第45話 向き合うべきもの

 思い出した。前世の自分が犯した、親友に償いきれない罪を。

 ベラが追い返し続け、ラリアーディスは国王としての自由な時間を失い、森へ足を運ぶことはなくなった。

 結局、人間の男はそんなものなのだ、とベラは苛立ち、憎悪を抱いた。

 しかし、人間の王族として生まれたイザベラは分かる。一国の王がたった一人で魔女の巣窟である森へ足を運ぶこと自体、どれだけ難しいのかを。

 ラリアーディスは、護衛もつけずにいつも一人で来ていた。

 それはきっと、自分には争う意思はないと示すため。

 しかし、ベラはラリアーディスの言葉をなにひとつ心に留めていなかった。

(親友をとられると思って、警戒していたから……)

 そのせいで、余計に親友の心を傷つけることになった。

 グリエラは部屋に閉じこもり、涙を流す日々。

 誰にも心を開くことはなくなった。

 そして、ベラもどう接していいか分からなかった。

 こうなったのはすべて、ラリアーディスのせいだと、自分は悪くないと言い聞かせて。

 でも、心のどこかで気づいていた。


 ――私がもし、ラリアーディスの来訪を教えていたら?


 何かが変わっただろうか。

 二人を引き裂いたのは、自分だ。

 ラリアーディスが死んで、もう二度とやり直せない時になって、ようやくベラは自身の行動を後悔した。

 謝ってもどうにもできない。過ぎた時は戻らないのだから。

 それでも、ベラはグリエラに謝り続けた。グリエラは何の謝罪か分からずに、涙を流してもういいのだと哀し気に微笑む。

 痛々しい笑みに、ますます胸が痛んだ。


(わたくしはまた、前世と同じ過ちを犯すところだったのね……)


 独りよがりで、自分本位な考えを他人にぶつけようとした。

 人間を恨んでいたのはたしかだ。ラリアーディスのことも、憎かった。

 しかし一番許せないのは、親友を傷つけた自分自身だった。

 心の奥に沈み込んでいた本当の後悔を、イザベラを友だと笑ったシエラの歌が思い出させてくれた。

 涙が止まらない。

 胸が苦しくて、自分の愚かさに反吐が出そうだ。


「お兄様、申し訳ございません。わたくしは、ロナティア王国の王女として、犯してはならない罪を犯しました。どうか、わたくしを罰してください」


 はっきりと意思を込めて、イザベラは言葉を発した。

 音楽がぴたりと止まる。

 エドワードが笑顔のまま、イザベラを見つめる。

「どんな罪を?」

 その声は歌劇場によく響いた。

「ロナティア王国とヴァンゼール王国の友好関係を崩し、戦争を仕向けようと……」

「はははっ……イザベラ、君はそんな面白い冗談を言う子だったかな?」

「冗談などではありません。わたくしは本気で」

「本気なら、尚更だ。イザベラ一人で戦争なんて起こせるはずないだろう?」

 兄は笑顔を崩さない。しかし、その目は冷ややかで、背筋にぞわりと鳥肌が立つ。

「……一人では、ありませんわ。ストレイ伯爵、コーネット侯爵、バルモント伯爵の三人を利用して、呪われた王女を演じていたのです。ヴァンゼール王国との友好関係に亀裂を生むためにっ!」

 自分の罪を罪として裁かれたい。懺悔する機会を与えて欲しい。

 そのために、イザベラは必死に言葉を重ねた。

「そうか」

 軽く嘆息し、エドワードはそのきれいな顔から笑みを消した。

「今すぐにストレイ伯爵、コーネット侯爵、バルモント伯爵の身柄を拘束しろ!」

 いつの間にか歌劇場に控えていた兄の騎士がすぐに動く。

「わ、わたくしは……」

「イザベラはこっち」

 エドワードにぐっと手を引かれ、イザベラは足をもつれさせながらついて行く。

「イザベラが謝らなければいけないのは、僕ではないだろう?」

 背を押され、イザベラの目の前にはアルフレッドとシエラがいる。

 目が合いそうになり、思わず俯いた。

 自分の主張がすべてひっくり返ってしまった今、彼らにどんな顔で会えばいいのか。


「イザベラ様、顔をあげてください」


 優しいシエラの声が耳に届く。

 あの時、森の中ではあれほど自分の憎悪をぶつけていたのに、今はひどく惨めだ。

 いっそ、責め立ててくれればいいものを。

 グリエラも、ベラを責めなかった。


「イザベラ王女、シエラの心遣いを無駄にするのなら、私も黙ってはいられない」


 カツ、カツと足音が近づき、下を向いたイザベラの視界に白い包帯が差し出される。

 ずっと、手に入れたいと思っていた、グリエラの包帯。

 でも、今は触れるのが怖かった。自分にはそんな資格はない。

グリエラを守るつもりで傷つけていた、もう親友と名乗ることも許されない自分には。


「シエラのことだけでなく、グリエラの声も聞こえないふりをするのか」


 憤りを押し込めた低い声にびくりと身体が震えた。


 ――逃げるな。


 と、言外に言っていた。


(わたくしはずっと逃げていた……)


 前世の贖罪からも、親友グリエラからも、今世の王女という立場からも。

 今の自分を受け入れることもできずに。


 イザベラは一度、顔を上げた。アルフレッドからの視線が痛い。

 しかし、もう目は背けない。


「ベスキュレー公爵、ベスキュレー公爵夫人。この度は大変申し訳ございませんでした。わたくしは、あなた方を傷つけただけでなく、友好国であるヴァンゼール王国を侮辱し、争いを望みました。王女として、あるまじき行為です。いかなる罰でも謹んでお受けいたします」


 床に膝をつき、頭を下げる。


『ベラ、私たちはずっと親友よ。あなたが私を心配してくれていたことは知っているわ。生まれ変わっても、私のことを思ってくれていてありがとう。でも、もういいの。あなたはあなたの人生を生きて』


 グリエラの声が聞こえた気がした。

 なんて自分に都合の良い幻聴だろう。

 それでも、あの優しすぎる親友ならばそう言ってくれるような気がした。




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