはアルフレッドとシエラに向き直り、頭を下げた。

「寛大なお心に感謝いたします。けれど……簡単にわたくしを許さないで」

「イザベラ様は、自分を責めて罰してほしいと望んでいるのでしょう? だったら、望み通りに罰を与えたりしませんわ。わたしは、ただ許すだけのお人好しではありませんから!」

 本人は意地悪な笑みを浮かべているつもりなのだろうが、邪気のないシエラの笑みに、思わず声を出してしまったのはアルフレッドだけではなかった。

 エドワードも、くすりと笑っている。

(こんな風に笑えるのはシエラのおかげだ)

 イザベラに謝罪の機会を与える、というシエラの提案。


『イザベラ様は、親友を守れず、傷つけてしまった前世の贖罪を求めているような気がするのです』


 自分のことが許せないままのイザベラの心を、少しでも癒したい。

 シエラはそのために、イザベラへ歌を贈りたい、と。

 そして、アルフレッドはイザベラに断罪の場を与えようと考えた。

 何の罰も与えないままでは、彼女が犯した罪がまた彼女自身を締め付けるから。


(グリエラ、これでよかっただろうか……?)


 アルフレッドは心の中でグリエラに語りかける。

 ありがとう、というグリエラの声が聞こえた気がした。





「ベスキュレー公爵へ、ロナティア王国の友の証として、ロナティア・センティ勲章を授ける」

 ロナティア王国の大聖堂で、急遽行われた――受勲式。

 そこで、アルフレッドはエドワードより勲章を授けられた。

 言葉だけでは気が済まないから受けてくれ、とエドワードに頼まれたのだ。

 “魔女殺しの国”をはじめとする呪いの噂は、みるみるうちに消えていった。

『ベスキュレー公爵夫妻のおかげで、呪いなんて存在しないことに気づけたの』

 と元気に皆の前にイザベラが姿を現しているおかげだ。枯れていた花も、いまでは瑞々しく息を吹き返している。

 イザベラも、前世の自分との折り合いをつけ、前を向こうとしている。

 ただ、ヴァンゼール王国との婚約についてはエドワードが破棄を申し出た。

 それについては帰国後、ザイラックがどう判断するのか、アルフレッドにも分からない。

「僕とイザベラがベスキュレー公爵夫妻に助けられたように、君たちに何かあれば必ずロナティア王国は力になると誓おう。この勲章はその証だ」

「有難く頂戴いたします。これからも、善き隣人として、共に手を取り合って支えあえますよう私も力を尽くします」

 ずっしりと重い勲章を手渡され、アルフレッドはその信頼に値する人間であろうと改めて気を引き締めた。

 そして、アルフレッドは勲章を胸に、参列者へ一礼する。

 参列者の中で、亜麻色の髪をした愛しい妻が涙を流して喜んでいるのが見える。

 ロナティア王国との新たな友好の証を手にできたのは、シエラがいてくれたからこそだ。

 まったくゆっくり過ごすことのできなかった旅行だが、残りの時間ぐらいはシエラのためだけに使いたい。

 何かを忘れているような気がするが、そのうち思い出すだろう。

 アルフレッドは包帯のない素顔で、にっこりとシエラに微笑みかけた。

 二日後、ロナティア王国を経つ。




 *


 一方。

忘れられている存在――モーリッツは、いまだに王宮内の森にいた。

「だ、だれかぁ……」

 泣きべそをかくモーリッツを見回りの騎士たちが見つけたのは、ちょうど受勲式が終わった後。

 森の中で一人、モーリッツには十分頭を冷やす時間があった。

 自分の行動を振り返り、シエラへ寄せる好意が暴走し、彼女の幸せを考えられていなかったことにようやく気づけた。

 そして、大いに反省したモーリッツは、シエラとアルフレッドに謝罪をした後、自分にはまだ修行が足りない! とヴァイオリンを手に旅立った。


 ――モーリッツが自分の気持ちに区切りをつけて、音楽の高みに上り詰めるのは、まだ少し先の話。

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